第25話『謝罪内容は、独断』

 夜。寝静まり、沈黙に包まれた黒の森。

 鬱蒼とした森林地帯の一角に位置する鬼族きぞくの拠点は、元々陽の光が届き辛い構造をしているため廊下を中心に等間隔で松明が設置されている。

 松明が発する熱で俄かに冷えた空気が温められ、炙られる人影は獅子の鬣が如く波打つ。

 影の主が歩む先は、彼らにとって主と仰ぐ存在の私室。岩を切り抜いただけの簡素な扉をノックし、内からの反応を待ってから横へ引く。


「失礼するぞ」

「あぁ、どうした。こんな時間に」


 中には普段のラフな格好とも宿屋でのバスローブ姿とも異なる、タオルを首にかけただけで生まれたままの姿を晒しているムクロドウジの姿。石を削って建造したと思しき椅子に身体を預ける様は、いっそ芸術的でさえある。

 室内へ招かれたスレイブは予想外の姿に額へ手を当てて天井を仰ぎ見ると、溜め息を一つ。

 普通、入っていいとの意を伝えるのであらば、最低限の服装に整えてからではないのか。 とはいえ、今更突っ込んだ所で時既に遅し。諦観を抱き、極力ムクロドウジを視界に納めないように顔を逸らした。


「……何かあったのか?」


 ムクロドウジの口調は拗ねた子供のようで、睨みつける目つきも敵へ注ぐものより幾段か穏やか。

 とはいえ、油断して口を滑らせればまた昼のような事態となるのは目に見えている。

 スレイブは慎重に言葉を選び、話を進める。


「さっきは悪かったな。別にお前の意見を無視するつもりはなかったんだが」

「別に、私は気にしてないが」


 心底気にしている者の口調で、ムクロドウジは露骨な不機嫌を露わにする。

 ふと手に持つ本の表紙へ目を向ければ、正しい部下の躾け方などと書かれていた。何を気にして目を通しているのかなど、心当たりのあるスレイブには明白。

 一部隊を率いる長ではなく拗ねた少女にこそ相応しい口調で、ムクロドウジは言葉を続ける。


「どうせ私は何も考えていないからな、色々考えるお前が好きにすればいいんじゃないのか?」

「いや、だからあくまで俺はだな……」

「あーあ、せっかく武具の都合をつけたのにな!」


 わざと大きな声で告げる姿は実に恩着せがましい。

 強情な様子を見ていると、自らの縄張りへ帰る寸前に狼牙が残した言葉が脳裏を過る。


『あの小娘……ムクロドウジに長たる資格はあるのか?』


 そんな訳ないと被りを振りたいのがスレイブの本音。が、同時にならば彼女の長らしい一面を思い出そうにも咄嗟に浮かばないのが実情。

 部下の鬼族から慕われる様子もなければ、廊下ですれ違っても挨拶の一つもない冷えた関係。

 感情的な行動が目立ち、理性的な判断に欠ける姿。

 混血体キメラとして転生してからの短い付き合いでこそあるが、それでもトップとして怪しいのは否定し切れない。

 故にこそ、スレイブは胸に抱いていた疑問を吐き出す。


「ところで、部下の鬼族とはどんな関係なんだ……随分とその、言葉を交わさないようだが」

「皮肉のつもりか、それは。

 別にどうといった関係ではない。過去に文句を言ってきたから叩き潰して従えただけの話だ」

「は?」


 開口し、驚愕を隠さないスレイブに呆れつつも、ムクロドウジは口を開く。


「だらしない口を閉じろ。

 私の容姿が鬼族の中でも浮いてるって話はしたよな」

「いや、初耳だ。なんとなく浮いてるのは既に知ってるけどな」

「それなら充分だ。

 私は突然変異というらしくてな、それで他の連中とも姿が大きく異なる。

 肌は白く、身体も小さい。そして角は漆黒の巻き角……まるで鬼族ではなく魔族のようだと、幼い頃から突っかかられたさ」


 当然、全員返り討ちにしたがな。

 どこか自慢げに語る少女は懐かしい過去へ思いを馳せる。

 石を投げる鬼族がいた。物を隠す鬼族がいた。間接的な手段に走らず、直接暴力に訴える鬼族がいた。

 当主たるアバラドウジの一人娘などという経歴も、身体的な差異の前には意味を無くす。

 意味を持つ要素などただ一つ、純粋なまでの実力。厳選なる格の差こそが野蛮な存在を黙らせる。


「岩をぶつけて、山の頂上まで投げてやり、そして皮膚が抉れる程の傷をつけてやれば、皆が私を認めたさ……恐怖でだろうがな」


 オボロも、スレイブが討ったアラタも。

 ムクロドウジと過去に衝突し、彼女が実力で磨り潰した果てに平伏させた存在である。


「そこにアバラドウジから派遣された何人かを加えたのが、王国方面部隊の内情だ。力で従えた奴らも、父から派遣された奴も、皆が私が上に立つことに納得していない。ただ、力があるから反論しないだけで。

 だから私に本心から従っている本当の部下は、お前一人だ」

「恩人だからな。たとえ中身が拗ねた子供だとしても」

「なんだと」


 冗談めかして大仰に肩を竦めるも、スレイブが語るのは本心。

 所詮先に受け取ったのが善意か悪意かの差でしかないかもしれない。ムクロドウジが持つ本来のあり方は、悪意の側に大きく偏っているのかもしれない。スレイブではなくスレイならば、王国に仇名す敵を許すことなどしないかもしれない。

 それでも、助ける義理のないスレイブが助けられた事実は不変。

 その恩義を返すことに何の不満があろうか。


「おいおい、子供に助けられた俺はそれ以下って自虐だぜ。勘違いするなよ」

「まずは私を下げることを止めろ」

「それもそうか」


 気づけば、ムクロドウジは口元に苦笑を浮かべていた。

 狼牙の言葉に心中で被りを振るべく、スレイブは両手を叩く。何度も何度も、執拗に。


「それじゃ、明日には狼牙から反応が帰ってくるはずだ。そしたらドラゴニュート軍を潰す作戦を組もう」

「いや、その前にやることがある」

「なんだよ」


 ゲゴが軍勢を率いてやってくることが明白な状況下で、それの対策よりも優先すべきものとは。

 スレイブの疑問に、ムクロドウジは不満の表情さえ浮かべて応じる。


「お前の名乗りだ」

「名乗りぃ?」

「そうだ。なんだ、ただのスレイブとは……

 私の部下なんだから、もっとマシなものを考えるぞ」

「はぁ……」


 釈然としないものを抱きつつも、同時に彼の脳内にはグゴが大層な名乗りをしていた様子が再生される。

 自らの名と種族に、強い拘りを覚えるものを。

 戦に於いて、士気を高揚させる手段が多いに越したことはない。その点に於いては、高名だと推測されるグゴの名乗りは確かに効果的である。

 ムクロドウジの提案に渋々ながら納得すると、スレイブは中身の薄い自らから声高に主張すべき内容を吟味するのであった。


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