第24話『作戦会議の目的は、ドラゴニュート』
鬱蒼とした森林地帯の一角、幾つかある隆起した土地。一説には遥か過去に起きた戦争に於いて行使された、大規模な魔法が地殻に影響を及ぼしたとも言われている。証拠に黒の森には風牙一族を筆頭とした魔獣が生息し、魔力の残滓も色濃く滞留している。
フォルク王国軍人の亡骸が腐り、茂みの奥から腐臭と羽虫のたかる音が五感を不快に刺激する岩場。天然の洞窟を改造した鬼族の拠点がそこに存在した。
足を踏み入れたムクロドウジこそ数日振りの帰還に上機嫌だが、他の面々は不快な周辺環境に鼻を曲げて抗議を示した。
「なんだ、鬼族の縄張りはゴミ捨て場と兼用なのか?」
「ひ、酷い臭いです……」
「いやー、こんなになるのか……人の死体って」
三者三様の反応にも、ムクロドウジは首を傾げるばかりで不満の根源を掴みかねていた。横で歩くスレイブすら鼻を摘んでいるにも関わらず、彼女はむしろ高価な香水でも堪能するかのように深呼吸を行う。
種族ごとに価値観が異なるのはよくある話だが、それを実際にお出しされた上で受け入れられるかは個々人に委ねられる。
そして鬼族の拠点へ踏み入れた二人と一匹には、準備が些か不足していた。
「何か不満か?」
「……?」
問いかけるムクロドウジの側を、一鬼が横切る。
一勢力を率いる長が久方振りの帰還を果たした状況。声を上げて歓喜を表現してもおかしくないにも関わらず、鬼はムクロドウジへ一瞥することさえもなく素通りしたのだ。
そしてムクロドウジもまた、部下が素通りする状況を当然のものとして認識していた。でもなければ、正面から通過した鬼へ何か口を開くこともなければ、眼差しを注ぐことすら行わないのは異常と言わざるを得ない。
スレイブは釈然としない疑問を抱くものの、直接言語化することは避け、視線を鋭くする程度に留めた。
彼らは左右を松明で照らされた廊下を進み、到達したのはムクロドウジの私室。
「んんー……久方振りの自室だ。やはりここは落ち着く」
「わー、すっごいたくさんの本ー……」
彼女の私室を囲う本棚と隙間なく敷き詰められた本に、アイイシは目を輝かせた。一方で足代わりを務めていた狼牙は、ムクロドウジと接して受けた印象との乖離に小首を傾げる。
そして、思い出したようにスレイブは嘆息を一つ。
「何かあったのか?」
「いや……そういや、ここのベッドは無茶苦茶硬いんだったな、って……」
「……寝床が合わんのは同情する」
余裕があればゴブドルフで物色する予定が、ゴタゴタに巻き込まれた挙句にムクロドウジが大規模魔法を行使したせいで大手を振って活動できなくなった結果がこれである。
なまじ良質なベッドを宿屋で知ってしまったが故に、苦痛が増すのは皮肉というものか。
灰髪を掻き、頭を抱えるスレイブに対して溜め息を零すと、埒が明かないと判断した狼牙が本題を切り出す。
「それで、何故私を拠点へ呼んだ。お主の言い様はただ足を求めただけではないように伺えたが?」
「あぁ……そうだったな。うん、そうだ」
大袈裟に頭を何度か上下させ、スレイブは暗い表情を上げる。
この世の終わりをも連想させる顔色は、余程ベッドが頑強なことへの不満が伺えた。
それでも必要事項を口に出す頃にはある程度持ち直したのは、元来の性質が為せる業か。髪を掻き上げる怠惰な仕草にこそ、目を瞑ればだが。
「近々ドラゴニュートと事を交えるから、その際に風牙一族の手を借りたいんだ」
「なるほど、な」
「はぁッ。私に断りもなく何をッ!」
突然の要請に声を荒げたのは、一定の理解を示した狼牙ではなくムクロドウジであった。
乱暴に腕を振るい、音を鳴らして詰め寄る最中で魔法陣を展開して得物を取り出す始末。その表情は強烈な憤怒を目尻に浮かぶ滴が彩る。
咄嗟に生命の危機を感じ取ったスレイブは、両手を手前で振ると言い訳がましく言葉を並べた。
「待て待て待て待てッ、ちゃんと考えあっての話だッ」
「そんなの知るかッ。まずは私に通すべきじゃないのかッ?!」
「だってお前、そんな戦いに作戦とか持ち込みそうに見えないし……」
「それは……うるさいッ!」
図星だったのか、一瞬言い淀んだムクロドウジは視線を逸らす。が、即座に感情的な反論をぶつけた。
口を閉ざせば、自分が大隊長の器か疑問視されるのではないか。脳裏に過る不安を振り切るように、引き抜いた金棒の先端をスレイブの喉元へと突きつけた。
「とにかくッ、ここでは私が大隊長なんだッ。そしてお前は私のものだッ、せめて私を通してから話をだな……!」
「落ち着け、少女。まずは提案を聞き、そこから採用か否かを検討すればいい」
「ッ……!」
唇を噛み、割り込んできた狼牙を睨みつける少女。
感情的な態度を繰り返す様は会話に混ざっている二人は元より、端から見ているだけに過ぎないアイイシをしても一部隊の長が取る所作とは思えなかった。
彼女自身も思う所があるのか、金棒を下すと無言で手招きし、スレイブの発言を促した。
「……こっちは戦力が十人ぽっちだったか、一勢力とやり合うには小規模過ぎるだろ。
だから風牙一族の機動力を活かして戦場を切り抜け、速やかに大将首やら大物の首を取る。そしてトップを失って混乱した所で降伏を促せばいい。
無策でやり合うよりは気持ちマシだろ」
所詮〇に幾つかの一か二を積む程度の確率ではある。が、それでも〇で突撃しかねない少女と比較すればまだ上等と、スレイブは割り切っていた。
現実的な代案があるならそれで良し。採用されるなら、勝算を見出したので充分。
現状で一番恐ろしいのは、無策で力任せに攻め込むこと。種族特性を盾に強引な手段に走れば、間違いなく戦力で勝るドラゴニュートに蹂躙されるだろう。
表情を険しくするムクロドウジも、その程度のことは理解しているはず。
苦々しく口元を歪め、吐き出すように言葉を紡ぐ。
「…………狼牙、そちらはどの程度の戦力を貸し出せる?」
「そうだな……確実とは言えん。こちらにも事情がある。
それでも、私を含めて三匹は都合しよう」
「三匹か……事前にお前の魔法で戦場を混乱させれば、不可能な話じゃないか」
ゴブドルフの一角に深い傷痕を残し、竜種の到来と誤認させた程の大規模魔法。
数的不利をひっくり返し、敵陣を混乱させるには充分な代物を有するムクロドウジであらば、活かせる増援の規模である。
「…………本陣にまで私が切り込めれば、打てる手がある」
「なるほど、それなら信用できるな」
「何か、聞かないのか?」
「そりゃ、聞くのが筋だろうがなぁ……」
腕を組み、首を傾げるスレイブに視線を合わせることなく、ムクロドウジは足元を見つめる。
一連の流れを無言で眺める狼牙の眼差しは、さながら品定めをするかの如く。鋭利で、ともすれば刺々しいまでに。
唸り声を上げるスレイブは言うべきか否かで葛藤している様子であったが、首を数度振ると観念して口を開く。
「一応、先に順序を間違えたのはこっちだしなぁ……それであんまり率先して聞くのも筋が通らんというか……他の連中へ説明さえしてくれればこっちには無理に話す必要はないというか」
「……そう、か」
細く、静かに。
弱々しく紡がれた言葉は、自信を失った少女のようであった。
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