第22話『風牙一族の少女』

「お嬢ちゃん、本当にこんな所でいいのか?」

「ひゃ、はい……こ、ここれで大丈夫です……」


 ゴブドルフ連合国を抜け、黒の森へと差し掛かる地点。森と道の境界ともいうべき場所でアイイシは降車の意志を伝えた。

 無論、運転手の男性に引き留める義務はない。

 だが、自分が運んだ客の死体が後日発見された、とでもなれば寝覚めが悪い。故に彼は荒事に慣れているようには見えない少女へ警告の言葉を送るのだ。


「誰かと待ち合わせなのかもしれんが……ここらは風牙かぜきば一族の縄張りだ、とても治安が悪い」

「わ、分かってます、はい……」

「……」


 アイイシは怯えた表情で運転手の言葉に同意する。

 彼女としても何もなければ危険な森林地帯へ向かおうとしないし、そも堕天の誘いから外へ出ようとも考えない。

 背後に立つ大柄な、人が二人は入るだろう体積の箱さえなければ。


「あ、あははは……」


 背後の箱から無言の圧力を感じるアイイシ。中に存在する少女の圧は言うに及ばず、少年にしても彼女とは比肩できぬ差が存在する。

 店長が説得できたために穏当な手段で連れて来られているが、その気になれば拉致も容易であろう。

 アイイシとしては戦々恐々といった様子で応じる他にない。

 運転手としても力説して翻意を促す程ではなく、相手が固く決心しているのなら尊重するのも仕事である。


「……そうかい、気をつけなよ」

「はいぃ……」


 チップ名目で三人分の料金を手渡すと、上機嫌の蹄鉄が地面を抉る。

 馬車の姿が見えなくなるまで見送ると、アイイシは背後に立つ箱を二度叩く。

 視界の潰れている内部へ、出て大丈夫だと伝える合図を。

 すると、内側から押し出された箱が解体され、二人組の男女が姿を現した。足を白の甲冑で身を包んだ少年と、右の額に黒の巻き角を生やした少女が。


「はぁ……狭かった」

「そういうなよ、ムクロドウジ。いや、俺も予想外に狭かったけどよ……」

「あ、あの……料金は三人分で良かったのでしょうか……?」

「律儀な奴だな」


 アイイシは怯えた声音で問いかけると、ムクロドウジは嘆息して応じる。

 あくまでムクロドウジとスレイブは荷物として乗車していたため、一人分の料金でも気づくことはなかったのだ。

 しかし、彼女の物言いに苦言を呈するのは横に立つスレイブ。


「それでいいさ。あくまで素性を隠して脱出したかっただけで、踏み倒すのは気が引ける」

「なんでだ、せっかくだから踏み倒せばよかっただろ」

「馬鹿、んなことがバレたら面倒だろうが」

「ふ、二人共……喧嘩はほどほどに~……」


 互いに圧が強まる気配を感じていたのか。アイイシの言葉を合図に話題を切り替える。

 同時に鬼族の拠点へ向けて出発し、アイイシもまた追随した。

 鬱蒼とした森林地帯は奥へ進むに従い、人の手が入らない手つかずの自然が広がっている。普段から入り浸っているムクロドウジや混血体キメラと化したことで身体能力が向上したスレイブとは異なり、ハーフエルフのアイイシには未整備の環境は堪えた。

 身体を前のめりにし、肩で息をしながら歩く様は奴隷の強制連行を連想させる。


「は、はひぃ……」

「どうした、もう息切れか?」

「だ、だってぇ……ここ、足が変な感じで……」

「……」


 談笑の花を咲かせようとする二人の一方で、周囲へ意識を傾けるスレイブ。

 樹木に囲まれた森林地帯。それに風牙一族の縄張りともなれば、不用意に歩くだけでも彼らや住処を追われた他種族に遭遇する可能性がある。

 そして、海を彷彿とさせる瞳は木々の隙間から彼らを観察する存在を捉えていた。

 微かに伺えた毛並みの色合いは白。森の緑とは乖離した様相だが、それは周囲に溶け込む擬態などという脆弱な手段を備える必要など無き進化を遂げた証。四足歩行と思しき低い体躯と足音だが、音にはどこか違和感を覚える。


「ムクロドウジ、買った盾と剣を出してくれ」

「……どうかしたのか?」


 言いつつも、魔法陣の奥から盾と剣が一体化した得物を取り出す。

 質素な鈍色は派手な装飾を廃したことで値段を抑えた、店側が労した努力の結晶。

 グゴと矛を交えるには役者不足かもしれないが、それ以外の魔物や亜人種程度ならば充分な代物と言えた。

 ムクロドウジから渡された得物を受け取ると、スレイブは盾に収めた剣を抜刀。何度か振って重量を確かめる。


「少し軽いな……まぁ、いいか」


 独り言を零すと、剣の切先を木々の一角へ向ける。


「おい、出て来いよストーカー野郎」

「……!」

「ひゃ、ひゃいぃ……だ、誰かいるんですかぁ……?」

「あぁ、へったくそな覗き魔だ」


 アイイシの疑問に答え、視線を切先の先へ。

 木々の隙間からは、隠し切れない敵意の念が漏れていた。指摘によって一層漏れ出たのか、ムクロドウジも金棒を取り出して襲撃に備える。

 流石にシラを切ることは不可能と判断したのか、相手は木々の奥から姿を見せた。


「ヴゥ……!」


 姿を見せたのは、四つ足で歩く華奢な少女であった。

 風牙一族の毛皮を頭から被り、鋭利に研ぎ澄まされた眼光は獲物を引き裂く牙を彷彿とさせる。枝のような手足には生傷が目立ち、局部にのみ草木や毛皮で原始的な装飾を施している様は文字通りの獣。

 唸り声で威嚇する少女は、とてもではないがフォルク王国に在住とは思えない。


「いったいどこの差し金だ?」

「ヴヴゥ……ヴァウッ、ヴァヴァウ!」

「いやそれじゃ分かんねぇよ」


 せめて人語で頼む。

 言外にそう告げたつもりであったが、少女は唸り声と叫ぶばかりでスレイブ達に意味の通じる言葉を使う様子はない。

 敵意だけは受け取る中、先に痺れを切らしたのはムクロドウジであった。


「面倒だ。会話が通じないならさっさと狩るのが早いだろ」

「ヴァァウ、ヴァウヴァウッ……ヴゥゥゥ!」


 ムクロドウジの言葉は通じたのか、少女もまた指に握力を込めて地面を抉る。今まさに跳びかからんと前傾姿勢で力を込める様は、獲物を見定めた捕食者の如く。

 張り詰めた空気が周囲に漂い、葉が圧で揺れる。

 どちらが先手を取るか、互いの間合いを詰める状況下にアイイシが怯えて後退った時であった。


「烈風ッ!」


 どこからか、低い声音が響き渡った。

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