第21話『慈悲深き聖女、ジャーヌ』

 フォルク王国東部、医療ギルド最大手の青峰協会本部では二三七名の傷病者が治療を受けていた。

 彼らは怪我の大小、病気の大小を問わずに青峰協会傘下の医療施設を頼り、治癒魔法の奇跡を以って症状の改善を図る。多くは一回の魔法で完治にまで持っていけるが、戦場帰りや重大な事故に巻き込まれた場合、活性化による肉体負担への考慮や事前に別の措置を行わねばならないために一時的に入院という形式を取ることもある。

 本部三階。

 貴族や王族、または多額の資金提供や団員の馴染み深い人物が入院する階の一角。陽の光が足元を照らす中、二人の衛兵が扉の前で見回りをしていた。


「なー、アディーチェ。この中で寝てる娘、見たか?」


 一人は兜を肩に担ぎ、垂れ下がったブロンドの髪を掻き上げる。

 問われた男、横に立つアディーチェと呼ばれた衛兵は嘆息を一つ零すと、兜のスリット部を持ち上げた。


「見てねぇよ。つか、他の警備の話を聞いてたら見る気無くすわ」

「んだよ、滅茶苦茶可愛いって聞いたぞ。俺は」

「ケルビナは聞いてねぇのか。中の娘はあの歯車旅団の一員らしいぞ、俺らなんかとは釣り合わねぇよ」

「胸と障害は大きい方が燃えるだろうが」


 ケルビナと呼ばれたブロンドヘアの衛兵が発した無神経な言葉へ、アディーチェは再度の嘆息。

 兜に手を当て天を仰ぐも、見上げた先にあるのは染み一つない大理石の天井。


「そうじゃねぇよ。

 いや、そうもあるが……もっと別にあんだよ」

「何が、コブ付きか?」

「……彼女は入院する前のクエストで左腕を鬼族に握り潰されたらしい」


 アディーチェの告げた内容は、ケルビナの胸中に燃え上がった恋の炎を鎮火するに充分であった。一気に表情から感情が失われていくのが克明に映る。

 そしてグレイグ・B・ジルファングを襲った受難はそれだけではない。


「鎧の自重で腕が千切れるんじゃないか、ってのは運び込まれた直後に警護してたミカエラの弁だ。

 そして治療しようにもまずは肉に食い込んだ骨の欠片を摘出する必要があるらしく、だがそのためには一度手術に耐える程度の状態にまで回復させる必要がある……」

「ま、まさか……」


 最悪の予想が脳裏を過ったのだろう。

 ケルビナの声音にはまさかそんなことが、頼むから外れてくれと祈っているようにも聞こえた。

 だが過去を修正する術はなく、青峰協会に務める警備員は現場を知るが故にイメージする予想が多くの場合で正鵠を得る。


「そう、彼女は潰れた左腕を骨の欠片が混じったまま、少しづつ治癒魔法に晒されることとなった。

 最初の一週間なんか、激痛と高熱で目覚めては獣みてぇに叫んで、痛みで意識を飛ばしたのを見計らって治療を続ける。って感じで地獄だったらしいぞ」


 実は一度、扉の隙間から部屋の中の様子を覗き見たことがアディーチェにはあった。

 邪念はなく、単なる出来心。歳若くして元極組織エレメレイトギルドの末席に務め、負傷して帰還する人物とは如何なる者かと疑問に思ったがための行動。

 軽率な行動の対価は、脳裏に焼きつく拭い難い記憶。

 生きながら業火に焼かれているのかと錯覚する絶叫を背景に、シーツや床を真紅に染め上げ身体を幾度となく跳ねさせる獣の姿がそこにはあった。

 三人はいたスタッフに身体を抑えられ、なおも髪を乱して暴れる姿は百年の恋も冷めるどころか恐怖へと感情を反転させかねない程に。過剰な負荷に潰れた喉は声とは判別できぬ音と共に血反吐を吐き出し、見開かれた目は虚空を覗く。

 血走った翡翠の瞳と視線が交差した一瞬は、下手な強盗よりも肝を冷やした。


「今ではある程度症状も落ち着いて、後は骨の摘出手術をいつやるかで時間を調整してるらしい。俺としては、さっさと完治して退院して欲しいがね」

「あ、あぁ……そう、だな」


 アディーチェの言葉に同意するケルビナ。

 そこに容姿への期待に胸を膨らませていた頃の面影は微塵もない。

 馬鹿なことを言ってないで、気を引き締めて警備を続けるぞ。とでも言おうと口を開く。

 その寸前。


「あら、いい傾向ですね。完治を祈るとは」



 扉の向こうで繰り広げられる喧騒とは裏腹に、ベッドの上で横になっているグレイグはただ無感情に天井を見つめていた。

 否。

 厳密には天井を視界に収めているだけで、決して見ていると声高に主張できる程に意識してはいない。目蓋を閉じていないから目が見えている、だから眼前に広がる天井が視界に入る。

 その程度の、生理現象にも等しい感覚。


「……」


 彼女の思考を占めるのは、先の鬼族拠点への強硬偵察。

 厳密には、多くのフォルク王国軍人と共に置いてけぼりにされたギルドの仲間にして、グレイグが羨望の眼差しを注いでいた少年。

 堅牢なるガラハドの大盾と、閃光の如き切れ味で万物を裁断するアロンダイトにどれだけ助けられたか。

 時にオークの一撃を阻み、時に盗賊団が放った毒付き投げナイフを妨げ、時に赫緑の軍勢からも我が身を犠牲にする勢いで庇われた。

 そして二人にとっての原初、去年の夏も同様。


「おや、起きていましたか。ちょうど」


 グレイグの思考を中断させたのは、扉の立てつけが軋みを上げる音。

 身体を僅かに起こし視界に収めたのは、陽光に照らされた修道女とスーツ姿の男性。


「好都合です。グレイグさんの意向を聞いてから措置の是非を検討するつもりでしたので」


 丁寧な物腰で相手と接する修道女は、彼女の記憶にも存在する。

 藍色を基調としてフリルを中心に白を差したカソックに銀の髪を肩まで伸ばし、アメジストを彷彿とさせる慈悲深い紫の瞳はこの世の全てを慈しむ。女性らしい起伏に富んだ体形も、胸元で両手を組まれては穢れを知らぬ聖母へと変生する。

 女性の名はジャーヌ・D・カトリーヌ。

 医療ギルドである青峰協会の団長を務める女性で、フォルク近隣で戦が勃発すれば率先して治療行為に及ぶ聖女。

 しかし、彼の聖女に続く男性には皆目見当がつかない。


「彼女がグレイグさん、と……ふむふむ、確かにこの怪我は酷い。

 肘を中心とした左腕の粉砕骨折、しかもこれが治癒魔法で少なからず回復させた後とは……いやはや、鬼族という者は恐ろしい」


 男性は紫を基調としたスーツを仕立てよく着込み、紺のネクタイには五枚羽根を生やした一本足の異形が赤と白で描かれている。黒と白が逆転した目は少女の腕を訝しげに観察し、額には二本の黒い巻き角が天井を指し示す。そも角ばった顔立ちの色味は、影を投射したかのように黒い。


「だ、れ……?」


 一週間に渡って絶叫を上げた代償か、擦れた声は辛うじて意味を伴って二人の鼓膜を震わす。

 少女の疑問に答えるべく、男は大仰に両腕を広げてから右腕を折り曲げ頭を下げる。


「これはこれは失礼しました。

 私はヰヱヲ《イエオ》フォルク王国支部に在籍しますデヰモンでございます。以後、お見知りおきを」

「い、えお……?」

「あぁ、違います違います。もっと心を込めてヰ、ヱ、ヲと。これは我ら魔族に伝わる再生と滅亡を司る神から取られているのですから」


 デヰモンと名乗った男は客人という身分もあってか、丁寧な口調で訂正を求める。


「来て頂いたのですよ、私の知り合いが団長を務めるギルドから。今回処方する薬の説明をして頂く意味も込めて」


 ジャーヌが右手をかざし、説明とやらを無言で促す。

 すると、男性は懐へと腕を突っ込み、そこから一本の注射器を取り出した。


「ではでは、まず最初に伺います。グレイグさん」


 シリンダーの中、目盛りを怪しく照らす暗色の輝きがデヰモンの彫を一層際立たせる。


「アナタは、今もなお前線に立つことを希求しますか?」

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