第20話『出国』

 ゴブドルフ連合国を囲う城壁。

 検問の目を掻い潜って先を進むこと叶わぬ国境沿いにて、一台の馬車が内部へと招かれる。

 中では一人のゴブリンが長槍を構えて待ち構え、馬車に静止を促した。運転手も荒事を起こすつもりはなく、命令通りに馬の手綱を握る。

 蹄鉄が石を叩く音が止み、勢いが止まればゴブリンは運転手との距離を詰めた。


「出国ですか。でしたら積み荷と乗客の確認を」

「出るのは私と乗車しているハーフエルフが一人。後は外向きの荷物と彼女の私物らしい箱ですね」


 紳士然とした口調で受け答えに応じる運転手は格式高い燕尾服を着用し、先端が円を描く黒の髭をわざとらしく伸ばす。

 武具目当てに来た割には戦とは無縁そうな傷一つない手と身なりの良さが相まって、どこかの国が傭兵を求めて飛ばした使者を思わせた。彼の受け答えには何も不自然な様子はない。

 とはいえ、時勢が時勢。

 門番たるゴブリンは馬車の後方へと歩くと、外界と隔てる布を開き、内部の物色を開始した。


「ひゃい!」

「ッ……あぁ、乗客ですか。驚かないで下さい、こちらは門番ですから。荷物の安全が確認されれば、すぐに出ますよ」

「ひゃ、ひゃいぃ……!」


 ポニーテールの女性はプラチナブロンドの髪を激しく揺らし、壁に身体を押しつけるようにゴブリンとの距離を取った。対人恐怖症にしても異様に引きつった表情は、よもや人身売買かと疑惑を過らせる。

 門番の不安を打ち消すように、運転手は後方へと言葉を送った。


「彼女は堕天の誘いって酒場から新天地を求めて出るみたいなんですよ。不安なら酒場の店長に通信魔法で確認を取って下さい」

「いえ、そこまではいいかと」


 堕天の誘いといえば、門番のゴブリンも従業員の顔を一通り覚える程度には行き馴染んだ店である。そして人に対して常に怯えた様子を見せる従業員の顔も、当然彼にとっては既知のもの。

 照明魔法の優しい光で照らし出せば、そこにはアイイシの怯えた顔。

 彼女が持ち運ぶのであらば、背後に備えた一際存在感を放つ箱も怪しいものではないだろう。アイイシに危険な橋を渡る度胸がある訳もない。

 そう思い込むと、ゴブリンは箱から意識を逸らして運転手が持ち出そうとしている荷物への物色を開始した。


「……良し、門番の意識は逸れたみたいだぞ」

「……スレイブ。お前の馬鹿な提案を受け入れた私が言うのも何だが、もっとマシな手段はなかったのか」


 門番の鼓膜にまでは届かない小声。

 その出所は、アイイシの背後にそびえる箱。

 人なら二人は入るだろう体積を誇るそこには、体育座りで背中を向け合っているスレイブとムクロドウジが収納されていた。

 ガラハドさえ鍛冶屋に預けてしまえば、互いに身軽な身分。

 警戒網を掻い潜るべく、アイイシを説得して二人が入った箱を持って出国してもらうことになったのだ。スレイブとしては、アイイシの持つ高度な医療技術に関心があったことも好都合であった。

 当初は激しい反対にあったもの、店長にも説得の協力を頼み、外の世界を知ることで人見知りを軽減してもらおう、ということで首肯を引き出したのだ。

 しかし、作戦を決行を移しさえすれば全ての問題が解決かといえば、答えは否。


「狭いにも程があるだろ、この箱は。満足に足も伸ばせんぞ」

「今更文句言うなよ。こっちは少し猫背なんだぞ」

「そんなの知るか、私の足の方が大事だ」


 目測で図ったのがいけなかったのか。スレイブは背中をやや丸めて座り、比べて小柄なムクロドウジも爪先が何度となく箱を小突いている。

 少年が背を丸めているのは、人と相違ない見目の少女に物理的な背を預けることに抵抗があることも関係しているのだが、それを口に出すことはしない。端的に言えば、苦肉の策と呼んでいい程度には居心地が悪い。

 せめて気でも逸らそうと、スレイブは別の話題を切り出した。


「足と言えば、渡した靴はぶっ壊れちまったな」

「……その件に関しては、済まない」


 指摘されて視線を落とせば、そこには露わとなっている生足。

 入国前に渡されていた木製の靴は、赫緑との交戦時に粉微塵となって砕けてしまっていた。元より魔法による補強も施していない木の靴、鬼族が戦に赴く際の出力に耐え切れるはずがない。

 スレイブはそれを理解しているため、強く言及するつもりはない。が、貰った側のムクロドウジの心境は別。


「せっかくの貰い物を……台無しにしてしまったな」

「別に構わねぇよ。むしろ、あの状況で出し惜しんでくたばる方が問題だろ」

「それは、そうだろうが……」


 言い淀む少女を他所に、当の渡した側はあっけらかんと言葉を紡ぐ。

 自分用として用意した方にしても、突然乱入してきたドラゴニュートのせいで破損している。だが彼の足は剥き出しとはなっておらず、膝付近までを覆う白銀の甲冑が靴の代役を務めていた。

 あり合わせで手配して貰った甲冑だが、アロンダイトの鞘と似た魔力蓄積・放出機構を採用していると聞けば、食指が動くというもの。

 他にもガラハドを修理に預けた手前、一時的に使う武器としての剣と盾もムクロドウジの空間魔法に運び役を担ってもらっている。感謝を多少重ねた所で足りないというもの。


「むしろ目的とは違う足や剣盾の分まで買って貰って、感謝感激ってな」

「そんなのはいい。お前は私の部下だ、武具支給にも相応の待遇はあるさ」

「だったら俺はお前の部下。部下のご厚意には大人しく甘えなっての」

「甘えな、か……なるほどな」


 隣合うスレイブにも聞き取り辛い小声で呟き、ムクロドウジは爪先を弄る。

 背を向けているがために誰にも届くことはないが、穏やかな表情は年相応の乙女を連想させた。

 少女が微笑みを浮かべた頃合いに、ゴブリンが降車して揺れが激しくなる。石畳を敷き詰めた城壁を抜け、土を平らに整備しただけの道へ乗り出した合図である。


「貰い物といえば」


 ふと、空間魔法の魔法陣を展開。

 ムクロドウジが腕を突っ込むと、内部から果物を掴み取る。

 引き抜いたのは入国直前にスレイブから貰い受けた赤い果実──フォルミナアップル。

 終ぞゴブドルフ内で口にすることはなかったが、一通り落ち着いた今であらば口にする余裕もある。

 しかし、未知のものを食することへの抵抗も皆無とは言い難い。如何に血を分けたスレイブは美味しいと太鼓判を押したとしても感性は異なるもの。


「……」


 暫し、闇の中で見つめる。

 口を開き、果実を近づけてみるも、寸前の所で押し込む腕が震える。吐き出される吐息が反射し、鼻腔をもくすぐった。


「おわッ」

「ッ?!」


 石にぶつかり、車輪が跳ねたか。

 互いの姿勢が崩れ、スレイブがムクロドウジの背中を押す。

 それは口元付近にまで近づいたリンゴが無理矢理押し込まれることも意味する。ダメ押しとばかりに突然接近してきた物体を前に反射で口が塞がれ、振り下ろされた歯が挟まれたものを噛み砕く。

 口内に溢れる淡い味わいの果汁に、少女は思わず目を見開いた。


「んだよ、車輪が引っかかったか?」

「……」

「なんか出してたみたいだけど、大丈夫か。ムクロドウジ?」


 背後へ心配の言葉を投げるスレイブへ、少女は動揺を隠すことなく口を開く。


「もっと、濃い味付けが好み、だな……私は」

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