第18話『治療』

「なぁ、おい。まだ動いちゃ駄目なのかよ」


 悪態を一つ。

 スレイブはベッドで横になっていた。

 毛布の身体に優しい柔らかさに心地よさを覚え、蓄積した疲労が解け落ちていく。気を抜けば、意識がそのまま深淵へと沈んでしまいそうな程に。

 擦過傷の酷いシャツは脱がされ、上半身裸の状態から傷口を覆う形で包帯を巻かれている。首を回せば壁に立てかけてある大盾の存在が確認でき、それがスレイブに安心感を抱かせた。

 首を反対に回せば、椅子に腰を下している女性が一人。


「だ、駄目ですッ。だだだだって店長がまだ動くなって……!」


 店先でムクロドウジ達を誘導したポニーテールの女性、アイイシは声をどもらせて反論する。

 店長とはゴブーリンを追う過程で話をしたが、彼女とは今回が初対面。そして彼の上司が焦りから必要以上に高圧的な態度で接したせいで、スレイブに対しても恐怖を抱いていた。


「そそそ、それにあの傷はおかしいですよッ……なんで、傷口とは別に火傷痕があるんですか……?」

「あれはまぁ、荒療治の類ってことで一つ。あんまり血を流したくなかったんだよ」

「荒療治ってレベルじゃないですよッ。ひひ人ってショックでも死ぬんですよッ?!」

「へー」


 医療に関する知識は深いのか、アイイシの言葉にスレイブは関心を覚えた。

 思い返せば、包帯を巻いたのも彼女ならば簡単な回復魔法を行使したのも同様。回復も一度火傷を完治させてから治癒力を高める、一般的な医療ギルドでも推奨される手法である。簡単な技術の普及は在野では回復魔法さえ行使すれば他の処置は適当でもいいという誤解を抱かれがちな、所謂回復魔法万能説と呼ばれるものを打ち消すのに一役買っている。

 手際の良さを疑問に思い、スレイブは疑問を口にした。


「なぁ、どこで治療に関してを習ったんだ?」

「へ?」

「いやさ、素人が付け焼刃でやったのとは訳が違うじゃん。その知識の出所が気になるなって」

「そそそれは……その、こう……」


 両腕を正面で乱雑に振るうアイイシ。

 何かやましいことでもあるのかと疑問を抱くが、別にベッドで横になり続けるよりも建設的なために聞いただけで無理に話して欲しいという訳でもない。

 故にスレイブは右手を上げて手首をスナップさせると、ベッドから上半身を起こした。


「だだだだから、起きないで下さいよぉッ」

「大丈夫大丈夫。俺、こう見えて人間じゃねぇし」

「は?」


 アイイシは理解が及ばず頭上に疑問符が浮かぶばかり。だが、スレイブからすれば鬼族の混血体キメラであることは事実であり、人間離れした再生能力も既に一端を垣間見ている。

 自然治癒に任せていては逃走が叶わないから傷口を焼いただけで、前提が変われば取るべき択も変わる。

 カーゴパンツは着用したままのため、壁にかけてあったマントで上半身を隠してスレイブは取っ手を掴む。道中、アイイシからの指摘は完全に無視して。


「痛む様子もないし、問題ないでしょ」


 扉を開くと、そこは異世界であった。

 鼻腔を刺激する強烈な酒気と紫煙。天井に備えつけられたミラーボールが発する視界に悪い紫の明かりが明滅を繰り返してカウンターやテーブル席、料理を運ぶウエイターを照らす。店内にいる客や彼らに着いて酒を注ぐ従業員も当然輝きの影響を受け、注がれる透明の液体が光を反射して幻想的な色味を与える。

 客と従業員、或いは客同士の会話で店内は賑わい相応の騒がしさを発揮した。

 にも関わらず、店長はスレイブに気づいたのか。右手を上げて海藻のように手を振る。


「……結構、人いるんだな」

「そそそそそ、それはもう皆び……美人さんですし……て、店長目当ての人も沢山、ですし……」


 横に立つアイイシの言を元に再度見てみれば、確かにカウンター席で酒の調合をしている店長の周囲には沢山の客が我先にと押し寄せていた。

 他の従業員も個人目当てで足を運んだ客が散見するのか、平均して二、三人は相手しているように思える。

 その中でも異質なテーブル席が一つ。

 長椅子を埋め尽くす五人の男が一人の少女を囲んでいる。その周囲にも背もたれに寄りかかって三人はいるだろうか。彼らはゴブリンやドワーフが大半で、囲む少女も小柄なはずなのに遠近感覚を狂わせる身長差を見せた。

 そして、羞恥の念で白磁の肌を紅葉させた少女には見覚えがあった。

 スレイブは口端を上向きにして少女の席へと歩みを進める。


「どうしたよ、ムクロドウジ。気でも変わったか?」

「す、スレイブか……お前、代われ。私の部下だろう……?」


 肩を狭めて居心地悪そうに左右へ目配せする少女の姿は、鬼族の部隊を率いる長にも戦場で見せた獰猛な姿にも似つかわしくない。駐車場での戦いが狂犬だとすれば、今の彼女は怯えた小動物。

 身に纏う衣が桜色の、温厚な色味なのも印象を加速させた。黒い巻き角は着用する衣服から浮いてこそあれども、印象を覆すことは叶わない。

 怯えた声音で助けを求めた小動物を切り捨てる趣味はないが、かといって代替が効かないのではどうしようもない。


「いやいやいや、俺じゃあお客様は喜ばんでしょ」

「どうしたんだい、キミは。新人君の付き添いかい?」

「ご心配なく、ちょっと働いてる様子が見たかっただけですから。後は皆さんでごゆるりとお楽しみ下さい」

「そいつは助かったよ」

「や、待てスレイブ……!」


 腕を伸ばして助けを懇願するが、スレイブ自身もサービスするのが少女からいきなり男になれば店への評判を落とす。店長への迷惑を思えば、彼女に一任するのが最適である。

 喉を鳴らして歩くと、次に向かう先は適当なテーブル席。

 酒の勢いで外の様子を暴露してくれないかと期待して、意味もなく旋回を繰り返す。


「今日は歯車旅団って有名ギルドのメンバーがウチの武器を物色してくれたんだ」

「全く、ドラゴニュートってのは武具の重要性を分かってないからいかん!」

「ねぇ姉ちゃんよぉ。もう一本、葡萄ぶどう酒開けてくれねぇかい?」

「今日の竜種騒動の裏、話しちゃおっかな~?」


 お目当ての情報を発見し、スレイブは怪しまれないように自然な風体で無人のテーブルに寄りかかる。幸いにもそこは食器が散乱しており、片づけにきたという体で誤魔化せばいい。


「え~、気になります~。ゴッブーリンさーん?」

「そうだな~、そこでお偉いさんが倒れてたんだけど~、その人の発言が妙なんだよね~」


 ゴッブーリンと呼ばれた男性は守秘義務という言葉を知らぬかのように立て板に水を流す。

 国としても大問題だろうが、酒の勢いというものはそれだけ恐ろしい。歯車旅団の団長も過去に何度守秘義務寸前の暴露で王国から厳重注意を受けたことか。

 微かに肩を震わせて、スレイブは盗み聞きを続行する。


「翼がどうとかだから竜種飛来で頭おかしくなった、って感じで見られてるけどさ~。にしても刃がどうとかで、な~んかおっかしいんだよね~」

「きゃ~、なんだか怖~い!」


 女性の言葉はわざとらしく、平静であらば演技だと感づいていたかもしれない。が、酒に酔い理性の蓋が緩まった状態ではオーバー気味の言動にも気づかない。

 人手が足りないのか、テーブル席の食器を片づけにくる様子は窺えない。店長は新規層開拓に勤しんでいたが、まずは裏方の人材を充実させるのが先決なのではと思う。


「それで警戒してる連中は人の手の可能性も検討してるってよ……ま、俺はそんな真面目に働かねーけどね!!!」

「きゃ~、ゴッブリーンさんったら不良~!」

「仕事よりもアサガオちゃんに合う時間を大事にしたいからね~」


 〆は惚気か。

 心中で毒づくと、スレイブはテーブル席を後にした。

 店は賑わいを深め、今もまた出入口から新たな客を内に溜め込む。

 スレイブの歩みはカウンターの客を捌いて一息つく店長の下。


「治療の礼だ、テーブルの片づけくらい手伝うぞ」

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