第17話『恩義』

 酒場、堕天の誘い。

 ゴブドルフ連合国の一角。ドワーフの居住区側の地下に居を構える本店は、エルフが従業員の大部分を占めている。

 見目麗しさが種族特性に数えられる彼らは恵まれた美貌を存分に発揮し、更に同業者の少ないドワーフの居住区に於けるシェアを独占。結果的にゴブドルフでも有数の繁盛を見せていた。

 今は昼故に開店こそしていないが、夜の開店時間に向けて店先の清掃を行っている。

 太陽に反射するプラチナブロンドの髪を後ろで一纏めにし、身に纏うは深い藍のドレス。何重かにかけて巻かれた布地は女性のプロポーションを克明に反映し、後ろで蝶を描く結び目が幻想的な翼を連想させる。

 女性の名はアイイシ。

 エルフの母とドワーフの父を持ち、二人を楽させるために先月から働き始めたばかりの新人にとって、顔ともいえる店先の清掃は大事な仕事である。


「こんにちは」

「こ、こんにちはですッ!」


 上擦った声で挨拶を返すのも、新人だからこその慣れなさ。

 手に持つ箒を器用に扱い、蓄積した埃を外へ流す。気分だけは子供の頃に見た絵本の中にいる魔法使いのように。

 疎らな人波に、徐々に甲冑を装着したゴブリンが混ざり始めたことも。幾度か大気が震えたことも。アイイシにとっては関係ない。

 新人は眼前の仕事にこそ、全霊を注ぐべきであり。


「店長はいるかッ、早く案内しろ!」


 不意に怒鳴り散らかしてくる少女の圧は、新人が対処すべきではないクレーマーを思わせた。


「ヒッ……で、でもまだ開店時間じゃ……!」

「早くしろッ!」

「わ、分かりましたッ!」


 血走った瞳の放つ圧に負け、店へ続く扉を開く。

 とはいえ、店へと続く階段は長い。クレーマー少女はともかく、その背後で共に階段を降りる大盾を所持した少年には少々辛いかも知れない。

 外気は寒いくらいにも関わらず、額に大粒の汗を垂らし、ともすれば壁に寄りかかりかねない不安定な足取りは見る者の不安を煽る。まして、二人が揃って裸足となれば、背後を歩かせるアイイシも気が定まらないというもの。

 クレーマーの歯軋りと左右の松明が数少ない音源となり、鼓膜を震わす。やや単調な音調ではあるが、自発的に語りかける余裕がないアイイシにとっては丁度いい環境音と言えた。

 後ろの二人を引き離すためか、知らず足取りが早くなる。

 普段の数倍は長いのではないかと感じる下り階段に、追随するクレーマー少女のみならず女性自身も焦燥から来る苛立ちが募る。

 早く。

 早く。

 早く早く。

 早く早く早く!

 駆け出したい衝動を抑えるのに精一杯なアイイシは、確かにこの瞬間、背後の少女の外見年齢にも劣らぬ生娘に戻っていた。

 永劫にも思えた階段の先、木製の扉を認めてなおも駆け降りなかったのは、不審な行動をどう解釈してくるか読めなかったがため。

 取っ手を掴み、万感の思いで捻る。


「店長ッ、急ぎのお客様です!!!」


 清掃作業中の店内に、アイイシの金切り声が響いた。



「……ひとまず、ウチで行える処置はやったわ」

「ありがとう、ございます」


 控室から出た店長は、カウンター席に座るクレーマー少女──ムクロドウジへ話しかける。彼女の表情は暗く沈み、眼前に置かれたコップへ口をつけることなく見つめ続けていた。

 礼の言葉は、どこかぎこちない。


「何があったかは、聞かないわ。言いたいっていうならぁ、話も変わるけど」


 家庭崩壊、身売り、死別。

 堕天の誘いで働く従業員の中には、公にしたくない事情を抱えている者も多い。店内に厄介事を持ち込みさえしなければ店長は寛大に受け入れ、表に出難い人材も従業員用の宿泊施設を併設して対応していく徹底振り。

 仄暗い事情を抱えた人物に慣れた彼女にとって、今更厄ネタが一つ増えた程度なら気にすることもない。


「心遣いに感謝します、店長。

 後、叶うならスレイブが完治するまで二日程度ここ居させて貰えたら……」


 図々しい要求をしている自覚はある。

 が、ガラハドを手放す気配のない彼を連れ回してセッカイの鍛冶屋にまで移動するのは困難を極めるだろう。馬車を頼る手段もあるが、流石に店間の移動に用いるのは抵抗を覚える。

 そしてムクロドウジは知らない。

 外では竜種への警戒で多くの兵が巡回していることを。彼らの何人かは、竜種の飛来という情報に懐疑的な見方をしていることを。


「それも構わないわぁ。いいえ、むしろ私としてはぁ、もっと長くいてくれても構わないわよ」

「……」


 店長の視線はムクロドウジを品定めするようで、フードで隠した顔から胸、腹を通過して足。全身に隈なく視線を這わせる。

 背筋に悪寒が走り白髪を揺らすが、今強く出る訳にはいかないことくらいは彼女にも理解できた。

 せめてもの抵抗としてカウンターへ突っ伏せるが、頬は僅かに上気している。

 鬼族として異質な出で立ちから好奇や奇異、嫌悪による視線には慣れたし、殺意によるものも戦場に浸る内に常となった。が、今店長が向けるような好意ありきのものには終ぞ縁がなかった。

 背中にむず痒い感覚を覚えて小さく縮こまるも、店長の追撃は止まらない。


「やぁっぱり貴女、向いてると思うのよねぇ。ねね、今日はどうせ動けない訳だし、手伝ってみないぃ?」

「そ、そんな訳……」

「あらぁ、やってもない内から諦めちゃ、何も出来ないわよぉ?」


 扇情的な、心地いい声音がムクロドウジの関心を引き出す。

 別に最初から完璧にやれ、ということはない。先にも述べた理由を改めて口にする。


「そぉれに、貴女なら今この店に足りない要素を補えるのよねぇ。ねぇ、一宿一飯の恩義と思ってさぁ?」

「恩義、か……」


 スレイブは仇敵の上司だと分かった上でムクロドウジを上司と定めた。

 その時には命の恩人であることを根拠にしていたか。

 仮に、ここで上司が恩義を無視するような輩だと判明した時、なおもスレイブは忠を貫くだろうか。それとも、自身を切り捨てて古巣へ帰るのだろうか。

 心の奥底がささくれ立つ。


「……った」

「ん?」


 最初に開いた言葉は、意味を持って伝えられる程に空気を振るわさず。

 故にムクロドウジは遠慮がちに視線を下して、再度口を開く。


「分かった、ここで働いてみるさ」

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