第16話『誇り高き竜腕、グゴ』
「我は誇り高きドラゴニュートの戦士にして首魁グゲの息子!
上空より飛来したドラゴニュートが大気を震わせ、名乗りを上げる。
体躯と比して一回りは肥大化した左腕は、グゴの異名を象徴せし堅牢な竜麟を煌めかせて地面に突き立てられる。全体的に赤系統の色味を帯びた体皮は、凄絶な黒を刻む地面から乖離し、だからこそ眼前の二人を睥睨する黄金色の瞳を強調した。
右に掴む木製柄のハルバートの切先で指し示すは、白髪を風に揺らすムクロドウジ。
「我は貴様が屠った戦友の魂の名誉のため、ここに決闘を申し込む!」
「ここで決闘か……面白い」
口角を吊り上げ、戦意を高揚させるムクロドウジであった。が、流石に最上級魔法を行使した直後とあっては、魔力も体力も相応の消耗を強いられる。
左手の魔法が解け、平時の手の甲をぶら下げるのもそのため。
だからといって今はキツイから後日にしてくれといって、通じる相手とは微塵も思えない。つけ入る隙を与えれば、際限なく詰めてくる手合いであると本能が警鐘を鳴らしていた。
力なく金棒を持ち上げ、飛来したドラゴニュートを指し示す。
すると横から割って入ってきたのは、灰の髪を無造作に伸ばした少年。スレイブ。
「スレイブ、いったい何を……!」
「俺はお前の部下、なんだろ。だったら上司が働いた次は部下の番だろ」
冗談めかして頬を吊り上げるスレイブは、視線を追い抜いたムクロドウジから正面のグゴへと移す。
お前もそれでいいよな、と視線だけで主張するも相手は喉を鳴らして不満を現した。
「我が戦友はそこな鬼族によって命を散らした。
なればこそ、敵討ちはその鬼族の首級を上げることでのみ達成される」
「だったら、言葉を変えるか。
アイツをやるなら、まず先に俺の首を掻っ切りな」
言い、右親指で自らの首を掻き切る。続けて切先を突き立てた地面からゴブリン相手に略奪した短剣を握り締めると、手元で一回し。
「それにドラゴニュートってことは森の前で哨戒してた連中のことだろ。なら仇は俺だ」
駄目押しにこれ見よがしに晒すは、歯車の刻まれた大盾。
ムクロドウジを仇と認識した辺り、どのような連絡体制を取られたのかは把握できない。が、大盾のような分かりやすい象徴は優先的に通達しているはず。
彼の予想は当たり、グゴは顎に手を当て思案する。
とはいえ、今すぐにでも逃走したいのがスレイブの本音。いつ竜種討伐の任を帯びた本隊が来るかも知れぬ中、悠長に構えている余裕はない。
「おいおいおい、さっさと決めてくれよ。こっちは時間が惜しいんだよ。折角の決闘に水刺されてぇのか」
「……ふむ、良かろう。主君を守る貴様の心意気を買った」
グゴは左手を地面に添えた三点姿勢で構え、突撃の機会を図る。
交渉成立と読み、スレイブも大盾を正面に構えて迎撃の姿勢。
一陣の風が吹き抜け、互いの間を一枚の紙が舞い散る。
元々はどこかの壁に張られていたのか。不規則な動きで上下左右を飛び回り、やがて浮力を失って落下する。
「参る」
地を滑る紙を合図に端的な宣言が投げられ、グゴは風となる。
「ッ……!」
ガラハドに走る甚大な衝撃に、スレイブは両足を踏ん張り半身の身体を押し当てて耐え忍ぶ。が、彼の肉体は耐えても足場たる地面の強度が持たない。
身体が後方へ押し込まれ、足元には前方へ伸びる轍。
背後には駐車場と歩道を分かつ壁が立っている以上、押し込まれ続ければ最悪人肉サンドイッチが完成する。故にスレイブは間髪入れずに、ガラハドの覗き穴へ短剣を突き刺す。
「そらッ」
相手も剣に貫かれてまで押し合いをする気はないのか、切先は空を貫き同時に圧力も消え去る。
ガラハドを退け、スレイブは視界を確保。正面からやや外れた左斜めに旋回するドラゴニュートの尾を見出す。
馬車はすべからく薙ぎ払われたため、身長の一、五倍近くあると言われる翼の羽ばたきを遮る物は皆無。更なる推進力を得たグゴの肉体は矢となりてスレイブの視界から外れる。
そこからのスレイブの動きは殆んど直感によるもの。
素早く身を翻すと、背後にガラハドを展開。刹那に全身へ破滅的な衝撃が走った。
「今のを防ぐかッ。実に良し、相手にとって不足なしッ!」
「そ、りゃどう、もッ!」
左腕を中心に蓄積した魔力を開放し、瞬間的膂力でグゴを弾くと、次いで足場を破裂させて跳躍。姿勢の崩れた所を狙う。
左手で短剣の腹を撫で、刻まれていた魔法を解禁。刀身に炎を走らせる。
グゴも翼をはためかせて勢いを殺し、迫るスレイブへ備えた。反射で突き出されたのは、竜腕の異名を持つ左腕。
鍔競り合うは瞬きの間。
「何ッ?」
驚愕の声を上げるはスレイブ。
獰猛な爪と衝突した瞬間、刀身に蜘蛛の巣の如き亀裂が走ればそれも当然のこと。ましてや、硝子細工のように得物が砕けては対応も遅れる。
鋭利な一撃がシャツなど意にも介さず肉体を抉った。
「つッ!」
「刀剣など所詮は鈍ッ、我が竜腕を穿つことなど夢想と心得よッ!」
更なる追撃の気配を感じ取り、咄嗟にスレイブは柄のみとなった短剣を投擲してグゴの意識を逸らす。
甲斐あって着地こそ叶うものの、たたらを踏み足元に疎らな血を垂らした。
「スレイブ!」
「大丈夫大丈夫、心配には及ばんよ……!」
切創は胴体の中心付近から左脇腹へ沿って深々と。滴る血量からすれば、人間ならば致命傷だったのだろう。
ゴブリン共から漁れば別の短剣を入手することも叶うだろう。しかし背を向けて駆け出せば、間違いなくその隙にトドメを刺される。その上、あの左腕は誇張抜きに竜種の肉体と同等。なれば上級魔法すらも難なく耐える鱗を切り裂くにたるだけの武器が要求される。
たかだか国家間の戦争如きを想定した武装に、生物の頂点に傷をつける威力など過剰にも程がある。
「アロンダイトか……いや、その隙にやられるな……」
「何を小言を繰り返しているッ。来ぬというならこちらから……!」
不意に、グゴの言葉が止まる。
乾いた金属音を放つガラハドによって。
視線が大盾の側に転がる短剣へ。そして短剣が描いたであろう軌跡を経由して駐車場の端、皮肉にもムクロドウジの放った魔法によって馬車から抜け出せた質のいいスーツを汚したゴーブリンへと注がれる。
「チッ、外したか……ならば、もう一本……!」
彼としては単なる報復以上の意味はない。
スレイブとムクロドウジの二人によって右足の膝から先がプレスされ、金持ちの真似事として雇用した赫緑は壊滅的打撃を受けた。逃走手段を潰された以上、彼の破滅は決定づけられたも同然。
ならばせめて道連れにと、第三者への意識が逸れていたスレイブを標的に定めただけの話。
しかし、聞くも悍ましき愚行を、一対一の決闘を穢す行為をグゴは許さない。
「決闘の意すら介さぬ愚物が……」
吐き捨て、グゴが飛翔する。
刹那の合間に距離を詰め、力任せに振り下ろすはハルバート。
竜腕で命を断つ誉れすら、決闘を穢す愚物には過ぎた褒美。なればこそ、己が信を置く肉体ではなく重鈍な刃による幕切れが相応しい。
眼前に迫る死にゴーブリンが気づく様子はなく。
「……何の真似だ」
甲高い音を立て、ガラハドが遮った理由にも検討がつかない。
「決闘の最中、だろ。余所見すんなよ、なぁ……!」
グゴからの問いかけにそれらしい回答を述べるスレイブであったが、別に本心ではない。
目撃者不在を想定すべき状況で、長官死亡という事実を残すのは危険過ぎる。ただでさえ、ガラハドに張られた簡易封印魔法は幾つかの衝突で破られているのだ。これ以上心証を損ねる要素を付け足す訳にはいかない。
力比べの様相を呈する中、不意にグゴが一歩引き、距離を取る。
「興が削がれた……後日に仕切り直そうぞ」
「後日って、友達感覚で会える仲でもないだろ」
「貴様らはいずれ我らが拠点に攻め込む算段であろう。ならば、対峙する機会など如何様にもなろう」
「ハッ、カンが優れていることで」
グゴの予想に肩を竦めるスレイブであったが、ムクロドウジはきっとそうする。それは彼の抱いた確信にも近い感覚。
大きく翼がはためくと、ドラゴニュートの肉体は遥か上空へと飛翔する。
「我が名はドラゴニュートの誇り高き戦士グゴ、貴様の名はッ?!」
「スレイブ……ただのスレイブだ」
「その名、我が胸中に刻もう!」
中空に静止していた姿が、再度の羽ばたきで消え去る。正確には黒点程度には捉えられていたが、輪郭を失っていては視認しているというのも嘘であろう。
張り詰めた空気が和らぎ、次第に身体から体温が抜け出す感覚が虚脱を煽る。
だが、今意識を手放せば全てが終わる。故にスレイブは舌を軽く噛み、鈍痛で意識を保った。
「ムクロドウジ……催眠系の魔法は使えるか……?」
「意識と記憶を濁す程度の初歩的なものなら」
問われた少女は思案する素振りも見せずに即答。
意識を保って会話を続けるだけで神経を擦り減らすスレイブにとって、短い応答は非常に助かる。
「だったら生きてるゴブリン共から、俺達の記憶を消しといてくれ……」
「はぁッ。そんなことをしたら骨折り損だろッ!」
「この事態を誤魔化せる、なら安いもんだろ……通信魔法が回復すれば、セッカイの店も立て直せる……うん」
ムクロドウジの怒号へ冷静に返すと、スレイブはガラハドに寄りかかった。
全身に悪寒が走り、腹の底から寒気が湧き上がる。
鬼族の回復力が為せる業か、既に傷口は再生を開始している。それでも滴る血量は尋常ではなく、人間の身で耐え切れるものではない。
だからこそ痛みを押して身体を動かすと、ゴブリンの短剣を握り締めて魔力を通した。
「よし、魔法は使えるな」
「何をする気だスレイ……おいッ!!!」
「ッッッ……!」
奥歯を噛み締め、ムクロドウジが静止を言い終わるよりも早く炎刃の腹を傷口へと押し当てる。
肉を焼く不快な臭いと音が鼻腔と鼓膜を刺激し、灼熱の激痛が全身を駆け巡る。口を開けば大気を震わす絶叫を上げかねない所を、奥歯が砕けんばかりに力を込めて戒めた。
見開かれた青の目からは一筋の涙が流れ、額には脂汗が球を描く。
突然気を違えたとしか思えない行為に、ムクロドウジも声を荒げて距離を詰める。ゴブリンにかけるよう言われた催眠魔法に関しても、後回しにして。
「馬鹿なのかお前ッ、正気かッ?」
「仕方、ないだろッ……血痕で追われたら、面倒だ……!」
「だからって!」
「緊急、措置だよ……しゃあないだろ……」
戦場で怪我を負った際、アルコールによる洗浄が望めない場合には焼いた方が結果的には症状が軽く済む。歯車旅団に所属していた頃に聞いた話だが、身体を襲う血液が沸騰しかねない激痛はデマを吹き込まれたのかと疑う程。
後はガラハドを一旦ムクロドウジが有する空間に収納して貰えば、離脱の準備が叶う。
己が信を置く得物を手放すことに抵抗はある。が、背に腹は変えられず、今の状態で運ぶよりも余程現実味がある。
「後はこれを……あー……」
「その盾をどうしろと?!」
続くべき言葉を告げられず、スレイブは視線を逸らす。
何故だろう。
ガラハドをムクロドウジに、否。自分ではない誰かに預けることへ強い忌避感を抱いている。一時的にでも手放すことが最善手であると頭では理解していても、感情がそれを妨げた。
ゴーブリンを待ち伏せしていた時には感じなかった感覚に小首を傾げるも、背けるかと問われればそれも否。
遂に怒鳴り始めた少女へ、纏まりのない声を吐く。
要領の得ない少年への怒気を重ねる様に危機感を抱き、咄嗟にスレイブは前言を撤回する。
「あー……やっぱいいわ」
「だったら少しでも休んでろッ。催眠魔法は集中力を使うんだッ!」
ゴーブリンの前で指を回すムクロドウジは、眉間に皺を寄せて明確な苛立ちを露わにしていた。
「チッ。さっきからどうなってんだ、この状況はッ?!」
時間は大気が何度目かの震えを見せた頃へと多少遡る。
石造りの道路を走るバーディストは、度重なる大気の震えごとに苛立ちを募らせながら足を止める。テンガロンハットを抑え、身を低く屈める様は周囲の崩落を警戒してか。
側には黒衣のマントを羽織り、バーディストと同様に身を低く構えるミコトの姿。
二人は緊急避難警報が発令されてから、急いで発表された場所へ向けて駆けていたのだ。
目的は単純至極、飛来したとされる竜種の真偽を確かめるため。
もしも本当に竜種が到来したのならば、軍と協力してその撃退に努めよう。城壁を起点に展開された結界を破る程の竜種は、いずれフォルク王国への脅威にもなり得るのだから。
「しっかし、竜種が来たってのは本当なのかねぇ。その割には雲が続くけどよぉ……?」
上空から竜種が飛来した際、往々にして雲を引き裂き地上へと到来する。彼らの支配する場所は雲の遥か先であり、そこから地上へと帆を向ければ必然的に裂き目が生まれる形になるのだから。
ところが、バーディストが上空を見上げてみても黒煙を穿つ穴こそあれど、何不自由なく揺蕩う雲に異変はない。
竜種が雲の下を飛翔することはある。
故に違和感の域を脱することはない。だからこそ、バーディストは確認の意味も込めて慣れない足を運ぶのだ。
「……焦げ臭いな、そろそろか」
「……」
「おーい、ミコト。いつまで下向いてんだよー?」
「……あ、ゴメンなさい。バーディスト」
共に走るミコトへ声をかけると、彼女は沈鬱な面持ちを上げて応じる。その表情に、強行偵察の出来事を引きずっていることを見出すのはギルドメンバーならば容易い。
目の前の仕事に集中できているか怪しい状況に、バーディストは帽子を深く被り目線を隠す。
「今から竜種ないしそう誤認される化物とやり合うんだ。少しはシャキッとして貰わねぇと困るぞ、流石に」
「……ゴメンなさい」
「謝罪よりも集中よ、集中!」
バーディストが冗談めかしてわざと大口を開けて語ると、進む道の先に黒が混じる。
襲来した何者かが暴れた痕跡であることは明らか。二人は進む足取りを早め。
現場の惨状を目撃した。
「んだ、こりゃ……!」
「……!」
駐車場と思しき場の中心には爆心地を彷彿とさせる穴が穿たれ、穴から離れるに従って地面を黒が支配する。壁面に押し寄せられている馬車や馬、そして銀甲冑を纏ったゴブリン達は児童が乱雑に玩具を部屋の隅に追いやり、それで片づけは終わったと主張する様を彷彿とさせた。
当然、玩具の状態にまで意識が注がれる訳もない。
鼻腔を刺激する噎せ返る程の血と肉、それらが焼き焦げた臭いは強烈なまでの死を生者へ印象つける。
結界を破壊する者が成すに相応しき惨状に、バーディストは絶句し、ミコトに至っては言葉を失う。
生存者を探す行為に無為を覚えるが、微かに零れた呻き声にミコトの身体が動く。
「つば、さ持つ者……天より降りて、振るう刃は……人命を、裂く」
「意識がある、でも何を言ってるの……?」
意味の分からぬ戯言。もしくは突然の出来事に精神が異常をきたしたのか。
ともかく、貴重な生存者を介護すべく、ミコトは懐に備えてあったポーションを取り出した。
そこにいたはずの大盾を持った少年の血痕に、気づくことなく。
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