第15話『雷獣』

 赫緑かくりょく

 ゴブドルフ連合国の主要産業である傭兵業に於いて、他国にまで異名を轟かせる最精鋭部隊。

 ドワーフが技術の粋を集めた最高級品質のセラミックプレートと楔帷子くさびかたびらによる複合甲冑、厚さ一センチのセラミックプレート切断を前提に研ぎ澄まされた剣に装甲と取り回しを高次元で両立した盾。

 それらにエルフが三日かけて施した三重の付与魔法、更に上から覆う静止魔法による強固な保持性からなる攻撃性能と防御性能の両立。そして剣には単純な性能だけではなく術式を刻むことによる炎の追加。

 強力無比な武具を纏うは、小柄で敏捷性に優れたゴブリンの中でも選りすぐられたエリート達。

 戦の事前準備に於ける全ての前提を高次元で纏められた部隊は、傭兵として戦地へ赴く度に銀甲冑を鮮血で染め上げて帰還する。

 その様子を指して仇名されるものこそ、赫緑。

 ゴブドルフが誇る傭兵達の頂点に立つ存在である。


「ハァッ!」


 裂帛の勢いで迫る三人も、鬼族を相手に無為な突撃を敢行する訳がなし。

 先頭の二人は盾を前面に押し出し、少女の金棒を誘発。生まれる隙を残る一人が担う刃で討ち取る。

 確実な戦略の下、彼らは相手へと迫った。


「ヒハッ、面白いッ!」


 誤算があるとすれば、それは相手がムクロドウジであったこと。

 無造作に振るわれる金棒の一閃が禍々しい音を立てて空を裂き、二重の盾を紙障子同然に引き裂く。

 舞い散る血飛沫の先、驚愕に目を見開くゴブリンが血の如き赤の瞳と交差する。


「──主よ、主の意志よ。主が望みし刃の代行者よ」


 詠唱を待つことなく突き出される手刀は、正確に甲冑の隙間を撃ち抜き、ゴブリンの喉元を貫く。

 蛙の潰れた声を上げるゴブリンは、せめてもの抵抗にと弱々しくも剣を振るう。が、碌に力を込められない上、即座に反応したムクロドウジが金棒を押しつけたことで勢いをつけることも叶わない。

 金属の接触音も軽く、脆弱。


「我が身は主が剣なれば、我が身は主の敵を尽く引き裂こう。

 我が身は主が矛なれば、我が身は遍く主の敵を貫こう」


 小節を読み終えるごとに、詠唱が続けられるごとに。

 ゴブリンの首に突きつけられた左手を中心とした稲光が、周囲の石造りを焼き甲冑の表面を薄く焦がす。

 上級魔法の詠唱である程に、無警戒に接近すれば魔法を形成する事前の現象に巻き込まれて致命傷を負う。故に剣へ付与された火炎魔法を行使して遠距離戦に徹する。

 が、ムクロドウジの周囲で荒れ狂う稲妻に迎撃され、一撃たりとも有効打とはなり得ない。


「主よ、偉大なりし万物の父よ。森羅万象を担う栄光の王よ。

 我が身を介して顕現せよ、主の意向。主の願望よ──

 雷石纏いし主の爪牙ライズ・フロム・ヴィシテイション


 空気が弾け、左手に突き刺さっていたゴブリンの頭部が胴体から弾け飛ぶ。

 解き放たれた稲妻は盾に弾かれ有効打とはなり得ない。が、彼女が唱えた魔法は言わば付与魔法の一種。

 光の奥で徐々に輪郭を取り戻した左手は、大きく変貌していた。

 一回りは肥大化し、外皮は岩石の如く硬質さと荒々しい皮膚を晒す。一方で五指が見せるは、雷を閉じ込めた原石の無骨な煌めき。

 手の甲に刻まれた亀裂より溢れる輝きは、内に秘められた魔力の一端か。


「さぁ、残らず食い散らかしてやる……かかってこい」


 身体に溜まった熱を白煙として吐き出し、ムクロドウジは目を見開く。

 獲物は選り取り見取り。

 振るえば振るうだけ命を喰らえる極上の戦場。心臓の高鳴りを抑えることなど、出来ようはずもなし。

 背後で甲冑の擦れる音が鼓膜を揺さぶる。


「ヒハッ!」


 歓喜の哄笑を上げ、振り向き様に振るわれる爪が稲光を伴って胴体の甲冑を引き裂く。弾ける鮮血すら焼き焦がす熱量は、耳鼻に不快な感触をもたらした。

 続くは左右から迫る二体。

 緩急をつけた連携は、安易に両腕を伸ばしたところで片方を打ち損じるだろう。

 故に石造りの地面に亀裂を走らせ、まずは左へ爪の一閃。


「ゴ、ガギッ……!」


 盾と剣を交差させ、致命傷を避けこそすれども、防壁諸共に左腕が喪失すれば激痛が伴う。歯を食い縛って地面を踏み締めると、刀身の欠けた剣を突き出した。

 咄嗟の一撃ではあるが、眼前の獣には通用しない。

 素早く身を屈めて回避されると、振り上げられる金棒が顎ごと甲冑を吹き飛ばす。

 ゴブリンが意識を刈り取られる寸前、口角を吊り上げたのは少女の背後と目が合ったが故。

 突き出される刃に炎を宿し、狙うは無防備な背中。

 今更回避は叶わない。横から見ていたスレイブが声を上げかけたのが何よりの証左。


「ムクロドッ……!」

「分かってるッ!」


 怒声で遮った少女は、振り上げていた金棒を避雷針代わりに己が身に落雷を誘導。けたたましい轟音の下に接近していた刃諸共にゴブリンを焼き尽くす。

 衝撃に押し負けぬよう腰を下げて踏ん張る赫緑部隊の背後で、駐車していた馬車が砕け散り、馬が盛大に地面を擦る。

 そして激しい光の明滅に目が慣れぬ内に、獣は蠢動。


「ヒハハハァッ!!!」


 振るわれる爪が鮮血で地面を彩り、握られる金棒が血肉を啜る。

 足を中心に収束させた体内の魔力を弾けさせ、瞬発力を上昇させたムクロドウジは閃光の速度を以ってゴブリンの精鋭を肉塊へと変換していく。


「あの赫緑が、これが鬼族の力なのか……」


 歯車旅団内でもゴブドルフの最精鋭部隊に関してはスレイブも耳目にしていた。当然、その鮮烈なまでの活躍も。

 敵に回せば甚大な脅威となる存在が、たった一人の少女によって蹂躙されている。混血体キメラとなる以前ならば夢想すらしなかっただろう事態に、味方ながら額に冷や汗を浮かべた

 己が身に流れる血の一部が彼女のものとは信じられない一方、身体の内より湧き上がる感情は眼前の惨劇を是とする。

 ひとまず護身の意味も込め、死体から剣を一本回収。

 小柄なゴブリンが担うことを前提としているため、刃渡りは短い。彼の体躯では短剣にも等しいが、贅沢を言える状況でもなし。

 数度腕を振るって感覚を確かめた。


「いいもん使ってるな。手に馴染む」


 少女が検問を潜り抜けて得物を持ち込んだ事実から目を逸らすように、スレイブは拾ったばかりの剣へ視線を注いだ。

 少し目を離している間にも、状況は加速度的に進行する。


「どうしたんだ最精鋭ッ。私はまだまだ健在だぞッ!!!」


 興奮のままに振るわれる爪と金棒が、血飛沫を舞い散らせ屍を量産する。

 そこに一つとして原形を留めたものはない。全てが五指に引き裂かれ、金棒に吹き飛ばされ、稲妻に焼かれる。ベッドの上で眠るに数段劣る末路は、国のために傭兵業を続けた業としてはあまりにも惨たらしい。

 大気を震わす爆竹染みた大笑も、彼らにとっては最早耳元で囁かれる死神の声に等しかった。

 そして一部始終を馬車の背後で見ていたゴーブリンは。


「あ、あぁ……誰か、あぁ……!」


 幾つかの衝撃で吹き飛ばされた馬車に足を潰され、逃げるに逃げられない状況に追い込まれていた。

 視界に映し出されるは、死の体現とも称すべき少女による蹂躙。

 国が誇る最精鋭が成す術なく薙ぎ倒される破壊劇。焼きついた血肉の臭気が吐き気をこみ上げさせるも、身動ぎすることにさえ恐怖を抱かせる中では無理矢理飲み込まざるを得ない。

 ドワーフとエルフの通信魔法に干渉し、内容を改竄。鍛冶と付与魔法で提携を結んでいる店の経営を悪化させる一方で、両立させている店には便宜として多額の賄賂を受け取る。中央通信局長官の地位につくからこそ叶う悪事に、気づくものなどいるはずもない。

 ゴーブリンが抱いた過信を嘲笑うかのように、足を中心として激痛が駆け抜ける。


「助けて……誰か、金なら好きなだけ、払う……!」


 彼が溢す嘆きも、夥しく積み重なる死に呑まれ意味を失う。


「ヒハッ、ヒハハハッ!」


 雷を内包した爪が地を抉り、掬い上げる形で甲冑諸共にゴブリンの全身を切り裂く。

 急速に失われる意識の中、せめて一矢報いようと投げられる剣も、横一文字に薙がれる金棒が粉微塵に破砕。直後に感じ取った殺意に従い真横に飛べば、数刻前までいた場所を飛来する炎刃が虚空を裂いた。

 流石に数が多い。

 殲滅が不可能、とまでは言わないものの騒ぎを聞きつけたギルドや軍に介入されれば、不利となるのは自分達である。

 額から汗を流し、思案したムクロドウジは数度跳躍すると駐車場の塀へと着地した。


「囲え、囲って炎刃による遠距離戦で削るぞ!」

「不用意に距離は詰めるなッ。アレの速度は我々を凌駕している!」


 警戒は最大限。

 一拍置かれたことで、赫緑部隊は互いに現状への認識を共有する。

 だからこそ、おもむろに左腕を伸ばしたムクロドウジへの反応が遅れた。


「──主よ、主の意思よ。主の意向告げし代弁者よ」

「詠唱ッ、マズイ!」


 失策を咎める時間も惜しいと、次々に刃が振るわれ焔が飛び交う。

 人一人を炎上させるには過剰な熱量が少女の下へと殺到し、その尽くが少女を中心に巻き起こった稲光に遮られる。

 余剰魔力により鉛の如く重く、息苦しくなる中で動揺を示したのはゴブリンのみに非ず。


「おいおいおい、これやべぇだろ。ちょっと待て、ムクロドウジッ!」

「主の権能を持ちて、この地を永劫に照らしたまえ。

 絶えざる光持ち、不浄なる世界を灌ぎたまえ」


 静止を訴えるスレイブに耳も貸さず、詠唱を重ねるごとに大気中に稲光が瞬く。甲冑を撫でる光は徐々に熱を帯び、やがて銀を焦がす。


神咒かじりを唱えよ、尊き名を。

 神威かむいに呑まれよ、長く深く。

 神楽かぐらを舞われよ、讃え呼ぶべく」


 駐車場全体が青白く照らされ、ナニカの到来を予見させた。

 炎を宿していた剣は莫大な魔力の干渉も手伝って熱量の限界を迎え、切っ先から僅かに鉄を流す。物体の時を静止させる付与魔法も、出鱈目極まる魔力の前では法則そのものが乱され崩れる。

 震える大気は恐怖に怯えるが如く、鳴り響く地鳴りもまた地面が上げる悲鳴に等しい。


「主よ、主の権能が一片よ。永劫の刻を主の御座へ届けよ──!

 振り下ろす権能の名は雷鳴ロッズ・フロム・セイヴァ


 魔法の名が唱えられた刹那、世界から音と色が掻き消えた。



『……し放送します。緊急避難警報、緊急避難警報が発令されました。上空の結界が破壊されました。竜種の飛来が予想されます。お近くの住民はいますぐ迅速な避難をお願いします。繰り返し、繰り返し──』


 静寂を破るは、上空から降り注ぐけたたましい警報音と同じ字句を幾度も読み直すアナウンス。

 意識を取り戻したスレイブは軋む身体を押して、盾にしたゴブリンだった燃え滓を拭い去る。本来なら払い除けるつもりであったが、右手で軽く触れただけで炭化した物体が原形を失って瓦解し、黒い煤が宙に攫われた。

 彼の視界に飛び込んできたのは、文字通りの地獄。

 地面には爆心地を中心とした円形に広がる黒が刻まれ、離れるに従って放射状の痕が克明な被害を窺わせる。更地と化した地点にも死体生存問わずゴブリンがいたはずなのだが、肉の一欠片すら残すことなく蒸発し、地面に刻まれた黒と同化したのだろう。

 周囲には塀に押しつけられた馬車や馬が内蔵物をぶちまけ、骸を晒していた。何人か赫緑部隊の銀甲冑が蠢く姿も覗けるが、痛苦に呻く声は即座に戦闘活動を再開できるかと問われれば、答えは否。


「聞いたかスレイブ。私の魔法はどうやら竜種のものと誤解されたらしいぞ、ヒハハッ!」


 帯電する空気の中、丈の短いパーカーをはためかせてムクロドウジは哄笑を繰り返す。

 咄嗟に付近のゴブリンを盾にしたスレイブはともかく彼女が無事なのは、魔法の行使者故か。もしくは左手が通常のものに戻っている辺り、余剰魔力を防壁にでも回したのか。

 いずれにせよ、彼からすれば大規模な破壊魔法など愚策の極み。


「っの馬鹿ッ。どうすんだよ、こんな滅茶苦茶に目立つ真似しやがってッ。大惨事もいいとこ過ぎるだろうがッ!」


 確かにゴーブリンは不正を働き、それを暴くためにスレイブとムクロドウジは活動していた。

 だが、それはあくまで私的に行っていた行為に過ぎず、国の一角に夥しい破壊痕を残していい訳がないのだ。まして、ただでさえ申請すべき武具の漏れまであっては、仮にゴーブリンから全てを引き出してもそれはそれとして逮捕の結末が脳裏を過る。

 しかし、肝心の少女は知ったことではないとばかりに顔に手を当て、天を仰ぎ見た。


「何を言うんだ、これでも抑えた方だぞ。更に抑えようものなら、行使する意味がない」

「じゃあ行使すんなよッ。どうすんだこれッ!」

「そんなの私が知る……か?」


 上機嫌となっていたムクロドウジの瞳に、何かが映り込む。

 雷によって払われた黒煙の先、無窮の青空に浮かぶ一つの黒点。

 最初は鳥かそれこそ竜種かと気にも止めなかったが、点は徐々に輪郭を帯びていく。

 雄大に広げた翼に人型のトカゲを思わせる体躯。しかして左腕だけが不自然に肥大化し、外皮の鱗も岩肌の如き荒さを持つ。

 目敏く研ぎ澄まされた眼光は、眼下の惨劇から目的を見出してぎらつく。

 翼が羽ばたいて数秒、駐車場に衝撃が走り、一体のドラゴニュートが降り立った。


「我は誇り高きドラゴニュートの戦士にして首魁グゲの息子!

 竜腕オリジン・アームの異名を持ちし、グゴッ!!!」

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