第14話『赫緑』
「おい、今の言葉はマジか?」
馬車の手綱を握る男性、バーディスト・ハピネイスは驚愕の声を上げて検閲を担当するゴブリンの言葉へ反応した。
テンガロンハットを被り、ノースリーブのジャケットの上から茶のポンチョを羽織った姿。一回り大きいズボンにウエスタンブーツも合わさり、男の体躯を把握することは困難であった。
伊達男、と呼ぶに相応な容姿の彼が、口を大きく開く様は滑稽ですらある。
それでも、バーディストは語気を荒げずにはいられなかった。
「もう歯車旅団の奴が入国してるだって?!」
「なんでそんなに驚いてんだ、新人っつって額に巻き角を生やした少女を連れてたぞ?」
「新人……グレイグの奴以降にはいねぇはずだぞ。デマこき散らかしやがって……!」
自身の所属するギルドの名を騙られている事実に歯軋りを鳴らす。ただでさえ人員に関して神経質なことが起きている上、横に座る黒衣の少女は特に影響が大きいというのに。
掴みかからんばかりに顔を突き出すバーディストに、ゴブリンは両手を振って拒絶を示す。
「そう言われても……俺はあくまで事実を伝えてるだけだぜ……!」
「じゃあ、そいつはどんな紋章を見せてきたッ。まさかそれもなく信じたとか言わねぇよな?!」
高圧的な態度で詰め寄るバーディストの態度は、見る者によってはゴブリンの言葉を信じたくないが故のものにも思える。
目を見開く姿に検閲の男はいつ腰の拳銃を引き抜かれるかの恐怖を覚えたが、だからといって事実を捻じ曲げる訳にはいかない。今否定してしまえば、それこそ手を出されかねないと。
故に彼は口にする。
歯車旅団という言を信じた根拠を。
「紋章ってのは歯車を掴む手だろ。ちゃんとあったぞ、馬鹿デカい盾につけたヤツがな」
「……!」
紋章の描かれた大柄な盾。
歯車旅団から喪失した武具に、ちょうど当て嵌まるものが存在する。
何の因果か、ゴブドルフ連合国で製造した大盾。鬼族の拠点強行偵察の際に見捨てられる形で消息を断った少年のものが。
大盾ガラハド。
「……スレイ」
バーディストの横に座る少女、ミコト・ヤマタは所持者の名を呟いた。
「そんじゃ、俺は一足早く帰らせてもらいますわ」
「はい、ゴーブリン様」
スーツを着込み、白の手袋で緑の肌を覆ったゴーブリンは早々に職場を後にする。トップとしての仕事は既に終えており、後は部下を信頼していれば椅子を温めるしかやるべきことは残っていない。
だからか、早退を申請しても部下に不満を抱かれることはなかった。
元々中央通信局長官を務める以上、休みを申請しても誰も文句を言わないだろうが、顔にも出さないのはそういうことである。
ゴーブリンは出入口へと足を進め、取っ手を捻る。
「風が冷たいな……もうそんな時期か」
吹き抜ける一陣の寒風が肌を撫でる。
身体が冷える時期には、アルコール度数の高い酒が合う。
遊びに使う資金の余裕が生まれた最近は、時期や食べ物に合わせて酒の銘柄を変えると味わいが深くなることを学んだ。
たとえば味の濃い料理の時には、それに負けない辛さや苦さを持ち備えた強烈な酒を。
反面、軽い度数の酒は深酔いしては困る状況に。
長官の座について十数年の月日が経過したが、そこで始めて酒の嗜みを覚えたというのも笑い話。だが、どれだけ歳を取っても新たな学びがあるというのは面白い。
「たかだか八十数年で何を知った気でいたのか」
自らの思考に突っ込みを入れ、ゴーブリンは周囲の家屋から一際大きな建物──中央通信局本部から隣接した駐車場を目指す。
平日の昼間ともなれば、道行く通行人の数も疎ら。
行きつけの酒場も開店には暫くの時間を有する。となれば、時間を埋める方法を模索する必要があろう。
「馬車で潰すのも、な……ん?」
駐車場へ到達すると、彼が保有する馬車の前に立つ男女が一組。
男は袖なしのシャツにカーゴパンツ。無造作に伸ばされた灰髪も相まってワイルドな印象を受け、左腕には身の丈程もある大柄な盾を握っている。
女は男と比較して一回り小柄で丈の短いパーカーにショートパンツ。開かれたパーカーの下にはサラシが巻かれ、そして白髪を掻き分けて右には黒の巻き角。
「中央通信局長官のゴーブリンはお前で、間違いねぇよな?」
男の言葉は挑発的で、ともすればいつ手が出てもおかしくない程に。
「そ、それはそうだが……従者をどうした?」
相手の質問に答え、ゴーブリンは馬車に待機していたはずの従者の安否を問う。
この時間帯に局を後にすることは事前に伝えていた以上、時間調整を間違えたとは考え難い。
彼の質問に答えたのは、魔族と思わしき角を生やした女。
「従者なら馬車の中で眠って貰ってるぞ。いつ起きるかはともかくな」
親指で指し示したのは、キャリッジと呼ばれる豪奢な装飾を備えた馬車。馬にも手を加えられたのか、朦朧とした意識の中で頭を左右に振っている。
明確に自らを狙った犯行に、ゴーブリンは一歩後退った。
「おいおいおい、逃げんなよ。ちょっとばかし聞きたいことがあるだけなんだからよぉ」
「そうだ、ちょっとドワーフとエルフの通信魔法について話があるんだ」
「お、おう……」
二人の高圧的な態度は疑惑などという生温いものではなく、犯行を確信した者へのそれと見えた。
そして事実として、ゴーブリンには後ろめたい部分があった。
「二種族の仕事間での不和だが、互いに主張が食い違ってるんだ。両者とも相手が報酬で不当な態度をしていると、な」
「……!」
女の主張に思わずゴーブリンは生唾を飲む。
派手なアクションで示してこそいないが、元々確信を抱いて接していた相手への疑惑を深めるには充分な仕草であろう。
事実として、男の方は徐々にゴーブリンとの距離を詰めてきている。
武術の類を習わず、魔の法に接する機会もなかった彼にとって、悪漢との戦闘など成り立とう訳もなし。男は赤子の手を捻る程度の労力で制圧することが叶うだろう。
故に彼は大声を上げる。
助けを求める声を。
「
「ッ?!」
声に従い、駐車場を取り囲む足音の波。
規律よく、単楽器を用いた音楽を彷彿とさせる一定のリズムで奏でられるは軍靴の音色。
天上で輝く太陽に反射する銀甲冑は、こびりついた血の香りとは反比例に清潔感が溢れている。フルフェイスのヘルメットから覗く緑の肌にすら一種の清涼感が漂うのは、エリート部隊という自負からか。
手に持つ剣と盾を揃え、整列するはゴブリンの部隊。
男が一瞥するだけでも、総数は一〇や二〇では収まらない。マトモにぶつかり合えば、少なくとも駐車している馬車は無事では済まないだろう。
「スレイブ、ここは私に暴れさせろ。そろそろ身体が鈍ってしょうがない」
言い、女は一歩踏み出すと中空に浮かんだ魔法陣へ腕を突っ込む。
横に立つ男が青い顔をしながら見つめていると、魔法陣から引き抜かれる手が握っているのは無骨な金棒。鬼族が好んで用いる得物にして、彼らの身体能力を押しつけるに適した技術潰しの武具。
堂々と検問を突破して得物を持ち込んだとあっては、指し物スレイブも額に手を当て嘆息を零す。
「や、やれぇッ。赫緑!!!」
ゴーブリンの懇願染みた叫びに呼応して、赫緑と呼ばれた部隊は一斉に突撃した。
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