第12話『疑念』

 ゴブドルフ連合国に夜の帳が降りる。

 日中のような活気はなく、道行く人々も半数以下にまで減少している。が、それでも幾つかの家屋は玄関に松明の炎を灯し、夜の来客に備えて金槌を握り締めた。

 吸血鬼、人狼、或いは地下での活動こそが本懐の種族。

 陽の光を嫌う彼らは、日中にゴブドルフを訪れたところで店先の影に隠れる他にない。だからこそ夜間に営業している店を求めて、鍛冶屋の玄関を叩くのだ。

 そんな喧騒から一歩引いた立地に建つのは、眼下の坂を一望する高度を誇る大型家屋。宿泊宿として建設された施設の看板には、親しみを込めた丸みを帯びた文字体で『ごぶおじさんのしゅくはくやど』と描かれていた。

 窓から灯る光は疎らで、寝床についているか否かが一目で窺える。


「はぁ、生き返るってもんだぜ」


 明かりの内の一角、八階の部屋から一人の少年がバスローブ姿で扉を潜る。

 無造作に伸びた灰色の髪は熱を排出するように白煙を吐き、頭から被ったタオルに水気を吸い込ませる。

 緊張から解き放たれ緩んだ瞳からは安堵の感情が溢れ出ていた。

 少年──スレイブは青の瞳で部屋を一瞥する。

 シングルサイズのベッドが二つ並び、正面には二人揃って作業できる鏡台。ベッドの側にはルームサービスとして果物の盛り合わせと腰を下ろすための椅子が揃う。右手にはゴブドルフの街を一望できる窓、反対側には玄関と先程まで使用していたシャワー室が並んでいた。

 椅子には先客が着席しており、白髪が水滴を落とさぬよう意識しながら黙読に励んでいた。

 室内を照らす照明魔法は淡く、水気を帯びた白磁の肌を艶っぽく演出する。もしもスレイブが何も知らず、一人の少女として接していれば情欲の一つでも湧き上がっていた程に。


「ん、もう上がったのか。スレイブ」

「さっぱりしたもんでな。久々のシャワー……つうか、感覚としては始めてに近いなこりゃ」


 上機嫌に言葉を紡ぎ、スレイブはムクロドウジとの距離を詰めていた。

 シャワーも寝心地のいいベッドも、スレイの記憶には確かに存在している。が、スレイブには体験が喪失している。だからなのか、チェックイン直後は鍛冶屋とは一転して視線を輝かせてもいた。

 一方でムクロドウジには未知であっても、根本的に興味の薄い分野。

 手に持つ書籍へ意識を傾ける方が幾分か健全と判断し、没入していたのだ。


「あんなもののどこがいいんだ、ただの熱湯だろ……」


 嘆息するムクロドウジとしてはシャワーに抱く感慨もなく、別に身体を洗うだけなら拠点近くの川で水浴びするでも充分。むしろ慣れない熱が頭の思考を奪っている感覚さえ伴っていた。

 身体を冷やすべく、盛り合わせの近くに置いてあったコップを掴むと、水を呷る。


「んだよ、結構気持ちよかったぞアレ……あ、ベッドもすげぇ柔らかい」

「そんなことよりも、だ」


 このまま別件にばかり意識を注ごうとしていたスレイブを咎め、ムクロドウジは玄関に立てかけてある大盾を一瞥する。


「ガラハドが直せない。とは、どういうことだ」


 回想するのは鍛冶屋での一幕。

 申し訳なさそうに意向を告げたセッカイ曰く、提携している付与魔法バフ屋との関係が悪化しており、現在それ絡みの依頼を全て断っているらしい。

 ならば別の鍛冶屋で修理を請け負ってもらうと告げると、自前で付与魔法も兼任する鍛冶屋ならばともかく、そうでなければ大体がウチと同じ状況と続けたのもまたセッカイ。

 ドワーフの言葉を思い出し、ムクロドウジは窓の外へ視線を移す。

 暗闇の中に点在する灯りは国の繁栄を如実に反映する。街の輪郭を微かに掴める程度の光は、大部分が主要産業である武具と傭兵がもたらした物のはず。


「奴の言葉が正しければ、この灯りも殆んどが見せかけだぞ」

「付与魔法抜きの純粋な武具でひとまず食い繋いでんじゃねぇのか。質のいい武具に高性能の付与を合わせることで、高品質な得物に繋がってる訳だし……単品でも相応の品にはなる」

「それじゃいつかボロが出るだろ、それとも客にドワーフとエルフの店を別々に向かわせて金を二重に毟り取るのが目的か?」


 一度武具を購入させ、その後に改めて付与魔法のために別の店へ向かわせる。移動時の馬車代も合わせれば、それなりの利益が出せるだろう。

 が、明らかに特注品なガラハドでまで同様の手間を講じるくらいなら、始めから提携した方が魔法陣の準備などの手間が省けるはず。ムクロドウジは手元の書籍を閉じ、表紙に描かれた魔法陣を殊更強調する。


「簡易的な付与魔法ならばいざ知らず、永続的に効果を与えるものならば相応の下準備が必要……それを客が来る度に一々展開するのが効率的か……?」


 自ら口に出してみるが、ムクロドウジは頭を振って否定。

 如何に魔法に優れるのがエルフの特徴とはいえ、魔力は無尽蔵ではない。そう魔法陣を容易く展開できるのであらば、彼らがゴブリンに変わって矢面に立つのが相応しい。

 思案する少女が眼前の机を睨む。

 赤の瞳が穴を穿たんと視線を注ぐと、不意に割り込む掌が一つ。


「ま、それは明日調べればいいんじゃねぇか。今は宿の快適さを楽しもうぜ」


 考えても答えは出ねぇしな、と続けるスレイブは盛り合わせから表面が瑞々しい赤のリンゴを掴むと、豪快にかぶりついた。

 小気味のいい音を立てて果汁が散り、噛み心地の食感が口内に広がる甘味と相乗して捕食者に充実感を与える。満足して胃へ落とし込むと、更に一噛み。


「楽観的だな、スレイブ……そんなに美味いのか、フォルミナアップルとやらは」

「いや、これは多分別の品種だな。こっちはこっちで美味いけど。

 そういや馬車でやった分はどうしたんだよ」

「あぁ、アレか」


 言い、ムクロドウジは虚空を指差す。

 すると中指から僅かな光が零れ、腕が突っ込める程度の小さな魔法陣が展開。


「……は?」


 スレイブが開口する中、ムクロドウジは腕を突っ込み、内部から馬車で受け取ったフォルミナアップルを取り出して外気に晒した。

 瑞々しい赤もそのまま、彼から貰った時から静止したリンゴが彼女の掌に収まっていた。


「まだ口をつけてはいないな。なんだ、そんなに食べたいのか?」

「い、いやいやいや。なんだ今の魔法はッ?」


 動揺するスレイブが身を乗り出すも、ムクロドウジは空いた左手で静止を訴える。

 彼女からすれば珍しいことをした覚えはないが、そういえば直に見せたのは始めてかと顎に手を当てた。


「これは空間魔法。異空間に物を収納するから、移動の時に持ち運びが便利になるぞ」

「それって……いや、やっぱりいいわ」

「なんだ、質問があるなら答えるぞ?」

「いや、聞きたくないからいいわ……」


 検閲のスルーが容易な魔法の存在に最悪が脳裏を掠めたが、スレイブは万が一を考えて疑問を自らの内に封殺した。

 具体的には彼女がやらかしても我関せずの姿勢を貫くために。

 質問に答える準備は整っていたにも関わらず、梯子を外されたことでムクロドウジはあからさまに溜め息を吐くと話を戻す。


「確か、エルフの居住区は山の反対側で木造が中心だった、な」

「あぁ、スイガンがそう言ってたぜ」


 母方の実家がいい材質の木材を使用していると、自慢気に語っていた様子を思い出す。

 ゴブリンとドワーフとエルフ。ゴブドルフを形成する三種族の中で魔法を得手とするのがエルフである以上、付与魔法を担当するのも同様。そしてエルフは主に森林地帯に居を構えるため、石造りの景観とは相性があまり良くないのだ。

 快活に笑う褐色肌の大柄女を思い出したのか、少女は更に表情を歪めてリンゴを魔法陣へと収納した。


「……情報源には不満があるが、そこを漁るのが先決だな。もしかしたら何か、大きな誤解が生まれてるのかもしれないしな」

「賛成……んじゃ、今日はそろそろ寝るか」


 スレイブの提案に首肯すると、ムクロドウジは書籍も魔法陣へと収納。照明魔法へと手をかざして魔力の流通を断つ。

 シングルベッドで横になると、スレイブは目を瞑る。が、思いの他に疲労は蓄積してなかったのか、目は冴えたままで一向に眠る気配はない。

 だからだろうか。

 すぐ側で布の擦れる音が鼓膜を揺さぶったのは。


「……変な音すんだけど、寝る時はじっとしてくれよ」

「上に何か着たまま寝るのは違和感があるだけだ、気にするな」

「お前起きた時に俺の視界に入ってたら承知しねぇからな???」


 思わず声を荒げ、余計に目が冴える。というよりも、横で少女が半裸になっていると知ってしまえば、たとえ相手に興味がなくとも意識はそちらへ偏ってしまうというもの。

 きめ細かな白磁の肌に絹を思わせる白髪。血を連想させる赤い瞳に子供のように小柄な体躯。普段からサラシやショートパンツなど露出が過多気味な服装ではあるが、それでも一線を超えることはなかったのだ。

 というか彼女自身も自覚しているだろうが、額の巻き角を除けば容姿は鬼族よりも人間に近いのだ。意識するなという方が難しい。


「承知しない、か……ヒハッ」


 悶々としたものを抱えるスレイブとは一転、ムクロドウジは髪を掻き上げて一笑。


「私をそう咎めるのは、お前だけだろうな」


 彼女が呟いた妙な言葉は、スレイブにとっては意味不明な言として受け取られた。

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