第10話『入国』

「はいよ、ちゃんと受け取りやしたぜ。お二人さん」

「……」


 馬が、喋った。

 正確には馬車を引いていたローズと呼ばれる馬が。ムクロドウジが首にかけてあった集金袋へシバーを支払った段階で礼を述べたのだ。

 非人型生物が人語を解すること自体はままあれど、珍しいことには変わりない。いきなり流暢に語られてしまえば閉口するのも止む無しというもの。

 なんとかスレイブが会釈で返したのが、唯一の返事であった。

 二人はそのまま車道から歩道へと避け、検閲されている馬車を後にして城壁の出口を目指す。松明で照らされる空間は灯りに乏しく、足取りの先の光が一際輝いて見えた。


「実の所だな、私はゴブドルフへ踏み入れるのは始めてなんだ」

「そうなのか。言っても俺だって、実感はないけどな」


 スレイとして何度か訪れた記憶自体はあるものの、黒色に塗り潰された付き添いを別にしても実感は皆無。他人の記憶を一歩引いた視点で確認している感覚に近い。

 大袈裟に竦めた肩に合わせ、首を傾げておどけてみせる。

 するとパーカーを被って角を隠すムクロドウジは頬を膨らませ、不満を鋭利な目つきで現した。


「それでも覚えてはいるんだろう。いい鍛冶屋に覚えがあるなら、エスコートの一つでも頼みたいな」

「善処する、なんてな」

「はっ。私の部下の自覚があるならしっかりとやって貰いたいな」


 時折見せる偉そうな態度も慣れたもので、スレイブも相槌を打って歩みを進める。

 やがて光は輪郭を持ち、一つの街並みを形成した。


「──」


 山の斜面に沿って煉瓦と石で敷き詰められた道。家屋の素材にも耐火性の高い煉瓦造りを採用し、天井からは黒煙を吐き出す煙突が乱立する。ただでさえ鍛冶などで高熱を扱う店が立ち並ぶ中で道行く人々の活気にも熱が重なる。

 人種も人間のみならずエルフにゴブリン、その他二足で立つ種族なら大体揃っているのではないかと疑問に抱く程に多種多様。鍛冶を打つのはドワーフが中心だが、弟子筋か何かは不明だがエルフやゴブリンの鍛冶師も散見される。

 多数の煙突から立ち上る黒煙に阻まれて、青空を直接拝むことは叶わない。

 主な産業の一つが武具である以上、否が応にも空模様に黒は混じる。そこに蒼穹を望むのは酷というものか。


「ここがゴブドルフ連合国。ゴブリンとドワーフ……そしてエルフが共存している国だ」

「……へぇ」


 スレイブの紹介に、ムクロドウジはどこか遠い目をして声を漏らす。

 通常、他種族国家というものは文化の似通った種族同士か、もしくは利害関係で割り切った上で設立するのが大半である。にも関わらず、ドワーフと適応能力の高いゴブリンはともかく、生活様式が異なるエルフが国家という枠組みで共存できているのはゴブリンの尽力が大きいらしい。

 又聞き故に詳細は曖昧なものの、くすんだ色味の甲冑に身を包んだゴブリンが警備に当たっているのもそこに関係するとか。


「……」


 スレイブが海の如き青の瞳でゴブリンの内一体を一瞥する。警戒の色を隠すつもりもないのか、彼と視線を数秒交差させてから、道沿いへと視線を移した。

 気のせいか、警備の目がムクロドウジへ注がれている。

 単にパーカーを目深に被っているから警戒を強めている、だけにしても些か過剰ではと疑問に思える。もしくは、先程門番が語っていた城壁爆発事件で神経質になっているのか。


「まさか、エルフを差し置いて美人に見とれてるって訳じゃねぇよな」

「? 何の話だ?」


 ムクロドウジに勘づいている様子はない。或いは、わざと気づいていない振りをしているのか。

 スレイブは迷いない足取りで道を歩く。木製の靴は石造りの道路を楽器代わりに小気味いい音を鳴らしてくれた。

 そこに混じる不協和音が一つ。


「おい、柄を銅にするだけで値段が倍になってるじゃねぇか?!」

「……!」


 怒声に視線が注がれ、相手の姿を一目して二人は咄嗟に通行人の背後に隠れた。

 鍛冶屋の前で難癖をつけていたのは蛇に四肢を与え、表皮に鱗を纏って翼を生やす竜の近縁種。胴回りに簡素な鎧を装着したドラゴニュートが二人一組、店長のドワーフと口論を交わしていた。

 遠目で観察してみれば、彼らの手には槍が握られている。


「そりゃイーストウッドと銅じゃ値も変わるってもんですぜ、旦那方」

「倍は聞いてねぇぞッ。せめて一、二〇〇〇ってところじゃねぇの?!」

「金属を舐めすぎですぜ、それは」


 店長が呆れた口調で嘆息すると、声を荒げたドラゴニュートは奥歯を擦り合わせて唸り声を上げている。一触即発の空気すら漂うものの、流石に手を出すのは相方も含めて不本意な模様。

 肩を掴んで静止を訴えているのが、その証拠か。


「その辺にしとけよ、ジベ。大急ぎで武具を集めろってグゲ様の命令なんだからよ、面倒を起こすな」

「けどよ、これじゃ予算オーバーだぜ?」

「……店長、やっぱり柄を普段通りのヤツに戻せねぇか?」

「……三日後に来い、ケチ野郎」


 普段通りというのは、スレイブの推測が正しければ木製なのだろう。

 フォルク王国周辺で採れるイーストウッドが武器の素材に適しているという話を聞いた覚えはない。同じ木でもサウスウッドなら豊富な栄養が行き届いているらしいが、ゴブドルフまでの輸送コストを思えば安価に済もうはずもなし。

 先の哨戒部隊との戦いでも、槍の損壊は予想がついたかの如き動きが目立ったが、そも数を揃えることが優先ならば納得というもの。


「ハッ、安物に命を預けるとは所詮はトカゲだな」


 ガラハドの修理に同行したムクロドウジも、彼らの態度には鼻で笑う始末。

 侮蔑の表情を浮かべると、鬼族の少女は踵を返して移動を再開した。後を追うスレイブのことも置き去りにして。


「……グゴ様」


 ドラゴニュートの片割れが、距離を取る二人の背を見つめていることに気づかないまま。

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