第8話『敗北者』
スレイブとムクロドウジが拠点の洞窟から抜け出し、ゴブドルフ連合国へ旅立ったのと同じ頃。
フォルク王国首都フォルク、その中心部に建造されたハーツノナリス城へ向かう一団の姿があった。
「……」
皆が一様に疲弊し切り、軽口の一つも叩く気配はない。
水平線から陽の光が顔を出す時間帯。住民も三文の得を求めて起床し始める時間だが、幸いにも窓を開けるなり玄関を開くなりして外の様子を一目する者はいない。
もしも顔を出せば、国の誇る精強なる軍人と彼らに同行した精鋭ギルドが潰走する醜態を目撃しただろう。国への信頼を著しく失う光景を目の当たりにしなかったことは国民にとっての幸福で、彼らから信頼を失うことなく帰還できたことが軍人やギルドにとっての幸福だろう。
「い、た……い。スレイ、様……助け、て……!」
乗り手を失って多数の馬車が放棄された中、重篤な怪我を負ったグレイグ・B・ジルファングを乗せた馬車は歯車旅団私有のため、彼らが手綱を握って難を免れていた。
背後の荷台から聞こえる痛苦に濡れた声に手綱を握る力を強め、ギルバート・G・マクバートは何十と噛み潰した苦虫を再び噛み潰す。
敗北。
それも、言い訳の余地もない完全敗北。
僅か十鬼程度の勢力に三六人いた王国軍人の内ニ九人を殺害され、ジルファングも重傷。そして。
「……」
流し目で、横に座る少女──ミコト・ヤマタを見つめる。
火国式の着物の上から黒衣のマントを羽織り、切り揃えた黒髪の上から学帽を着用した少女は、普段浮かべる柔和な笑みも忘れて視線を落とす。
書面の上では奴隷と購入者という関係であった。が、ミコトがスレイへ注いでいた愛情を知っている身としては、アレが単なる主従関係とは口が裂けても言えない。
そして団長である自分は、そんな彼女にスレイを見捨てろと命じた。
合理的、客観的な観点からそれが失策だとは思わない。
鬼族に捕まっていたスレイの到達を待っていては、総軍が壊滅する可能性すらあったのだ。仮にスレイの悪霊を前にしても、選択に間違いはなかったとギルバートは断言できた。
しかし、一人の人間としては別。
「……」
ミコトへ何かを言おうと口を開くも、何も意味のある音を発することなく閉口する。
見捨てるよう命じた人間に、いったいどのような言葉を吐けようか。
スレイはきっと生きている?
君が落ち込むことはない?
この選択は正しかった?
全てが正解のようにも、全てが不正解のようにも思える。
酸素を求める金魚よろしく口を上下させるも、意味のある音を紡ぐには至らない。手綱が千切れん程に手には力が籠り、滴るのは一筋の赤。
やがて王城付近の堀へと到達し、ギルバートは更に表情を暗くする。
国王への報告という、ギルド長として欠かせない仕事がまだ残っているため。
「……以上のことが、今回のクエストの顛末でございます。ハーツノナリス国王陛下」
片膝を立てて頭を垂れ、ギルバートは視線を真紅の絨毯へと注ぐ。
絨毯の先には階段が並び、頂点には玉座と国に座する国王の姿。階段の左右には近衛兵と執政官が数名。その全てが、ギルバートの一挙手一投足へ目敏く視線を注ぐ。
偽りを述べたつもりはないが、信じたくない気持ちを否定できる報告が行えない以上は無意味な主張と同義。
ギルバートの報告が進むに連れ、空気が加速度的に沈鬱な方向へ加速したのを肌で感じている。
戦場でもないのに、額に冷や汗が噴き出す。
「……そうか」
落胆の感情を織り交ぜ、国王たるウォーレンス・K=ハーツノナリスは端的に告げる。
たったそれだけのことで、ギルバートは全身の汗腺から汗が噴き出した。
「七名の帰還を許し、歯車旅団も三名が生還か。最悪は防げたようで何よりだ」
「お、お言葉ですが国王っ……!」
被害からかけ離れた温厚な言葉に、寛大を通り越した不安を覚えたギルバートが反論する。
「私めの判断のせいで鬼族の拠点も潰せず、お借りした軍人の多くも……!」
「
「しかし……!」
なおも詰め寄るギルバートに対して手で制し、諭すように国王は口を動かす。
近衛兵や執政官が取り乱したギルバートに慌てる様子を見せないことこそが、国が彼らへ寄せる信頼の証左だと言わんばかりに。
「ギルバート・G・マクバート……君も万全を尽くした末の失敗だ。それを責めることが誰に出来ようか。増してや、ただ上から命令しているだけの我々にそんな権利はないさ」
「──」
ギルバートは放心し、言葉を失う。
違う、違うのだ。
自分は油断した。
実戦経験の乏しいジルファングを貴重な人選に加えた。自身とスレイの両看板がいれば、強硬偵察程度に苦戦するはずがないと慢心した。
その結果が大敗なのだ。
そう、事実を口にしようとするが、言葉を紡ぐことは叶わない。
染み入る優しさが、慈悲がギルド長の心に棘を食い込ませる。悲鳴を上げそうになる心情を辛うじて食い止めるのが、今倒れてはギルドに負担が圧し掛かるという一点。
「とはいえ、名誉挽回の機会を求めるなら……そうだな、ゴルドルフへと向かい武具の調達にでも務めて貰おうか。隣国で反乱が起きただので荒れてるからな」
ハーツノナリスの言葉を聞き取る余地すらない衝撃が、彼の身を包んでいた。
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