二章──勢力抗争事変編

第7話『ゴブドルフ連合国』

 それは、在りし日の記憶。

 スレイブがスレイであった頃の証左にして、忘却の果てにある少女との一幕。


『へぇ、ゴブドルフってこんなに品揃えがいいんだ』


 周囲に立ち並ぶ出店を、物珍しげに見比べる少女。

 とはいえ、少女であると記憶が認識しているだけで黒塗りのシルエットとしか認識できず、声にも幾重ものノイズがかかっている。

 それでもゴブリンにドワーフ、エルフの三種族を中心として入り乱れる人混みにあって、少女はスレイより先行しては振り返る。彼がどこか遠くへ離れないように。


『あんまり先に行くなよ◼️◼️◼️。はぐれるぞ』


 スレイもまた、先行しがちな少女を見失わないように声をかける。名乗ったはずの名前を塗り潰した状態で。

 大丈夫だと微笑みかけているはずの表情は黒く、記憶の再現でさえなければ本心に不安を抱くほど。それでも、確かな確信がスレイの足に彼女の後を追わせる。


『スレイはさ、どんな武器がいい?』

『別に拘りなんざねぇよ。何せ武器に触ったことさえ始めてなんだからな』


 少女の質問につっけんどんな態度で返したことも覚えている。

 何せ少女に買われて数日。タダ飯食らいにする気はないと、ギルドメンバーとして働くための武器を求めてゴルドルフへ足を運んだのだから。

 尤もそれはギルド長からの命令であり、スレイ自身に積極的な活動をするつもりは皆無。

 事実、彼の関心は周囲で汗水垂らして金槌を振り下ろすドワーフよりも、点在する露店から香る料理に傾いていた。

 知ってか知らずか、少女は顔を寄せて少年を睨む。


『そんなのダメだよ、武器は一生ものなんだから。ギルバートさんもお金に厭目はつけなくていいって言ってくれたし、いいの買お?』


 同意を求めるように少女は小首を傾げる。

 彼女の言葉にどう答えたのか。会話の続きを再生するよりも早く、スレイの意識はスレイブの肉体へと引き戻されていった。



「……イブ。スレイブ、スレイブ」

「……ん、ぁあ」


 鉛のような目蓋を幾度かしばたかせ、スレイブは泥中に沈んだ意識を浮上させた。

 未だ焦点の定まらぬ視界の大半を占めるのは、白髪を短く乱雑に切り結んだ巻き角の少女。漸く起きたかと嘆息する姿は鬼と認識するには困難を極める。

 安物の布で覆っているのか。周囲はやや暗く、それでいて幾つかの穴から木漏れ日が差し込んでいた。身体を預けている床や土台の質も良好とは言えず、少し手を伸ばせば彼らと共に搭乗する備品にも届くほど。定期的に揺れる視界は、馬車の荷台に乗っている最中であることをスレイブに思い出させた。


「そういえば、ゴルドルフ連合に向かってんだったか」


 寝惚けているのか。

 そう言いたげな視線を注ぐムクロドウジには構わず、スレイブは時を遡る。

 ドラゴニュートの部隊の壊滅こそ叶ったものの、その際にガラハドの鞘に不具合が生じていることを発見。これを修理すべくゴルドルフ連合国へ行きたいと主張したら、二の句もなく肯定されたため、一夜を洞窟で明かしてから出発したのだ。

 一人得心して首を降るスレイブへ、呆れた顔色でムクロドウジは言葉を紡いだ。


「なんだ、その間抜け顔は。私の部下ならもっとこう、キリッとした感じの寝顔に出来ないものか」

「寝顔に文句を言われる筋合いはねぇだろ」

「いやある。私はお前の命の恩人で、これからゴルドルフへ行けるのも私が大隊長の立場にいるからだ」

「へいへい」


 ムクロドウジの無茶振りに適当な返事で応じ、スレイブは視線を足元の麻袋へと向ける。

 中身を漁れば、手に取れる瑞々しく赤い果実。

 のし掛かる重みは相応の密度を期待させ、自然と唾が口内に溢れる。


「そんなのが本当に旨いのか?」


 鬼族にはこれを食する習慣がないのか。ムクロドウジの素朴な疑問に、スレイブはかぶりつくことで応じる。

 途端に溢れるほんのりとした甘味の果汁と適度な存在感を示す実。僅かに溢れた汁が頬に滴るのも厭わず、スレイブは二度三度とかぶりつく。

 十数秒とかからず完食し、腕で口元を拭うと改めて大隊長の疑問に答えた。


「フォルミナアップルは王国の名産だ。甘いのがイケる口なら、お前も食ってみろ。百聞はなんたらって誰かが言ってたぜ」


 麻袋からもう一つフォルミナアップルを取り出すと、スレイブはムクロドウジへと放った。

 彼女は弧を描く果実を掴むが、口へ運ぶ素振りはみせない。一時見つめ合いはするものの、その先の関係を構築するには足りない。

 せっかく開かれた口も、咀嚼のためではなく会話のために用いられた。


「それになんだ、この靴は。動き辛いぞ」


 少女が足を上げると、そこには平らな木材に柔らかくした樹皮で弧を描いて張りつけ、作成した木製の靴が履かれていた。

 作り手なりの苦心なのか。装飾も少なく凸凹した不恰好な見た目だが、跳ね上がった部分などの使用者に牙を剥く類のミスは窺えない。

 ムクロドウジの不満へ口を尖らせたのも、スレイブ自身の苦慮故か。


「人が裸足で歩いてるのは悪目立ちするんだよ。誤解されても困るから作っただけだし、アレならムクロドウジは脱げばいい」


 スレイブの足にも、彼女の物と酷似した靴が履かれていた。

 甲冑が魔法による補強を受けていたため、ムクロドウジの魔法では再生できなかった。故に自作したのだが、いざという時に作れる程度の腕前では履き心地もたかが知れたか。

 そもそも天を突く巻き角の時点で人と誤解される不安は皆無か、などとスレイブは思案する。が、肝心のムクロドウジは製作者直々に許可が降りたにも関わらず、靴を撫でるばかりで脱ぐ気配がみえない。

 目測故のサイズ問題かと口を開く寸前、先にムクロドウジが口を開く。


「……別に、脱ぐとは言ってないだろ。せっかく部下から貰ったものだからな

 次作る時には、もっと上手くやれよ」

「え、まぁ……はい?」


 部下との距離感、おかしくないか?

 喉元を出かけた言葉を飲み込み、スレイブは当たり障りのない答えを返す。

 そも、ムクロドウジが部下と良好な関係を構築できているのかについては、甚だ疑問があった。

 大隊長自らの出陣に声の一つもかけない部下。

 たかだか一部下の武器調達への同行。

 如何に自らの血で混血体にしたとはいえ、スレイブからすれば自身に必要以上の関心を寄せているようにも見える。

 鬼族の内情に興味はないが、身を預けるのだから相応に信頼できる環境が望ましい。

 スレイブが疑問を一つでも解消しようと口を開く刹那。


「お二人さん、そろそろゴルドルフ連合国に到着しますぜ」


 馬車の手綱をとる男の声が、目的地への到達を告げた。

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