第5話『試験運用』

 ムクロドウジの部屋を後にし、二人は一旦広間へと歩を進める。

 目的はスレイブの得物であるガラハドとアロンダイトの回収。彼が武具の重要性を主張した所、理解を示したムクロドウジは一度立ち寄ってからの出発を許可されたのだ。


「……?」


 大剣をガラハドへと納刀する際、突っかかる感覚に違和感を覚える。が、今更武具の調子が悪いから延期して欲しい、などとは言えない。

 力を込めてやや強引に差し込めば、金属の擦れる不快な音を鳴らして収納が完了する。

 その間、ムクロドウジは清掃していた鬼へ話しかけ、今から拠点を離れる旨を説明していた。鬼も粛々と首を何度か上下に振るのみで、言葉を交わす様子は薄い。

 そうでなくとも、ムクロドウジの扱いにスレイブはどこか違和感を覚えていた。

 たとえば道中、スレイの仲間が封鎖した以外の出入口を目指す中で何鬼かと道を交わらせたものの、仮にも大隊長という役職につく少女へ何かを問うものは皆無。

 規模が大きく異なるとはいえ、スレイブが王国から国境沿いの拠点へ向かう際には、ギルドからの派遣は僅か四名にも関わらず国軍からの大歓声に挟まれて城壁を抜けていた。一ギルドにあるまじき扱いかもしれないが、組織のトップが出陣するにも関わらず無言を貫くよりは余程正常であろう。

 結局、二人を歓迎したのは洞窟を抜けてすぐの、鬱蒼とした森林地帯と緑に隠された兵士の死体。


「その場に放るのが鬼の死体処置か」

「本当なら戦場から離すことはしないのだがな。流石に拠点を蛆で満たす訳にもいかないだろ」

「なるほど、ねぇ」


 スレイブの視線に一瞬、雑草に隠れた真紅の肌が写り込む。

 国軍のものだけではなく、同胞たる鬼の遺体も丁寧とはかけ離れた扱いな辺り、これがスレイブを信じ込ませるためだけの虚言でもなし。

 相当に歩き慣れているのか、先を行くムクロドウジの足取りに迷いはない。

 陽の光が生い茂る緑に遮断され、昼だろうとも深夜の如き闇を見せる黒の森にあって、華奢な背中が後に続く少年にとっての街路樹に等しい。

 やがて二人の前に現れたのは、森を両断する川のせせらぎ。


「……」

「休憩が必要とも思えんが、水でも飲むか?」

「いや、今はいいな」


 どうやら、鬼族きぞくというものは嗅覚も優れているのか。

 スレイブは鼻につく饐えた臭いを敏感に嗅ぎ取り、嘆息を一つ。


「どうした?」

「ここさ、もしかして風牙族ふうがぞくの縄張りじゃねぇか?」

「風牙……あぁ、あの狼共か」


 両手を合わせたムクロドウジの姿に嘆息をもう一つ吐き、幸福を追加で逃がす。


「だったらここは避けた方がいいし、今後この川にも近づかない方がいい」

「何故だ、水回りは鬼族といえども重要だぞ」

「風牙族は縄張り意識が一際強いんだ。一度匂いを覚えられたら地の果てまで追いかけてくるぞ、文字通りにな」

「来るなら尽くを返り討ちにすればいい、何を恐れる?」


 好戦的な笑みを覗かせるムクロドウジ。だがそれは一部隊を纏める長としては蛮勇に近い。

 故にそれを諫めるべく、スレイブは過去に見聞した話を持ち出す。


「いいか。風牙族は王国の城壁周辺でも目撃報告と討伐報告……そして被害報告が続出してる。

 縄張りへ侵入した連中を食い殺すために、わざわざ城壁前で出待ちするような一族なんだ。

 それに過去に火国ひくにから訪れた貿易商が縄張りを通過して十年。国に帰るからって乗船したら、出航後に魔物や岩礁を渡って船に追いついて首に噛みつき、そのまま海へダイブしたって話もある。

 避けられる戦いは避けるべきだ」


 最後の話は子供を脅すための創作話かもしれない。

 だが、縄張りを犯せば海を渡ってでも食い殺さんと思わせるだけの執念深さを見せたが故に、王国内では絵本まで出版している話でもある。

 目をつけられれば、後の活動に支障が生まれることは想像に難くない。

 ムクロドウジも流石にそこまでとは思っていなかったのか、腕を組んで何かを考え込んでいた。


「不意打ちは、確かに面倒だな……常在戦場といっても、限度もある」

「だろ」

「とはいえ、水は重要だ。最終的に磨り潰すかどうかも含めて、持ち帰って検討するか」


 物騒な言葉を残し、二人はスレイブの鼻を頼りに饐えた臭いのしない方角まで歩き、改めて森の出口を目指す。

 彼を試す資金源は狼などではなく地に立つ竜種、ドラゴニュートなのだから。



 森林地帯を北上し、やがて視界の先に光が覗く。

 闇に慣れた目が暫しの間、光度の調整を要求する中、同時に聴覚が複数の足音を検知した。

 岩盤の上を素足で歩くのにも似た、貼りついた音。

 一旦付近の雑草に身を隠して、緑と岩盤の境界線へと視線を向ける。


「いた」


 境界の僅か先、山岳地帯に程近い場所を哨戒するは異形の戦士。

 頭から尾の先までが一体化した蛇を連想する身体に人の腕、そして前方に伸びた三本と後方に一本の足跡は鳥にしては屈強。だが、それらの生物とは一線を画するは外側を隙なく覆う強固な防壁、竜麟。そして背から生えた体躯にも匹敵する長大な翼。

 一方で装備に関しては質素で、安価なセラミックプレート製の鎧で胴回りと右肩を覆い、手に持つ槍も切先にのみ金属を採用して柄を木製で節約したお粗末な代物。

 見間違うはずもない。あれこそがドラゴニュート

 下級魔法を弾く鱗に飛翔を可能とする翼、強靭な筋肉から放たれる鞭の如き尻尾など、人間からすれば脅威となる種族特性を大量に有している亜人種の一つ。

 それが四体、少し慣れた場所に追加の四体がそれぞれ森林地帯へ視線を注ぐ。


「森から出れば奴らの縄張り、って訳か……」


 スレイブとムクロドウジは境目からの監視を続ける。

 しばしば、ぎらつく眼光とかち合うものの相手に気づかれた様子もなし。新兵ならば恐慌状態になって無謀な突撃を図っていたかもしれない。が、二人からすれば不意を突く機会を失うだけで必敗という程でもない。

 故に大した焦りも見せず、隠遁を続行。


「一応聞くが、アンタからの助けは貰えるのか?」

「貰えると思うか?」

「全く」


 苦笑すら交えて小声で話す。

 人間時代であれば八体のドラゴニュートを相手に無理な突撃など見せず、応援が駆けつけるまで姿を隠し続けるか迎撃に徹するかの二択であったろう。しかし、今は身体の内から力が溢れる。

 ともすれば、無謀な突撃を図りたくなる程に。

 戦略も戦術もない、純然たる暴性のみを頼りに蹂躙したくなる程に。

 身体の内より湧き上がる衝動を息に混ぜ、スレイブは体外へと排出する。そして深く息を吸い込み、深呼吸。


「で、いつまで観察しているつもりだ。私達はトカゲの生態調査に来た訳じゃないぞ?」

「分かってる。今はタイミングを図ってるだけだ」


 スレイブは魔法に疎い。

 故に大規模な魔法による一掃は期待できず、だからこそ重要なのはタイミング。

 彼我の距離は十数メートルにも及ぶ。一息で詰めるには酷な間合いは、近場の枝を折ってカバーすればいい。

 足裏、そして太腿付近に魔力の流れを収束させ、踏み出す一歩を重くする。後は目をつけた個体の様子。

 四体編成の中からやや森林地帯へ近いドラゴニュート。鋭利な眼光を見せるも、本当に襲撃者が来るとは考えていないのか。時折欠伸を繰り返す存在に狙いを定め、機が熟するのを待つ。

 そして観察して数度目かになる欠伸を見て、スレイブの身体は動いた。


「え……?」

「は?」

「なん、だ……?」


 驚愕の様子は三者三様。

 茂みから目標に定められたドラゴニュートの首元には、音を突き破り飛来した枝。驚愕に目を見開いた様は、襲撃者の存在など夢想すらしなかったと声高に述べるように。

 一方でスレイブもまた、たった一歩で側に立つ別のドラゴニュートの懐に跳び込んでいる事実に動揺。埋め尽くされる視界に判断が遅れる。そしてそれは、ワープか何かと見紛う速度で姿を現したスレイブに驚く別のドラゴニュートもまた同様。

 ムクロドウジだけが冷静に一部始終を見つめている中、最初に動転から回復したのは襲撃者。


「ッ……!」


 左に構えた大盾を振り被り、先端で殴打を図る。厚さ十ミリの曲面装甲採用型、逆三角形の角で殴れば血の一滴でも流れよう。

 目論見としてはその程度、しかして。


「ガッ……!」

「あぁッ?」


 生々しい音を立て、竜麟に覆われてない内側へガラハドの先端が食い込む。なおも勢いは留まらず、腕を少し傾ければそれだけで血飛沫は一層の勢いを増す。

 質素な鎧など紙細工にも等しい。

 空いた右拳で殴り抜けば、ドラゴニュートの肉体は地面を幾度も跳ね回って砂塵を巻き起こす。あまりの騒音に周囲で警戒していた二体のみならず、残る一部隊にも気づかれたが考慮する必要性は絶無。

 むしろ考慮すべきは。


「これが混血体キメラ……感覚が狂うな」

「貴様ッ、よくもガドとべゼをッ!」


 残る二体の内、一体は畳んでいた翼をはためかせて距離を稼ぐ。一方でもう一体は左手を含めた三本で地を蹴り、爆風を背後に急加速。

 人間の頃であらば構えの段階で盾を地につけ、突撃に備える必要があった。

 当然、視認しようなどと無謀をすれば、数秒後には肉塊へと変換される。

 しかし、ムクロドウジの血を取り込み混血体となった今、仲間の敵討ちに燃えるドラゴニュートの瞳を観察する余裕すら持ち備えている。


「突撃してくるならば」


 低く身を屈め、ガラハドに斜めに構える。

 どの程度の角度か、細かい部分は身体に染みついている。過去に行った人間との種族差こそ不安を煽るが、多少の差ならば強引に捻じ伏せられるだろう。

 短い吐息で放たれた槍が盾に触れた直後。


「らぁッ」

「何?」


 払うように腕を振るえば、軽い音と共に容易く柄がへし折れる。

 相手も槍は元より信用していなかったのか、動揺の色は薄い。

 素早く柄を手放すと、身を捻り尾を振るう。

 切り返しの手早さは目を見張るものがある。しかし、先の動きを完璧に予測されていた時点で彼の最善手は警戒して距離を取ることであった。

「つッ……!」


 スレイブは全身でしなる尾を受け止めると、右腕で抱き抱える。無謀な動きだとは、先の動きが許された時点で脳裏を掠めすらしない。

 そして物々しい音を立て、ガラハドとの接続を一時的に解除。

 身軽になった左手を添え、背負い投げの要領で背中を丸める。


「な、にッ?」


 結果的に、背を向ける形となっているドラゴニュートに打つ手などない。

 渾身の力で振り下ろされる一撃は地面に幾つもの亀裂を走らせ、受け身も取れず頭部から落下したドラゴニュートの首を不自然に陥没させる。

 直後、飛来した尾の刺突を飛び退くことで回避しつつ、道中でガラハドを再装備。

 続けて確かめるはアロンダイトの振り心地。

 元々魔力を鞘内部に蓄積させることで爆発的な推進力の下、閃光の如き居合を実現させる機構を採用している。が、スレイの魔力を前提に開発された機構が、果たして混血体スレイブでも同様に作用するのか。

 根元が回転し、柄を掴む。そして引き抜──


「ん?」


 けない。

 刃先が多少は外気に触れるものの、半ば以上を鞘に収めた状態で引っかかり、それ以上引き抜くことを妨げたのだ。

 魔力を爆発させれば無理矢理引き抜けるだろうが、大盾に負担がかかるのは明白。

 スレイブが鞘に苦慮している間にも、残るドラゴニュートは後方の部隊と合流を果たし、連携の下に突撃してくる。尾の射程を前提に加えれば、既に三体は交戦距離。

 止むを得ず、柄から手を離すと足元に転がっていた槍の尻を蹴り上げ、掴み取る。


「馬上槍とは勝手が違うだろうが」


 脳裏に浮かぶは常に自身の背後をついて回った純真な少女。憧憬の念を抱き、大盾に一本の得物、全身を覆う甲冑と明らかに意識した装備まで整えた彼女の戦い方。

 まずは先行して飛ばされた尾を盾で弾き、右側に展開した相手へ刺突。


「ぐぁッ」


 咄嗟に交差した両腕ごと胴を貫き、吐血した所を手首を捻って引き寄せる。

 裏拳で追撃を加えた段階で、反対側に展開したドラゴニュートが奇声を上げて背後から迫る。不意を突く好機を捨てる愚挙、ではない。

 むしろ前方に残る三体から意識を外させる策略に、わざわざ乗る必要もない。

 盾を起点に半身の姿勢を取り、連続する刺突を回避。回避。回避。

 続く四度目の刺突で一時的にガラハドの接続を解除、身軽になった所で懐へと潜り込む。尾が機敏に死を感じ取り、致命傷は避けんと迫るが遅い。

 加速。そして自身の体重を乗せ、掌打。

 手応え、アリ。

 内臓が破裂した感触に仄暗い悦を覚えると、槍を簒奪して残る三体へと向き直る。ガラハドの隙間、覗き穴から窺える光景には、少なくとも一体が正面に立ち塞がっていた。

 盾をすり抜けるは二体。一体は地を滑り、一体は上空を統べる。

 瞬時の判断。射程の差を突かれると面倒。奪った槍を素早く投擲し、意識を下から迫る側へ。

 断末魔の叫びを背景に、二者が交差する寸前。


「目晦ましッ?」


 両者を遮る尾が地面を舐める。

 黒の森と山岳地帯の境目である岩盤には、森から運ばれてくる砂が相応に蓄積している。当然、ドラゴニュートの力であらば砂塵を巻き起こすことも容易いか。

 ここにきての搦め手に、スレイブは突き出すつもりであった拳を地面へ放って反動で飛び退く。視界の潰れた状態で二体を相手取るのは得策ではない、そう考えてのことであったが。

 背中に走る痛撃が、思考を読まれていたことを実感させた。


「つッ……!」


 歯を食い縛るも、中空では足の踏ん張りも効かず。

 弾かれた肉体はガラハドにぶつかることで勢いを殺され、スレイブは肺に溜まった空気を吐き出す。

 待機していた側が予め背後に回っていたか。

 思考する暇も惜しいと頭を振ると、左手でガラハドを再装備。

 あまり時間をかければ後続の部隊や本隊への連絡、応援が駆けつけ加速度的に情勢が悪化する。これ以上時間を失う事態こそが最悪とすれば、要求されるのは残敵の速やかな撃破。


「……どうせ後で修理してもらえばいいか」


 嘆息。そして意識の切り替えとして目を据える。

 ドラゴニュートは一体が地を滑り槍を構え、もう一体が空中から尾の追撃を仕掛ける。片方に注力すればもう片方が主軸となる連携の姿勢を取っていた。

 スレイブは再び柄へと手を伸ばす。

 引き抜くタイミングを図り、ドラゴニュートを限界まで引き寄せる。幸い、彼らも特別視力に優れる訳ではない。砂塵の奥で取る構えに、詳細な理解を得られる訳ではない。

 時を切り刻み、時の単位を切り刻む。

 より敵の姿を近づけ、振るわれる尾を誘い込む。

 上限まで、限界まで、極限まで。

 動きがコマ送りとなり、やがて静止したかのような集中力を発揮。無駄な処理と色が白と黒の二色となるも、彼我の距離さえ分かれば関係ない。

 そして、境界へ触れる。


「ッッッ!!!」


 刹那。

 白刃が煌めく。

 一筋の流星が、凄絶な光の瞬きが、命の灯火を啜りて輝く明星が。

 ドラゴニュートの肉体を袈裟斬りにし、迫る尾を捌く一撃が。


「あ、がぎッ……!」


 突然の激痛に動きが鈍った最後のドラゴニュートへ、スレイブは上半身を地面に転がしてなおも立つ下半身を足場に踏み込み、眼前へと迫る。


「ひッ」


 漏れ出た悲鳴は生への終着か、もしくは。

 スレイブは関心の一つも抱くことなく刃を差し込み、跳ねさせた。

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