第4話

 ひとまずついてこい。

 命じられるまま、スレイブはムクロドウジの背中を追う。

 道中、奇異の眼差しを向ける鬼達の腕にはかつて人間だった肉塊が握られていた。スレイだった少年と共に鬼族きぞくの拠点へ強行偵察に赴き、そして帰らぬ人となった彼ら。

 記憶の忘却も極限定的。

 彼らの存在を消し去るまでには至らない。


「大変だな、掃除も」


 一時は目的を同じくした彼らへ抱く感情は、酷く冷めていた。同情の念こそ湧くものの、それも拠点の清掃を強制された鬼族へ注ぐものに等しい。

 一方で、自らの手駒に話しかけられたムクロドウジは嬉々として口を動かした。


「気にすることはない。ちょうど色彩が足りないと思っていたとこだ、血の赤はアクセントに相応しい」

「ハッ、それが鬼族の感性なのかよ」

「少なくとも私は、な」


 会話もそこそこに。

 洞窟の情景も距離を隔てるごとに様相を変える。

 最初は殺風景で無意味に広い場所、足を進めれば徐々に人為的な改造を思わせる鬼が通るに適した広さへ。

 気づけば岩盤を叩く音が周辺から反響するまでに。

 左右に灯された松明の明かりが先を行く少女の小さな背中を照らす。

 スレイブにとって一回り大きく思える天井の高さは、ムクロドウジにとっては手が届くかどうかの怪しさ。必要以上に高い天井が、彼女の華奢な体躯を一層強調した。

 餓鬼。

 餓えた鬼。

 鬼族が好んで用いる罵倒表現。翻って、発言者よりも矮小な見るからに脆弱な存在。

 王国に持ち込まれる形で使われる意味の一つで言えば、間違いなくムクロドウジは餓鬼であった。


「ほら、着いたぞ」


 ムクロドウジが指差す先は、壁面を四角く切り取って小さな凹みを加えた場所。

 彼女が凹みに二指を引っかけると、物々しい音と共に横へスライドさせた。

 鬼族の力を前提とした扉の奥には、いくつもの本とそれを並べる本棚に溢れた空間。間取りとしては五、六平方メートルといったところか。

 頭を下げ、扉に額をぶつけないように意識してスレイブは潜り抜ける。


「お邪魔します……へぇ、意外だな」

「どういう意味だ」

「鬼族にも読書の文化があるなんて、とな」


 スレイブの抱く鬼族への印象は獰猛にして野蛮。娯楽といえば童を誘拐して生きたまま喰らうか、戦そのものかの二択に別れるものかと。

 口に出すのも憚られる印象は、少なくともムクロドウジの部屋からは感じられない。


「著者は鬼族以外だがな」


 投げやりに言い、ムクロドウジは付近の椅子に腰を下ろす。岩肌を剥き出しにした、座り心地の概念をかなぐり捨てたかのような外見だが、彼女にとっては精々反発が強い程度か。

 広場の時からややリラックスした表情を向け、今も眼前で立ち続ける少年を見つめる。

 観察するような好奇の目にスレイブは視線を落とす。が、それでもムクロドウジの真紅の目は彼を捉えて放さない。


「さて、ここまで歩いてきた訳だが。体調に不調はないか?」

「不調、ねぇ……」


 スレイブが腕を組んで思考すること二秒。

 違和感を口にする。


「頭がなんとなく重い。前まではもっと軽かったと思うんだが」

「それは混血体になる際に伸びたからだろう。地面に髪先が当たるかどうかでヒヤヒヤしてたぞ」

「……なるほどね」


 指摘されて後頭部へ手を当てると、なるほど確かに羊毛の如き感触が返ってきた。彼女の発言が正しいとすれば、元々短髪気味だったスレイブが重さを訴えるのも自然というもの。

 ならばと、もう一つ覚えていた。否、今なお継続して味わっている違和感を口にした。


「それともう一つなんだが……服をくれ」


 今なお感じている違和感。

 それは生まれたままの姿であるが故に、洞窟を吹き抜ける風や鬼達の視線が直に肌へ突き刺さることであった。

 ムクロドウジは理解が及んでいないのか、首を傾げるばかりで何らかのアクションを起こす様子がない。しかしそれではスレイブが困る。

 だからこそ両腕を大仰に構えて突っ込みを入れた。


「アンタらだって裸族じゃないし、何よりアンタも服を着てるだろ。そういうのをくれって言ってんだよ」


 言い、スレイブが指を差せば、ムクロドウジも漸く主張を理解したのか。言い辛そうに口を開く。


「だ、だが……私の服だとサイズが合わないんじゃないか……?」

「誰がアンタの服そのものをくれっつったよッ。俺が着るための服を用意してくれって言ってんだよ!」

「あぁ、そういうことか」


 それならそうともっと分かりやすく言ってくれ。

 続く少女の主張に理不尽なものを覚えつつ、やっと理解したのかとスレイブは溜め息を一つ。

 やおら右手で本棚を指差すと、空を泳ぐ雲のように本がムクロドウジの手元へと渡り、そして表紙を開く。読み進めるというよりも目的のページを探す手振りで捲る合間に、少女は少年の瞳を覗いた。


「? 本を読む前に服をだな……」


 吸い込まれるような、海を思わせる青の瞳。

 血走った赤が多い鬼族には見慣れない瞳の色は、彼女の感心を少なからず集める。

 とはいえ、あまりスレイブを待たせるのも問題。視線をそこそこに本へ移すと、やがて目的のページを発見。

 指で該当する文字列をなぞると、詠唱を紡ぐ。


「──星々は西より上りて東へ沈む。

 下流から流れる川のせせらぎは上流へと至り。

 終点の世界は求める、始点の時を──」


 彼女が言祝ぐ詠唱に導かれ、スレイブの周囲で異変が起こる。

 渦巻く塵が身体を覆い、肌に触れると共に布の一片を形成。欠片を起点に連なる塵も徐々に面積を広げていく。

 やがて形作られるは、袖のない黒衣のインナーと紺のカーゴパンツ。共にスレイブが甲冑の下に着用していた衣服である。

 感嘆の声を零し、衣服を身に纏った少年が身体を伸ばす。魔法で再現されたものとしても精巧な、着心地の一つも変わらない様は過去から取り寄せたといっても信じてしまう程に。


「中級相当の時間魔法だ。付与魔法バフのかかってない物体なら大体が再現可能だぞ」

「なるほどねぇ、だから下の服だけが……」


 洞窟に訪れた時に装備していた甲冑は関節一つに至るまで、全てが最上級の付与魔法によって性能が底上げされているレイトセラミック製。ムクロドウジの弁を信じるならば、件の魔法で復元できようはずもない。

 そのせいで靴の類も存在しないのは面倒だが、これから全裸で生活しろといわれるのに比べれば雲泥の差というもの。

 足元に視線を落としたことに気づいたのか、ムクロドウジは歯を見せて快活な笑みを見せる。


「今のお前は鬼族……それも私の血が流れている混血体キメラだ。ただの岩肌程度で傷つく安い肌じゃないさ」

「言われてみればだが……確かに切った感覚もないな」


 足裏を覗いてみても、赤子の肌の如く傷一つ見当たらない。

 脳裏に浮かぶ先程までの戦いに於いても、アロンダイトを抜いて漸く両断が叶う強固な皮膚は鬼族という種族の強大さを端的に現している。

 両の足を地につければ、ムクロドウジは真剣な眼差しをスレイブへと注いでいた。

 本のページも、既に閉じられている。


「さて、私も善意で蘇らせた訳ではない。ここから王国方面部隊大隊長としての命令だ。

 尤も、まずは原石がどの程度磨かれているのかを確かめる所だがな」

「了解だ、いったい何をすればいいんだ。模擬戦か?」

「ヒハッ、冗談だろう。死の危険がない練習で何を確かめられる」


 大袈裟に肩を竦め、ムクロドウジは苦笑を一つ。


「私達の当面の目標はフォルク王国の制圧だ……だが、まずは地盤を固める必要がある」


 言い、どこからともなく手元に取り出したのは一枚の地図。

 広大な森林地帯を中心とし、東側に人里や都を、北側に山岳地帯を表示したそれはフォルク王国周辺の地形を再現したものである。

 しなやかな指が指し示す先は森林地帯の一部。


「私達の拠点である洞窟はここだ。そして……」


 指がなぞられ、到達する先は森林地帯と山岳地帯の境目。


「今回お前にやって欲しいのは、ここら辺で哨戒しているドラゴニュートの部隊。その撃破だ」

「いきなり実戦投入かよ。新兵への訓練は?」


 冗談めかして口にしたものの、返答などスレイブ自身にもよく分かっている。


「血を浴びることこそが最大の訓練だ。

 それに相手は所詮トカゲの親戚……これに敗死する程度の駒なら切り捨てても痛くはないさ」

「……ハッ、言ってくれるぜ」


 予想通りの返答に、スレイブも苦笑交じりに返す。

 トカゲの親戚などと簡単にいうが、実態としてはむしろ竜の近縁種と言った方が正鵠に近いのがドラゴニュート。遠征予定であった王国の部隊がドラゴニュートの一団と交戦し、半壊したという報告を耳にしたのも記憶に新しい。

 にも関わらず、ムクロドウジは簡単に撃破を口にする。


「因みに奴らは合計で八匹は確認されている。私には見分けがつかないが、もしかしたら交代で哨戒している可能性も一応ある」


 何匹いても変わらんが、と結ぶ彼女の口調からは、苦戦すらも論外だと言外に告げられているように思えた。

 そして事実として、大隊長からすればトカゲが何匹いても結果は同じなのだろう。

 頬を掻き、スレイブは思案する。

 混血体としての自身を確かめる時間もないのは面倒だが、少なくとも甲冑がなければ話にならない、という感覚は皆無。尻尾にしろ牙にしろ、今ならば服の上からでも持ち応えれそうな漠然とした確信が少年にはあった。


「了解した」

「期待しているぞ……私の部下」

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