パーフェクトキス

るつぺる

新秩序

 鬱屈、焦燥、倦怠、破綻。いつから私はこんなにも頼りなくなったのだろう。一日がどこまでも地続きで終わらない。時間は移動せず常に私をそこに置き去りにする。机の上には花が生けられて、花瓶を囲う魔法陣のような罵詈雑言。私は嘲笑を背に立ち尽くす。怒りなど既に通り越えた。何度だって死のうとした。体の傷を隠しているのは甘えだ。肉体を手放せ。そんな声をずっと聞いてきた。かつては普通だった。一緒に笑った日もある。それも遠い昔だ。きっかけはわからない。けれど私の時間は止まった。

「瑞季〜遅れるわよ〜」

 親は何も知らない。私が今、死と憎悪の淵に立ち、どちらに爪先を差し出そうかと苦悩する事を。私がこうなったのと同様にこれからどうなるのかも些細な弾み一つのこと。私が死ぬか、アイツが死ぬかだ。

 辰巳雛子。かつて私の友人で今は敵だった。なぜ私が標的になったかはわからない。けれど雛子は元からそういう奴だった。グループの中で一番でなければならず、気に入らない者は排他してきた。それも私は近くで見てきたはずだった。これはある意味贖罪なのかもしれない。見て見ぬふりをしてきたのは私も同じだったから。だから雛子の取り巻きに対してはなんの感情もない。今の立場から言えば莫迦な連中が群れをなしているだけで叩いたところで何が晴れるわけでもない。私が復讐するとすればその相手は雛子以外にはあり得ないのだ。ただどうすればいいかがわからない。

「だったらワタシと手を組みましょう」

「え? 何」

「迷子の子猫、可哀想に」

「だれよ! 何この声」

「ワタシはあなたを助けたい」

「意味わかんない」

「チカラが  欲しいんでしょ?」


 目が覚めると日が暮れていた。私はどうやら学校をサボったみたいだ。今までそれは敗北として何があっても休まずに登校してきた。何かがプツンと音を立てて切れた。部屋の扉を開けて一階のリビングに降りると母が夕飯の支度をしていた。

「あんたいい加減にしなさいよ。最近全然起きてこないし、今日なんてズル休みじゃないの?」

 大丈夫? じゃないんだ。私は階段を駆け上がって戻り部屋の鍵を閉めた。

「ねえ、聞こえてる?」

「もちろん」

「あなたには何ができるの?」

「あなたがしたいこと全部」

「信じていいの」

「あなた次第」

「名前は?」

「そうね……新秩序ニューオーダー


 教室の中には無数の視線。全てが私を毛嫌いしている。私は花瓶を手に取って机の角で叩き割った。破片を右手に雛子に近づいて「いつも可愛いお花ありがとう」少し気分がよかった。手のひらを切ったせいか血が滴る。私は教室を出た。向かい側から誰かが歩いてくる。

川副かわぞえさん? だよね 手、大丈夫?」

「誰だっけあんた」

菊池紘きくち ひろ 小学校も一緒だった」

「そうだっけ ごめん私急いでるから」


 保健室で包帯を巻いてもらいながら雛子の怯えた目を思い出していた。急に可笑しくなって笑い声をあげてしまう。先生が驚いたような怪訝な目で「どうかした?」と聞く。私はきっとどうかしていた。ニューオーダーと手を結んだ時から私はなぜか自分が無敵の人だと感じていた。そしてそれは今も変わらない。私は今日までずっと苦悩してきた。そして憎悪のラインを越えた。


「次はどうしたらいい」

「そうね。手っ取り早くやってもいいかしら」

「ダメよ。私ずっと我慢したんだから。もっと苦しませなきゃ」

「じゃあその子のお友達を一人殺しましょう」

「え? 今なんて」

「だから一人殺しちゃうのよ。そしたらあの子もっと怯えるわ」

「殺すなんて そこまで」

「怖がらなくていい 任せてよ瑞季 ワタシを信じて」


 学校中が騒ぎになっていた。付近にはパトカーも停まっていて警察が校内に入っていた。女生徒が亡くなったのだ。殺人事件かもしれないって。でもアレは本当に人がやれる事なんだろうか。私は目の前で見てたのにそれが未だにわからない。脚がひどく震えた。

「川副さん 大丈夫?」

「えっと菊池さんだっけ 何が」

「あれから気になってて 今も気のせいかもしれないけど震えてる」

「そんな そんなわけないじゃん 何が え何が言いたいの」

「私は川副さんが心配なだけ」

「なんなのあんた 一緒のクラスでもないくせに 付き纏わないでよ」

「クラスが一緒かなんて そんなに大事?」

「その目でワタシを見るな」

「え? 今」

「もうほっといて!」


 私はまた部屋に閉じこもった。後悔があったのかもしれない。私の敵は雛子一人だったはず。なのに私はニューオーダーの提案を受け入れた。ニューオーダーは上手くやれてると言った。私はそれならもう雛子を、雛子だけをターゲットにしたいと言ったのにニューオーダーはまだダメと言った。また一人殺した。


 雛子が学校に来なくなった。花瓶も飾られなくなった。誰もが得体の知れない変質者に怯えていた。私はもう殆ど何も感じなくなっていた。雛子の席を見るとそこがポカンと穴のように空いている。そうだ、忘れ物を届けてあげなくちゃ。友達、だもんね。始まりを告げるチャイムが鳴った。


 私はいつもと違う帰り道を歩いた。昔はよく通った道。真っ直ぐ帰らずあの子と遊んでいた時間はどこか背徳的で恍惚だった。自分も特別な感じがした。雛子は特別だったから。私にとってかけがえのない子だったから。でも雛子にとってはそうじゃなかった。雛子がよく言ってたゴミとかクズとか私もその一つだったのだ。でももういい。だったら一緒にゴミクズになればいいんだから。待っててね。ワタシの可愛い人。

「待つのはお前だよ川副瑞季」

「誰」

「何度も警告した」

「あんたなんか知らない」

「もう全部遅い。戻れない。残念だ」

「邪魔を……するなぁああ!」

「もう 遅いんだ」

 体が前に行かない。なぜ。世界が回ってる。なに。これ。不意に首から下の私が見えた。どうなってるの。

「ニューオーダー とか言ったか。お前はどの世界であっても秩序ではあり得ない。弱いな。さようなら」

 頭だけの私が息をしている。それを彼女は抱きかかえた。キクチヒロだっけ。何が目的なの。

「川副さん。君は罪になった。だが終わる」

「本当に菊池なの? 全然違う人みたい」

「これはキクチヒロであってそうではない。だがもう君の気にする事じゃない。静かに眠れ」

 菊池紘はそう言って私の唇と自分のそれを重ねた。

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