第7話 山麓 サイレントヒューマンの村

 ここで少し2020年に起きたパンデミック以降のことについて振り返る。

 2020年パンデミックで身近になった「突然の死」や「経済の崩壊」に恐怖を感じた国民の大半は、政府の強いリーダーシップと保護、テクノロジー発展による恩恵に期待をして、身体にマイクロチップを埋め込むことを選択した。


「マイクロチップを活用することで、今後どんな危機的な状況においても政府が責任をもって誰一人取り残すことなく、皆様の安全なくらしと財産を守ります。マイクロチップを活用することで、医療・福祉や公共サービスなどの分野で最先端テクノロジーの恩恵を誰一人取り残すことなく行き渡らせます。マイクロチップを活用することで、持続的な年金制度を維持し、ベーシックインカムを全国民に配布し、誰一人取り残すことなく安心できる未来を約束します」

 

 といったような公約を時の首相が掲げて、2021年の総選挙で圧勝したことから、マイクロチップ埋込は国民に強制的に導入されることとなった。

 

 一方マイクロチップの強制導入は憲法違反であるという主張が一部司法の側から出されて、結果、全国民強制ではなくなったものの、埋込を拒否した者には権利上の大幅な制限が課されることとなった。制限は、首都東京をエリアとするスーパー特区への立ち入り制限、経済活動、交通手段、医療などあらゆる分野に及んでいる。

 

 埋め込んだ者が暮らすスーパー特区では、政府主導により最先端のテクノロジーが次々と導入された。あらゆる日用品を扱うコンビニは完全無人化キャッシュレスが進み、配送もロボットやドローンがほぼ行うようになった。行政の窓口もほぼ無くなり、マイクロチップのおかげで本人確認が入らないことから必要書類はほぼネットから入手することができるようになっていた。銀行の窓口も同様にほぼ無くなり、決済や融資などのサービスはほぼネット上で完結した。農業や製造工場、さらには福祉の現場などもどんどんロボットやAI導入が進んでいった。

 

 またメタバースやVRなどの仮想現実テクノロジーも大幅に進化した。仮想空間上で様々なコミュニティが作られ、大半の時間を現実世界よりも仮想現実で過ごすといった人々も出てきた。

 

 一方そうしたテクノロジーの導入により、ロボットやAIにできる単純作業や事務作業といった仕事がどんどん少なくなり、人々が相応に働くためにはそうしたテクノロジーを扱いこなすなどの高度な技術やマネジメント能力の習得が求められるようになった。そうした習得ができない者は、より低賃金の仕事に着くか、仕事につくことを諦めてベーシックインカムで最低限の金を得て暮らした。習得ができた者もまたその先厳しい競争にさらされ能力ある一部の者のみが立場を維持することができる社会システムとなっていった。

 

 かくしてスーパー特区内での所得や暮らしにはより一層の格差が広がっていった。またそうした風潮を受けて、学校教育はいかに社会の中での競争に勝ち残っていくかといった実利教育が中心となっていった。

「いかに勝ち組になるか」これが学校教育のスタンダードとなっていった。


 最寄りの駅からバスが10分ほど進むと、広大な田園とその先になだらかな尾根の長い山が見え始めた。ヨシキが広がる田圃を指さした。


「あれが田んぼ?あそこでお米作ってるの?」


「そう。あれが田んぼ。今はもう稲刈りは終わって稲架(はさ)掛けって言って、お米を干してるところだよ。天日で乾燥させることでお米は美味しくなるんだ」


「へぇ、お米ってああやって乾燥させるんだ」


「乾燥機って機械で乾燥させてるところがほとんどだけど、この地域では今でもそうやってる。やっぱりその方がお米美味しいんだ」


「へぇこれはあたしも知らなかったなぁ。稲穂、綺麗な色ねぇ」


 たくさん並ぶ稲架掛けの景色にハルも感心した様子で見入っていた。


「あれは何をしているの?」


バスが信号待ちしていると、ヨシキがまた指をさした。蓮根畑だ。


「あれはレンコンを掘っているところだよ」


「レンコンって。お正月に食べるカリカリするやつ?」


「そう。レンコンはね泥の中に深く埋まっているからああやって潜ってとるんだ。この辺はお米もたくさんとれるけど、レンコンもたくさんとれる。大きな湖が近くにあるからね」


「へぇ、あんな格好して、レンコン撮るのって大変なんだね」


 ヨシキは物珍しそうにあちこち指さしてはひなたに質問をしていた。


 そうこうしているうちに山麓のバス停に着いた。


「こうやってみると、この山大きいねぇ」


 目の前には筑波山という山が聳え立っていた。標高887mほどだが山麓から間近に見るとなかなかの迫力だった。


 3人は、日照庵というこの地域のみんなの溜まり場となる居酒屋を経営している堀野さんという人のところ向かった。


「こんにちは。堀野さん」


「おぉ、ヒナタ。何してたんだ? ずいぶん長く東京にいたんだな。親父さんも心配してるぞ」


「えぇ、まぁ色々ありまして。その辺のことは後で話すとして、ちょっとお願いがあるんですけど。この2人を1週間くらい泊めてくれる家を探しているんです。訳あって六本木から連れてきちゃったんです」


「え?!それはまた随分大胆な…」


「これもまた詳しくは後ほど話しますけど、うちだと狭いし、堀野さんなら誰か紹介してくれないかなと」


「あぁ。それならうちでよければいいよ。ちょうど会いてる部屋あるから」


「本当ですか。ありがとうございます。堀野さんならそう言ってくれると思いました。春

さんとヨシキくんです。よろしくお願いします」


春さんとヨシキくんはペコリと頭を下げた。


「あ、そうだ。今晩集会所でみんなで夕飯食べるからよかったら3人も来る?秋祭りの準備の会合なんだけど」


「あぁそれはいいすね。参加させてください」


「ヒナタ。2人にうちを案内してくれる?2階の奥の部屋が空いてるから。玄関の鍵も空いてるから」


「はい、分かりました」


「え!?玄関の鍵空いてるの?」

春が驚いた顔で言った。


「うん、この辺はね泥棒なんて入らないし、誰も人の家のものを勝手に盗んで行く人なんていないんだ。だから鍵かける必要ないでしょ」


「冷蔵庫に何かしら入ってるから適当に料理して食べていいから。昨日近所の人にもらった煮物が鍋に入ってるからそれも食べていいし、土間に畑からとってきたジャガイモとさつまいもが置いてあるからそれもよかったら茹でて食べていいよ」


 3人は堀野さんの家に向かった。日照庵から10分ほど歩いて着いた。

 庭に踏み入れると、春が第一声をあげた。


「あぁ。立派なお屋敷。大きい。庭も広いし、蔵もあるのね。テレビでしか見たことない、こんな大きな家。古いけど素敵ね」


 堀野さんの家は明治時代に建てられたもので、代々米問屋を営んでいたところだった。部分部分改修してあったが、屋根瓦も柱もその当時のものだった。


「築120年のお家だよ」


「木造のお家ってこんなに長く住めるのね。いまの都会のマンションなんか50年くらいで建て替えとかだもんね。あたしが小さい頃住んでたところなんてもうないわよ」


「木造のお家って柱なんかも部分的に直して使えるんですよね。鉄骨だと腐食したらそうはいかないみたいだけど。雨の多い日本の風土にはなんだかんだって木造が一番適してるって親父が言ってました」


 家の中に入る。やはり鍵はかかっていない。


「へぇ土間なのね。奥には囲炉裏がある。なんか思ったより雰囲気あるねぇ」


「春さん、なんか最初は田舎暮らしなんてできない港区女子みたいなこと言ってましたけど、案外気に入ったんじゃないすか?」


「何言ってるの?!あたしは元々こういうのも好きなの。ずっと住むには退屈そうだけど、たまに訪れるにはいいかもね」


「へへ。さぁ、部屋は2階みたいだから、あがってゆっくりしててください。俺は家に帰って親父に事情を話してきます。何日も留守にしちゃったから。5時ごろまた迎えに来ますね」 


「あ、ヒナタくん。夜はあたしとヨシキは遠慮しておくわ。いきなりそんなみんながいるところに行くのは気がひけるしなんだか疲れちゃったから。でも1週間後の秋祭りっていうのは素敵ね。それは見てみたいわ」


「分かりました。じゃあまた明日来ます。さくらさんの診療所に一緒に行きましょう」

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