第3話 少女Aとの出会い
(2023年のことである)
幼少のヒナタは、家から少し離れた小高い丘の上にある小さな神社で一人よく遊んでいた。蚕影(こかげ)神社と呼ばれる寂れた神社だった。拝殿の隣には神楽殿があって、そのすぐ隣は崖になっていた。
梅雨の時期のとある朝のことだった。突如、地面が激しく揺れた。
「え、何だ? 地震?」
崖崩れだった。崖側から徐々に地面が崩れて、神楽殿が傾き、崩れ落ちた。ヒナタは土砂とともに崖下まで流された。幸いにも土砂と瓦礫の間に出来た僅かな空間に挟まり、即死は免れた。
「身体が動かない。オレ死んじゃうのかな?…なんだかとても眠いや」
かろうじて息はできているが、身体は土の中に埋もれていて身動きが取れない。
ヒナタはそのまま眠ってしまった。しばらく時間が過ぎた。
「うぅ、身体が痛い。まだ死んでないみたいだ。誰かが助けてくれたのかな? 夢だったのかな? ここはどこなんだろう?」
意識が朦朧としている。状況は変わってなくて、ヒナタは埋もれたままだ。
「夜か。今日はもう満月なんだ。あれ?この前はまだ半月だったのにな…」
ヒナタは瓦礫と土に埋もれていて見えないはずの外の様子が何となく分かった。
土の中の虫たちがヒナタの身体の上を這っている。まるでヒナタの身体を地球の一部として認識しているかのよう。
「虫かぁ。なんだ、オレ助かってなかったのか。虫さんたち、土をかき分けてオレのこと運び出してくれよぉ。この神社、人ほとんど来ないからさぁ」
ごごごぉー、ごごごぉー。地球の奥深くから鳴り響く音がヒナタに聞こえた。50年前くらいの賑わいのあった頃の神社の様子がヒナタの脳内に再生された。
「へぇ、ここの神社も昔はそんなにたくさん人が来てたんだ。しかも遠くからもたくさん」
ごごごぉー、ごごごぉー。
「そうかぁ。そのうち助けが来るって。じゃあこのままもう少し待つよ……ていうか地球ってしゃべるんだね…」
結局、ヒナタは数日間全く光のささない土の中で生死を彷徨ったが、最終的に村の救助隊が助けに来て、一命をとりとめた。
(2030年のことである)
ヒナタは14歳になった。
夏のある日、山麓のバス停に白いワンピースを着た少女が立っていた。
『わ、なんて美人!』
バスから降りて、少女を一眼見たヒナタは思わず息を呑んだ。
「あの、蚕影(こかげ)神社というところに行きたいんだけど、ここからどうやって行ったらいいのかな?」
少女はヒナタに話しかけた。
「蚕影神社?!この道をまっすぐ行って、十字路を右に曲がって、ずっとまっすぐ行くと丘があって、その上だよ。ここからだと歩いて行ったら30分以上はかかりますよ」
「結構遠いんだね」
「自転車とか貸しましょうか?うち近くなので」
「私、自転車乗れないの。大丈夫よ。歩いていく」
少女はバックから日除けの帽子を取り出してヒナタの指さした方向へ歩き出した。
「じゃあ俺が乗せていきましょうか。この暑い中歩くの大変でしょ」
「え!?いいの?ありがとう」
ヒナタは少女を自転車の後ろに乗せて蚕影神社へ向かった。
「君はいま中学2年生くらい?」
数百メートル進んだあたりで少女が話しかけた。
「あ、はい。中2です」
ヒナタはそう答えて、一瞬後ろを振り向いた。
「当たりだ。君、かわいい顔してるよね」
ヒナタは自分の胸の鼓動の高鳴りに戸惑った。『お姉さんこそめっちゃ美人なんですけど』と心の中で思いつつ、声にすることはできなかった。全身に汗を滲ませ、ただ自転車を漕ぎ続けた。
少女がまた話しかけた。
「わたしの祖母がね、絹織物とか着物を扱う仕事をしてたの。自分はもう行けないけど、わたしにいつかここの神社に行ってこいって言ってて。それで来たの。蚕影神社って絹を作る蚕の神さまの神社なんでしょ?」
「あぁ、そうみたいですね。昔はあちこちからたくさん人が来てたって聞いたことあるな。いまじゃ地元の人もほとんど行かないところだけど。」
「近くにはきぬって川もあるんでしょう?」
「あ、はい。確かに。なるほど、その、きぬってことか」
二人はほどなくして蚕影神社に着いた。鳥居をくぐり、石段を登ると、小さな社殿が見えた。
「へぇ。確かに少し寂しい感じだけど、空気がとても澄んでる。木々も立派。水もきちんと流れてる」
と少女は笑みを浮かべながら言った。
「うん。俺も実はこの場所が好きで、小さい頃よく一人で遊んでたんだ」
少女は社殿の前で静かに手を合わせた。それから彼女は神社の境内をゆっくりぐるっと一周した。奥のクスノキが気に入ったのか、木の幹に手を当ててしばらく目を瞑っていた。
小高い丘になっているところなので、神社の境内からはヒナタの住む集落を見渡すことができた。集落の周りには大きな水田が広がっていた。
「気持ちいい風の吹くところね。ねぇ、この辺に宿とかあるの?何日かここに泊まろうかしら?」
「あっちの山の麓らへんに何軒かあるにはありますけど。でもお姉さん見るからに都会の人っぽいですけど、ここってサイレントヒューマンの村ですよ?」
「知ってるよ。わたしはそういうの気にしないタイプだし、こういう田舎に少し滞在してみたかったの。夏休みだし。君も夏休みでしょう?何日か私に付き合ってこの辺案内してよ」
「え?!」
ヒナタは呆気にとられた表情をした。
「高校最後の夏休みよ。付き合ってよ」
「あ、え、はい」
ヒナタは口籠もりながら返事をした。
「それに何となく君のこと今日初めて会った気がしないというか、他人じゃないというか、不思議な縁を感じるの」
ヒナタは思わず頬を赤らめた。
「やだ。好きとか告白してるとかじゃなくてね。なんて言うのかな。わたしちょっと変わってるの。でも君もきっと変わってる人だろうなって思って。同じ匂いを感じるというか。変に聞こえたらごめんね。例えばさ、木とか虫とかとか会話できたり、川の声とか聞こえたりとかしない?」
「あぁ…そういえば…実は小学校2年生の時にここの崖から落ちて、その時以来ちょっとそういうのあるようになっちゃったんですよねぇ。時々ものに語りかけられるみたいな」
「やっぱりなぁ。さっきあの木が言ってた。君とも昔はよく話をしてたって。最近来なくなっちゃって寂しいって」
「うん。今年からバンド始めちゃったから、なかなか来れなくなっちゃったんだ」
「へぇ、君バンドやるんだ。歌、聞かせてよ」
「さっきのバス停の近くに秘密のスタジオがあるんですけど、行きます?」
「うん。行きたい」
二人は自転車でそこへ向かった。
秘密のスタジオは、昔、米の保存倉庫として使われていた石蔵で、20年ほど前に現代風にリノベーションされ当時の流行で石蔵カフェとして一時使われていたが、ここ数年は廃墟となっていたところだった。ひなたは仲間と共にその石蔵を「Vacant Room」と名付けて、バンドの練習場としていた。
「へぇ、素敵なところじゃない。ここ、とても歴史があるのね。いろんなストーリーが聞こえてくる」
少女は石蔵の中を一通り見回して、あちこち手を触れてみた。
「ふん、ふん。そうか。そうか」
少女は壁にかけたあったギターをヒナタに渡した。
「はい、何か弾いてよ」
「まだ練習し始めたばかりだから下手くそですよ」
ヒナタはそう言いながら、少女が知っていそうな流行りの曲を弾き始めた。
少女は部屋の隅っこの冷蔵庫から勝手に缶チューハイを取り出し、飲みながら、ヒナタのギターを聴いた。
「へぇ、上手じゃない。歌も歌ってよ」
「え!?まだ人前で歌ったことないんだよな」
ヒナタは恥ずかしそうな素振りを見せた。
「じゃあ、私が初めてのお客さんだね」
ヒナタは遠慮がちに歌い出した。マイクもなく、小さな声だけど、とても透き通った歌声だった。
声変わりしたての、声帯の不安定な震えが初々しいビブラートを効かせている。サビに入ると、声に力が増した。
あどけなくも、芯の強い声が、石蔵の中に響き渡った。
少女は目を閉じてひなたの声に聴き入っていた。
「とてもチャーミングな声ね。歌を歌うのは、君のお役目かもね」
「お役目?」
ヒナタは聞きなれない言葉にポカンとした顔をした。
「そう、人はねみんな何かしらお役目を持って生まれてくるの。この世界に君が生まれた意味ね。歌を歌うのはきっと君のお役目よ。絶対に続けたほうがいいよ。ここも練習場所として最高」
少女はまっすぐな瞳でひなたを見つめながら言った。ヒナタは返す言葉が見つからず恥ずかしそうに目を逸らした。
少女は缶チューハイを飲み干し、ひなたに近寄ると、
「今日はありがとね。神社に行けてよかったし、君に会えてよかった」
と言った。
それからヒナタの肩に手を回して、ヒナタの頬に自分の頬をそっとくっつけた。
「またね。バイバイ」
彼女はそそくさと振り向き、石蔵から去っていった。
ヒナタは呆然と立ち尽くし、少女が開け放った扉の向こうをただ眺めていた。缶チューハイの匂いがいつまでもヒナタの顔まわりに残っていた。
数分が過ぎた頃だろうか。ヒナタは我に戻り、慌てて外に駆け出し、少女を探した。少女の姿は見当たらなかった。
「なんて綺麗な人だったんだろう」
翌日、ヒナタは思い当たる宿を探し歩いてみたが、それらしき人物の宿泊のあとはなかった。
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