第7話 昼頃の草原。二日目。
小さなりんご半分では、やはりおなかがすきます。これからどんどん歩かないといけないのでおなかにももう少し入れたい気分です。
「あれ、そういえばクッキーもらってなかったっけ。」
昨日はりんごをもらいましたが、今朝もクッキーをもらっていたのでした。リュックを探ると岩埜くんが入れてくれた袋があります。
「あの人はどうしてクッキーには気付かなかったんだろう。」
また謎が増えました。
ともかくクッキーを口に入れます。人気商品だというだけあって、大きめでごつごつと香ばしいクッキーは、中の方はしっとりと甘く、仁多くんはまたたく間に食べてつくしてしまいました。
「ごちそうさまー。」
ちょっと食べ過ぎたかな、というくらい大満足です。これなら元気よく歩いて帰れそうです。
いつになく、仁多くんは急いでいました。帰りは少し上り坂なのでいつもはゆっくり帰るのですが、今日は帰ってからもやることがいっぱいです。
「やっぱパンが先かな。こねて、待ってる間に日辻さんかな。そんなうまいこと日辻さんたちがいるかな。」
日辻さんたちの毛を梳く仕事は本当は毎日しないといけません。いろんな方に毎日交代で来てもらって毛を梳いていかないと、日辻さんたちは自分ではできないので、放ったらかしておくとそのうち毛まみれになって身動きが取れなくなってしまうのです。ご家族によって毛色が違ったりするので、白っぽいご家族の毛を梳く時期と、茶色っぽいご家族の毛を梳く時期を分けることで、できあがる毛糸も白系か茶系に分かれます。
「そういえば昨日は宇崎さんのを少しもらえたんだった。」
うふふ、と仁多くんは一人でにやけてしまいます。
実は、宇崎さんからもほんの少しずつですが、毛を分けてもらえることがあるのです。宇崎さんは日辻さんたちとは違い、一本一本がかなり細くて長いのです。うっかりするとあっという間にふわふわと飛んで行ってしまいそうな毛は、集めると空気をたくさん含んで、それは柔らかな毛糸になります。
しかし日辻さんちと違って宇崎さんはいつも一人で仁多くんの家へやってきます。仁多くんは山の方には行かないですし、宇崎さんにどのくらいご家族がいるかもわかっていません。毛をたくさんいただきたくても、なかなか難しいのです。
「クローバーも探さなくちゃね。」
最近宇崎さんは会うたびにクローバーを探しているようです。仁多くんが保管している野菜を漁って食べたりもしていますけど、仁多くんは家に鍵を閉める習慣がないですし、宇崎さんは日辻さんたちより器用に扉を開けられますし、仕方ないのです。家の周りにはクローバーは生えていないので、帰る道すがら探すしかありません。
首を伸ばしてあちこちを見ながら歩いていると、また遠くの方に人影が見えました。
「またケイさんだったりして。」
まさかね、と思いながら眺めていると、まるで怒っているかのように大股でぐんぐん歩いています。
「あれ、やっぱりそうか。」
仁多くんは手を大きく振って合図をしました。
「ケイさーん!僕です、仁多でーす!」
しばらくするとケイさんも気付いたようで、 こちらに向かってぶんぶん手を振り、向かってきました。
「おつかれー。もう帰るのかい?」
ケイさんはあっという間に仁多くんに追い付いたわりに、息も乱さずに聞きました。
「はい。今日は家でやることがいっぱいあって。」
仁多くんは立ち止まらずに話します。
「じゃあ俺もそっち方面に行ってみようかな。」
「どこか行く場所が決まってるわけじゃないんですか?」
「決まってないんだ。あちこち歩きながら調べてるっていうか、この辺のことを詳しく知りたいと思っててね。色々教えてよ、仁多くん。」
なるほど。だから昨日も色々聞かれたのですね。仁多くんは納得しました。
「そうですね、ケイさんはどの辺を歩いて来られました?」
「うーん、主に西の草原の方かな。東の森の方は色んな人が行ってるらしくてそこそこ情報があるんだ。草原は羊しかいないよって誰も行きたがらないから、却っていいものがあるんじゃないかと思ってね。」
東の森とは真滝さんやそのお仲間さんたちが住んでいる方面です。たしかに仁多くんの住む西の草原と比べると人も多いし緑豊かで動物などもたくさんいると聞きます。
「なにか探しものがあるんですか?」
「探しものっていうか、なんかこう、出会い?みたいなのを探してて、自分の経験値を上げてでっかくなりたいって言うのかな。」
よくわかりません。恋人探しだったら町に行ったほうがよさそうですが、そういうものでもないのでしょうか。仁多くんが首をひねっていると、それに気付いたケイさんは
「いいよ、あんまり気にしなくて。仁多くんはずっとこの辺に住んでる人なんだろ?いろいろ教えてよ。」
と、また言ってきます。
「とりあえず、僕はもう少し先の、ここより上の方に住んでいます。」
「うん。」
「日辻さんたちと暮らしながら編み物をして暮らしているのですが、当たり前ですがパンを焼いたり畑で野菜を作ったりとかもしないといけません。今日はパンを焼く日なので急いでいます。あと日辻さんたちは羊じゃありません。」
「なるほど、自給自足ってわけか。なんでも自分でするってのも大変だね。仁多くんは一人暮らしなの?」
「家族がいるのかと言われると、いない感じなので一人暮らしだと思います。でも柏さんや日辻さんたちも周りにたくさんいらっしゃいますし、宇崎さんとか毎日のように遊びに来てくれる方もいるので寂しくはないです。」
「ああ、羊さん以外にも実はいろいろいるんだね。」
「そうです。」
まだちょっとケイさんの言う「日辻さん」の発音が違う気がしましたが気にしないことにしました。
「なんか仁多くんの暮らしにも興味あるなぁ。これから遊びに行ってもいい?」
「いいですけど、僕は今日はやることいっぱいですよ?」
「いいよいいよ、むしろ手伝わせてよ。パン焼きとかやってみたかったんだ。」
「ケイさんはパンを焼いたことがないのですか?」
「うん、こっちではないねぇ。」
自分でパンを焼かないということは、いつも買っているということでしょうか。もしかしてケイさんは結構お金持ちなのかもしれないな、と仁多くんは思いました。
「いいですよ、じゃあ一緒に焼きましょう。」
「やったね。」
二人で連れ立って帰ることになりました。
狭い道は前後に分かれたり、開けてきたら横に広がったりしながらケイさんと歩いていると、ますます不思議な人だと思うようになりました。服装は、昨日も着ていたシャツやズボンなどは少しみすぼらしいくらいの質素な作りなのに、今日初めて見た上着の方は革を使っていてとても丈夫そうな高価な品です。真滝さんが売っている斧を背中に背負っていますが特に木を切る仕事をしている風でもありません。昨日はお金がないと言っていましたが、市場では仁多くんの品物を二つも買ってくれました。
「ケイさんは、普段はどんなお仕事をされてるんですか?」
好奇心に勝てずに聞いてみました。
「んー?俺はねぇ、まだ決まってないっていうか、自分探し中?っていうか。もうちょっと経験値が上がったら職業とかも決まってくると思うんだけどね。いろいろ考え中なんだよ。」
「そうなんですか。」
相槌は打ってみたものの、仁多くんにはさっぱりわかりません。職業が決まっていない人とか世の中にいるのでしょうか。失礼ですがケイさんは仁多くんよりかなり年上に見えます。いったい今までの人生をどうやって生きていたのでしょう。やっぱりお金持ちなのかな。でもそこから先はあんまり聞いてはいけないような気がしてしまいました。
「着きました。あれです。あれが僕の家です。」
ちょっとした木立を草叢を抜けると、仁多くんの家が見えてきました。柏さんが近くで地面をつついているのが見えます。
「あれかー、かわいらしい家だね。」
楽しそうにケイさんが言います。
「あの家の前にいるのが鶏?」
「鶏じゃありません。柏さんです。」
「ふーん。そういえば羊さんたちはどこにいるのかな?」
ケイさんは面白そうにあたりを見回します。
「そういえば姿が見えないですね。まだお昼なので、みなさんあちこちでお食事中なんだと思います。夕方くらいになるとうちの周りに集まってきてくださいます。」
「よくしつけられてるんだねぇ。」
「え?」
日辻さんたちは自由に暮らしながら、ときどき仁多くんの手伝いをしてくれるありがたい人たちです。ひとところに暮らしてるわけでもなく、来たいときに仁多くんの家の近くに来るので、それに合わせて一緒におしゃべりをしたり毛を梳かせてもらったりしています。しつけるとかいう立場ではないですし、なにか大きな誤解がありそうです。
「さぁ、じゃあパンはどうやって焼くのかな?」
どうやって説明しようと仁多くんが考えあぐねている間に、ケイさんは張り切って腕まくりを始めました。
「ちょ、ちょっと待ってくださいね。」
仁多くんはあわてて準備を始めます。
家に入って荷物を下ろし、鍋を出して小川の水で軽く洗います。小麦粉を買ってきた量の四分の一くらい鍋に入れて、少しの塩と砂糖、水、パン種と一緒にこねます。
「へー、結構普通に作るんだね。」
ケイさんが不思議な関心の仕方をします。あわてていつも通り作り始めてしまったので、仁多くんが一人で作業を進めてしまっていました。
「こねてみますか?」
「いいの?やるやる。」
仁多くんが勧めてみるとケイさんはためらうことなくパンをこねだしました。
「おお、面白い感触だな。」
楽しそうなのはいいのですが、こね方がぐちゃぐちゃです。生地の中で指を動かしているだけなのでこれではちっともまとまりません。
「ちょっとこね方が違うんです。鍋に押し付けるようにして、こう。」
仁多くんが実践して見せます。どうやらケイさんは本当にパン作りが初めてのようでした。
結局、こねたり丸めたりパン作りの作業の大半は仁多くんがいつも通り行って、ケイさんはそれを楽しそうに眺めていることになりました。生地がまとまったのでしばらく待って発酵させる段階になりました。
「あとは待たないといけないので、ちょっと休憩です。」
「なるほど。」
「待ってる間に日辻さんたちにお願いしたいことがあったのですが、どなたかいらっしゃいますかね。」
「え、どうだろうね?」
パン生地を入れた鍋に軽く布をかけてから、二人は外に出てみました。
眺めてみましたが、日辻さんたちの姿はありません。
「残念です。今日こそ毛を梳かせてもらわないといけないのですが。」
「仁多くんは、羊さんの毛を使って編み物をしてるんだろ?」
「…ええ、そうです。」
「もっと効率的に毛を取ればいいのに。梳くんじゃなくて、毛刈りとかさ。」
「え、毛刈りって?」
「知らないの?羊をこう、ひっくり返して身動き取れなくして、大きな鋏でじょきじょきじょきって、」
「ひえっ、」
仁多くんの背筋が凍りました。ケイさんはなんて恐ろしいことを言うんでしょう。日辻さんをひっくり返す?身動きを取れなくして鋏で、
「それは犯罪です!暴力です!僕にはできません!」
ケイさんは不思議そうな顔をしました。
「そう?そういうもんだと思ってた。」
「聞いたことありません!」
「そっか。じゃあこっちでは違うんだな。」
なるほどなるほどと興味深そうにケイさんはうなづきます。仁多くんには意味不明でした。ケイさんの住んでいるところではそんな恐ろしいことが行われているのでしょうか。
「で、その集めた毛で毛糸を作って、編み物をしてるんだね。今日もらったマフラーとか靴下みたいな。」
「は、はい。」
「他には何か編まないの?」
「あ、セーターとか、大きいものも編んでみたいとは思っています。あといろんな模様を入れたものとか、毛糸に色を付けてみたいなとかも思ってて、」
「おお、いいね、夢は膨らむね。」
「え、ええ、そうですね。」
夢、というのともちょっと違う気がします。そのうちやらなきゃな、くらいの気持ちでした。
「仁多くんがかぶってる帽子ってちょっと作り方とかが違うのかな?俺のマフラーよりなんだかあたたかそうだけど。」
ケイさんはよく質問をしてくるし、あまりものを知らなさそうな割に、いいところには気が付きます。
「これは、ちょっと素材が違うんです。いつもは日辻さんたちの毛で作っているんですけど、これはちょっと特別に宇崎さんにお願いした分も入ってて。」
「うさきさん?」
「山の方に住んでらっしゃるんです。日辻さんとは違った毛をしてらっしゃってて、とても暖かくて素敵なんですけど、お年を召した方ですしあまりだいそれたお願いはしづらくって、少しずつ集めたものを日辻さんたちのに混ぜてみたんです。」
「へえ。」
「でもほんとすごいんですよ!宇崎さんのは半分も入ってないと思うんですけど、他の毛糸と手触りとかも全く違って、ふわふわで暖かくて、とにかくこの帽子はなかなか作れないので売れないんです。次いつ作れるかもわからないんです。」
「へえ、すごいな。」
ケイさんは少しびっくりしたような顔をしました。ちょっと興奮して喋りすぎたかもしれない、と仁多くんは恥ずかしくなりました。
「ご、ごめんなさい、僕ばっかりしゃべっちゃいました。」
「いやいや、いいんだよ、面白かったよ。さて、俺はそろそろ。」
そう言ってケイさんは下ろしていた荷物を背負って出かける支度をしました。
「え、パンをまだ焼いてませんよ?せっかくだから食べていってください。」
「いいんだよ。こねるのが十分面白かったし、仁多くんの話も色々聞かせてもらったし。
「え、でも。」
「まだ向こうの方でやりたいこともあるんでね。」
ケイさんは遠くの草原の方を指さしました。
「また店の方に行くよ。またね。」
そう言って、大股でさっさと歩き去ってしまいました。
「やっぱり不思議な人だな。」
マロードの人はみんなあんな風にちょっと不思議なのかな。そう思いながら仁多くんはパン焼きの続きをしに家へ戻りました。
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