第6話 市場にて。二日目。

「いらっしゃいませー!おいしいパンはいかがですかー!」

「おはようございます。採れたての果物揃ってますよ!」

「はい!肉!肉焼けたよー!」


 様々な格好をした人たちが橋を渡ってこちらの方へ向かってくるのが見えたと思ったとたん、市場の人たちは口々に大きな声で彼らに呼び掛け始めます。


「いらっしゃいませー!焼き立てのパンにクッキー、長持ちするビスケットもありますよ、どうぞー!」


 岩埜くんお兄さんも張り切って今日のお仕事開始、という感じです。

 仁多くんもうかうかしていられません。

 じゃ、またね、と手で表現して岩埜くん弟にあいさつし、走って自分の店の場所まで向かいました。


 「いらっしゃい!旦那!鍬や斧はいりませんかね!…お、仁多、遅いじゃないか。」


 真滝さんもさっそく呼び込みを始めていました。


 「すみません、見ててもらってありがとうございます。」


 仁多くんも真滝さんの隣に駆け込み、あわてて自分の店の準備をしました。と言っても並べるものはいつも決まっているので簡単なものです。茶色いマフラー、白っぽいマフラー、茶色いミトン、白っぽいミトン、茶色い靴下、いつも同じような品ばかり。こんなんじゃ結局今日も売れないんじゃないかな。活気づいている周囲を見渡しながら、仁多くんは早くも落ち込みそうになっています。


「あ、あの、マフラーとか、靴下とか、いかがですか。」


 自然と声も小さくなります。


「旦那!鍬はどうですかい?どこでもあっという間に耕せるよ!」

 大きな声で接客しながら真滝さんがちらりと見てきたような気がしました。さすがに今日はなにか売らないといけません。


「マフラーとか、靴下とか、ミトンとか、あたたかいですよいかがですか。」


「…少し見せてもらおうか。」

 そう言って覗き込んできた人がいました。


「お、旦那いらっしゃい。斧をどうもありがとうございます。次はどんなのにいたしましょう!」

 続けざまに真滝さんが返事をします。

 なんだ真滝さんのお客さんか、と仁多くんが思った瞬間、


「いや、こちらの編み物の方だ。」


「え。」


 驚いて思わず変な声が出てしまいました。相変わらずごった返しているのは真滝さんの店の方なので、てっきりそのお客さんも道具類を見たいのだと思ったのです。

 その人はだいぶ背が大きく、体つきはがっしりしています。質素な服の上に上着を着て、背中には斧を担いでいます。おそらく真滝さんの店のものなので、真滝さんもこの方に声をかけたのでしょう。


「ケイさんですか?」


 このマロードの人には見覚えがあります。というか、仁多くんが知ってるマロードの人は一人しかいません。昨日帰り際に出会った難しい名前のケイさんです。


「こんにちは。」

 ケイさんは口角を上げて挨拶してくれました。

「昨日はどうもね。」

「いえ、こちらこそ、昨日はどうもありがとうございました!」

 仁多くんはなんだか嬉しくなってしまいました。マロードの人と言えばだいたい得体のしれない印象だったのですが、この人は昨日出会ったばかりでもう仁多くんの店にまで来てくれたのです。


「えっと、えっと、マフラーとか靴下とか、あたたかいのがいっぱいです。どうですか。あ、夜は冷えてきますから、今はあたたかくてもあたたかいのがあるといいですよ、どうですか。あれ?」

 ちょっと自分でもなにを言ってるのかわからなくなってきました。落ち着け僕、と仁多くんは心の中で叫びました。


「はは、面白いね、仁多くん。」

 マロードのケイさんは笑ってくれました。

「そうか、夜は確かに冷えるよね。じゃあ靴下とマフラーをもらおうかな。」


「え、本当ですか?じゃなくて、ありがとうございます!」

 気づけば仁多くんは大声を出しっぱなしです。呼び込みの時より大きな声だったかもしれません。

「ちゃ、茶色いのと、白いのとありますけど、」

「じゃあどっちも茶色いので一組ずつ。」

「ありがとうございます!」


 仁多くんは震える手で茶色の靴下とマフラーを差し出し、お代をもらいました。


「じゃあ早速今日から使ってみるよ。ありがとう。」

 そう言ってケイさんは草原の方に向かって去っていきました。

「ありがとうございます!」


 仁多くんは何回ありがとうございますと言ったかわかりません。お客さんが初めてというわけではないのですが、マロードの知り合いは初めてでした。昨日少し話して食べ物を分け合っただけなのに、今日にはわざわざ仁多くんの品を買いに来てくれたのです。


「今日も僕は幸せですねぇ。」


 思わずひとりごとが口をつきました。


「お客が一人来ただけでなに言ってんだよ。」

 隣で真滝さんが笑いました。

「それはそうなんですけど、」

「その勢いでもうちょっと売っちゃいなよ。いらっしゃいませー!」


「いらっしゃいませ!あたたかいマフラーや靴下はいかがですかー!冷え込む夜にぴったりですよー!」

 調子に乗って、さっきより大きな声が知らぬうちに出るようになっていました。防寒用の編み物を売っているはずなのですが、仁多くんの顔はだいぶ赤く火照っています。


ひとしきり呼び込みをして、結局もうあと2足、靴下が売れました。


「今日は結構売れてたんじゃないか?よかったな。」

 真滝さんも自分のことのように喜んでくれました。

 仁多くんの品物は一組作るのに相当な時間がかかるので、どうしても値段を下げることができません。一日のうちに3,4組売れることなどめったにないのです。


「急いで帰ってまた作りためないといけません。」

 お客さんの波が収まってきたので、仁多くんは急いで帰り支度を始めました。

「一人は大変だなぁ。仲間作れ、仲間。」

「あはは。」


 今日はこの後もやりたいことがいっぱいです。パンを作って編み物をして、いや、日辻さんたちの毛を集めて洗うんだったかな、そういえば早く帰ってきてって言われてのはどうしてだったっけ。ああ、宇崎さんにクローバーも持って帰りたいし、毛糸を染めるなにかは、仕方ないから後回しかなぁ。

 頭が混乱してきました。とりあえず家に向かって歩き始めて、歩きながら考えをまとめることにしました。


 まだお昼前でしたので、市場には人がいくらか残っていました。

 すみません、すみません、と声をかけながら、なるべくぶつからないようにしながら、仁多くんは人波を縫って市場の外れまでやってきました。


 そういえば、急いで帰らなきゃ、しか頭になかったので、今日のお昼を調達するのを忘れています。

「え、どうしよう、なにか買いに戻る?でもな、」

 立ち止まって市場の方を振り向いてちょっと考えた時、


「りんごがあるでしょうよ。」


 突然、道端から話しかけられました。


「え、え?」


「あなた、りんご持ってるでしょう。それを食べればいいじゃないの。」

「え?あ、たしかに、そういえば。でもどうして?」


 仁多くんの頭の中ははてなでいっぱいです。

 でもたしかに、リュックの中には昨日岩埜くん兄弟にもらったりんごの残りが一個、入っています。


「だいたいわかるのよ。」


 声の主はめんどくさそうにぶっきらぼうに答えました。

 市場の外れ、もうこのあとはだんだん生える草も増えてきてやがては草原になるような境界あたりに、敷物を敷いて女の人が座っていました。市場の女の人といえば、お客さんからよく見えるように小綺麗にしていたり、色鮮やかな色の服や飾りを付けていたりするのですが、この人はそんなことは全然考えていないようでした。何年も着ているような地味の色合いの服に、端のほつれたショールをかけています。


「で、あるの?りんご。」

少し怒っているような口調で女の人が言います。

「え、あ、ありますあります。えっと、ほら、」


 リュックの底を少し漁って、仁多くんは小さめのりんごを取り出しました。


「半分ちょうだい。」

「え?」

「半分は私のものでしょ。そこに忘れてるのを気付かせてあげたんだから。」

「え、あ、はい。」


 わけもわからぬまま、言われるがままに仁多くんはナイフでりんごを割って、半分をその女性に渡しました。


「じゃ、もういいよ。」

 受け取ったりんごを少し離して見つめながら、女性が言いました。


「え?」

「もう用はないでしょ、って言ってるの。行っていいよ!」

「え、あ、はい。じゃ、どうも。」

 しろどもどろになりながら、仁多くんもりんごを手にその場を離れました。


 あの人は一体何だったんだ?

 よくわからないまま、りんごをかじりながら、頭ははてなでいっぱいのままです。

 どうしてあの人は僕のリュックにりんごが入っていることがわかったのだろう。知っている人だったかな?いえ、初めて会う人のはずでした。岩埜くん兄弟の知り合いとか?それにしたって仁多くんの荷物の中身まで知ってるのはおかしな話です。

「僕がおなかがすいてごはんについて考えてる最中だってわかったのはどうしてだ?」

 お昼前だからみんなそんなもんなのでしょうか。じゃありんごのことは適当に言ってみたのでしょうか。それも変な話です。

「あれ、そもそもりんご半分はあげなきゃいけなかったのか?」

 そんな疑問もわいてきましたが、もうあとの祭りです。まぁ仕方ないか、と思いながら最後の一口を食べようと手にしたりんごを眺めると、


「うわっ、」


 少し残ったりんごの端から、小さな虫が出て来ていました。小指の先ほどの長さの小さな芋虫ですが、仁多くんは目が合ってしまい、そのあとは食べる気になりません。ごちそうさまでした、とつぶやきながら、虫のついたりんごのかけらを草叢に向かって投げました。



 

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