第5話 いつもの朝。二日目。
ぴーーよろろ、ぴーーーよろろろろ。ぴーーーーーよろろろろろろろ。
抜けるように高い声が聞こえてきます。朝なのでしょうか。
ここがどこなのかわからず、迷子になったような不安な気持ちに包まれていました。しかし意識がはっきりしてくるにつれ、それは今見た夢のせいだと気づきました。
なんの夢を見てたんだっけ、
そう思いながら、少年は目を開けました。目を開けると景色はすっかりいつもの家の中で、夢を見ていたことすら忘れてしまいました。
窓の外には白い雲が流れているのが見えます。その向こうには青い空。今日もいい天気になりそうです。
「うーーーん、起きるぞー。」
ひとつ伸びをして、ベッドから降り、ズボンと靴を履きました。
たらいとやかんを持って外に出ます。
「仁多くん、おはよう。」
「おはよう、仁多くん。いい朝ね。」
ミルクのように白い姿の仲良し姉妹が声をかけてきます。
「日辻さんたち!もう大丈夫なのですか?」
すっかり元の姿に戻った姉妹の様子に驚きながら仁多くんは答えました。
「ええ、だってねぇ、」
「一晩寝ちゃえばねぇ、」
うふふふ、と笑いながら仲良し姉妹は畑の方に向かいます。
「あ、ごめんなさい、日辻さんたち、畑の葉っぱは食べないで。でも昨日は大変でしたね。すっかり元に戻ってらっしゃるようでよかったです。」
言ってから仁多くんはまた「しまった」と思いました。
日辻さんお姉さんが顔を上げて仁多くんをちらりと見てから言いました。
「いいのよ。」
少し笑みが減ったかのような声でした。妹さんは無言で葉っぱを食べています。
「あ、えと、僕、水を汲んでこなくちゃ。」
そう言って仁多くんは家の裏手の小川に水を汲みに行きました。
やっぱり夕べ突然変わってしまった毛色については話題にしない方がよさそうです。一体二人に何が起きたのか、今日はどうして元通りになっているのか、気になって仕方ありませんが本人たちには聞けません。宇崎さんならなにか教えてくれるのかな、と思いましたが、夕べは宇崎さんにもはぐらかされたのでした。
「でもまぁ日辻さんたちが元気になってよかった。」
そう声に出して洗ったシャツを干し、干しっぱなしにしてた方のシャツを着て、やかんを持って表に戻りました。
「仁多くん、おはよう。」
「柏さん、おはようございます。」
「あのね、朝から大変申し訳ないのだけどね、私、どうも、落とし物をしてしまったみたいなの。」
「それは困りましたね。」
「恥ずかしいから、見つけても私には教えないで頂戴な。」
「わかりました。気を付けます。」
仁多くんの言葉に安心したように、柏さんは足元をこづきながら去っていきました。
「柏さんはいつも通りですね。」
安心しながら仁多くんは家の前に行き、玄関前の草が生い茂っているのに少しへこんでる部分があるところで、そっと卵を拾いました。
「いただきます。」
家の中に入り、火を起こして卵を茹でながら、パンがもうなくなってしまうことに気が付きました。
「今日は市場から早めに帰ってきてパンを焼かなくちゃ。」
仁多くんは自分で食べるパンを三日に一度くらいの割合で自分で焼きます。小麦粉は昨日買ってあるので今日は買い物をしなくても平気なのですが、そろそろなにか品物が売れてほしいですし、岩埜くん弟に頼まれて修繕した帽子も渡さないといけません。
部屋の掃除は昨日したので大丈夫ということにして、早速出かけることにしました。
風がそよいで心地よい天気です。空の高いところを大きな鳥が飛んでいるのが見えました。狩りをしているのでしょうか。川に沿って近づいたり離れたりしながら続いている道を歩きながら、仁多くんは今日やることを考えました。
「まず市場で品物を売って、岩埜くんに帽子を返す。早めに帰ってきてパンを焼いて、今日こそ日辻さんたちに毛をいただかないといけないし、あ、毛糸に色を付けるための何かを市場の誰かに聞けるかな、聞きたいんだったな、」
ぶつぶつ言いながら歩く仁多くんの周囲には、何人か日辻さんたちの姿が見えます。あまり近くにはいませんが目に見える範囲のところにぽつりぽつりと、各々草原の好きなところで草を食んだりしているようです。
「仁多くん、仁多くん、」
しばらく歩くと、日辻さんお姉さんが話しかけてきました。
「日辻さん、こんにちは。市場に行きますけどなにかいるものはありますか?」
「いるものなんてないのよ、だけど今日は早く帰ってこれる?」
「ええ、ちょうど今日は早めに帰ろうと思ってたところです。どうしました?」
「べつにどうってわけじゃないんだけどね、妹がそうして欲しいって言ってるから。」
「そうなんですか?」
日辻さん妹さんの方を見ると、妹さんはうんうんとうなづきながら仁多くんの方を見ています。
「わかりました。今日はみなさんにブラシもお願いしなくちゃなと思ってたところだったので、早めに帰ってくるのでお願いしますね。」
「そうね、忘れてたわね、じゃあ早めによろしくね。」
「はい、いってきます。」
そこまで言って仁多くんは思い出しました。
「そうだ日辻さん、いいクローバーの生えてる場所ってわかりました?」
歩きながら質問しましたが、返事がありません。
「日辻さん?」
振り向くと、日辻さんたちは立ち止まってしまっています。
「どうしました?」
日辻さん姉妹の表情が少し暗くなっています。
「私たち、クローバーはもう探さないのよ。」
「探さないのよ。」
「今日は早めに帰ってきてね。」
「早めに帰ってきてね。」
そう言うと、二人とも踵を返して仁多くんの家の方向へ小走りに帰っていってしまいました。
一体どうしたのでしょう。やはり昨日なにかあったのでしょうか。わからないけれど、言われた通りに今日は早めに切り上げよう。そう思って仁多くんは市場への道を急ぎました。
「仁多ー、場所取っといたぞー。」
そう言って腕をぶんぶん振りながら、遠くから真滝さんが呼びかけます。早めに着くように頑張って歩いたはずですが、今日も真滝さんに先を越されてしまいました。
市場はそろそろ人が集まり始めそうな時間です。
「真滝さん、早いですね。そして今日もすごい量ですね。」
昨日たくさん売れていたはずの真滝さんの品物ですが、今日もまた山のように鍬やほうきや弓矢などが置かれています。
「それはお前、俺は一人でやってるんじゃないからな。仲間がいてこそだよ。お前も作れよ、仲間。」
「そうですね。仲間と言えば昨日ちょっと不思議なことがあって、今朝は日辻さんたちが元気ないんです。」
「え、日辻たちは仲間っていうのか?なんかちょっと違くないか?」
「え、そうですか?」
いつも近くで暮らしているし毎日話をするし毛糸のことではお世話になっているし、僕は日辻さんのことは仲間だと思ってるんだけどなぁ、と思いながら仁多くんはあたりを見渡しました。
「まだ人がたくさん集まって来るにはもうちょっと時間ありますよね、僕ちょっと岩埜くんたちのところに行ってきます。」
品物を簡単に広げてから真滝さんに声をかけ、仁多くんは町の中心部の方に近い、自分たちとは反対側の区画の方へ向かいました。具だくさんのサンドイッチが並んでいたり、大きめの干し肉が鈎で吊るしてあるのを横目に見ながら、仁多くんは兄弟でやってる粉屋の前にやってきました。
「いらっしゃい。」
「岩埜くん、帽子を持ってきました。」
「お、マジで?ありがと仁多せんせい。」
「せんせいはやめてってば。」
言いながら仁多くんは岩埜くん弟の帽子を手渡しました。
「すっげー、ほぼ元通りじゃん。」
岩埜くん弟は大きな声で言いながら受け取った帽子のあちこちを眺めまわしました。
「え、結構でかい穴開いてたと思ったのに、どうやったら直るの。マジすげーよ。」
「えへへ。」
あまり褒められたことがないので照れてしまいます。仁多くんにとってはたいしたことない作業だったのですが、こんなに喜んでもらえると嬉しいものです。
「ありがとねー。あ、まだ朝イチのクッキー残ってるからちょっと持ってってよ。」
岩埜くん弟はそう言って、店先のクッキーを3枚ほどつかんで袋に入れました。
「え、いいよいいよ。たいしたことしてないし。」
「いいんだよ。これって仁多せんせいの腕がないと直んないものじゃん。ほんとは金払った方がいいんだろうけど。」
「とっといてとっといて。人気商品だからなかなか食べられないんだぞ。」
岩埜くんお兄さんも後ろから首を伸ばしながら言ってきました。
「そうなんですか?あ、ありがとう。岩埜くん、岩埜くんお兄さん。」
「いやいや。そうだこれありがとうな。」
岩埜くん弟はかぶっていた帽子を脱いで仁多くんに渡しました。
「これもマジすごかった。超ぬくいのな。俺、夜中に粉引きしながら寝かけちゃったよ。」
「あはは。」
「俺の帽子も十分ぬくいけどさー、仁多はちょっとって言ってたけどだいぶぬくいぞ。マジなにが入ってんの?」
「えへへ、それはね、秘密なんだけどね、」
言いかけた時に岩埜くんお兄さんがこっちの方を向いて手を振っているのに気が付きました。
「おい仁多、ほら、」
岩埜くん弟もお兄さんの様子に気が付いてあたりを見渡し、なにかに気づいて声をひそめて言いました。
「出てきたぞ。」
仁多くんも振り向いて岩埜兄弟の視線の先を眺めてわかりました。
「マロードたちだ。」
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