アリアンヌ・クデュー・アグリカ公爵令嬢 後編

 アリアンヌ嬢がウチの領地に来てから数日たった。俺はとりあえず適当にご機嫌を伺いつつ領主としての仕事をこなしていく。今の所何も問題は起きていない。


「お疲れ様でございました。これで今日の分は終わりです。」


「うーん、終わったかぁ…」


 その日の領主としての仕事を終えた俺は自室で椅子に座って伸びをしていた。領主と言っても暇ではない。


 寮内のもめごとを解決するための裁判や他の領地との領境でのいざこざを解決する外交調整に加え、領を囲っている柵のどこどこが壊れている…建築関連、何々が領内に不足している…流通関連などなど、前世のお役所が各部署に分かれてやっていたような事を全て1人(厳密に言うとゲオルグも手伝ってくれているが)でやらなくてはならないのだ。


 今でこそ領が小さく、領民も少ないのでなんとか半日ほどで終わっているが、これ以上多くなると仕事が夜中まで続くかもしれない。金に余裕が出来たらその分野専門の人材を雇って処理をある程度任せた方が良さそうだ。


 俺はリフレッシュに「バーロウルシュタインアールグレイのパクリ」でも飲みに行こうと食堂を目指していた。すると屋敷の2階にある窓から領内の様子を見ているアリアンヌ嬢とばったり出会う。


 彼女の傍にはお付きのメイドが1人。美人だが目つきの鋭い長身の黒髪ショートカットの女性だ。名はサラと言い、アリアンヌ嬢が子供の頃から付き従い、1番信用している使用人らしい。


「ウルシュタイン男爵、ごきげんよう。お仕事は終わったのですか?」


「アリアンヌ様、ご機嫌麗しゅうございます。はい、滞りなく終了いたしました」


 こちらに気づいたアリアンヌ嬢が挨拶をしてきた。俺も彼女に挨拶を返す。本来なら…ここにめんどくさい貴族の礼儀などが入ってくるのであるが、アリアンヌ嬢は「毎日会うのにそのような事をするのはめんどくさいでしょう?」とそれを省いてくださった。有難い事だ。


 彼女がここに来て3日程になるが…相変わらず顔は晴れないようであった。今も窓際で深いため息を吐いている。今まで自分が全てを捧げて来た「王太子妃」という立場から蹴り落されたのだからその落胆も深いのだろう。


 …可哀そうではあるが、アリアンヌ嬢はあくまで彼女の父である公爵に恩を売り、うちの領が少しでも潤うようにするために預かっている存在に過ぎない。ただのビジネスライクな関係だ。故に俺にはそれ以上彼女と関わる気はなかった。


 しかし悲しんでいる女の子を見捨てておけないという俺の正義感か、同じく婚約破棄された者同士という同情か、それとも王国一と謳われるその彼女の魔性の美貌が俺を惑わしたのかは分からないが…俺は彼女の助けになりたいと思ってしまったのだった。


 男爵家の規模を考えると中央政界の事情には足を踏み入れない方が身のためだ。だが俺は彼女の笑顔を見たいと思ってしまった。


「アリアンヌ様、私はこれからお茶を飲もうと思うのですが…よろしければご一緒にいかがですか? バーロウルシュタインをお入れしましょう」


「え?」


 彼女は俺が茶に誘った事に最初驚いていたようだったが、バーロウルシュタインお気に入りのお茶に釣られたのかそれを承諾してくれた。



○○〇



 ポーラに命じてお茶を入れさせる。何気にポーラはうちの使用人の中では一番茶を入れるのが上手い。彼女は茶器に茶葉とベルガンを入れ、そして沸騰した湯を入れる。湯気と共にベルガンのさわやかな香りが俺達の鼻に届いてきた。


「ウルシュタイン男爵とお茶を飲むのはこれで2回目ですね」


 アリアンヌ嬢はよほどバーロウルシュタインアールグレイのパクリが気に入ったのか、最近では使用人に毎日作らせている様だった。分かるよ。アールグレイ美味しいもんね。気分もさっぱりするし。


「そうですね。貴族学校では同級生でしたが、身分の違い故にあまり関わり合いがありませんでしたからな。個人的にはむしろ今アリアンヌ様とお茶を飲めているのが不思議でたまりません」


「あの時のわたくしは王太子殿下に掛かりきりでしたから…毎日どうすればあの方の興味をわたくしに向けられるのかで頭が一杯でした。本来ならもっと色々な方を友好を図った方が良かったのですが…己のいたならさを恥じ入るばかりです」


 アリアンヌ嬢は王太子の事を思い出したのか暗い表情になった。不味い…軽い世間話で彼女の心労を和らげるつもりが、かえって辛い記憶を思い出せてしまった。


 というか王太子とアリアンヌ嬢って外野から見ると比較的仲よさそうに見えたけど、実際はそうでもなかったのかな? 彼女の話では王太子はアリアンヌ嬢に全く興味がなかったように聞こえる。


「わたくしは王太子妃に決まってからというもの必死に勉強しました。6歳の時に決まりましたから18歳までの12年間、必死にあの方と国のためを思って励んでまいりましたのに…。何が…いけなかったのでしょうか? グスッグスッ…」


 アリアンヌ嬢は悲しそうな声でそのまま心の内を吐露してくる。あぁ…目から涙が…。


 高貴な身分の方々はその発言一つで周りの大勢の人間が動く。なのであまり彼らは自分の感情を表に出さないのだが、心のうちに溜まっていた不満というのが思わぬ拍子に出てしまったのだろう。


 いくら王太子妃として教育を受けたと言っても彼女はまだ18歳なのだ。前世の日本ならようやく子供から成人に達したばかりの年齢である。


 高校を卒業したばかりの女の子が結婚を約束していた彼氏に裏切られて捨てられた…と考えれば、彼女はよく理性を保っている方だろう。常人の女性なら「ギャオオオオオオオン!」と喚き散らすと思う。


「お嬢様、おいたわしや…」


 彼女の近くに控えていたサラという黒髪のメイドがタオルをアリアンヌ嬢に差し出す。そして俺の方をその鋭い目つきで睨みつけて来た。おそらく「お嬢様に何思い出させとんじゃコラァ! お前の役目はお嬢様の心を癒す事だろこのスットコドッコイ!」と心の中で言っているに違いない。ごもっともでございます。


 しかし冷静になって今回の婚約破棄の件を考えてみると、アリアンヌ嬢の責任はあまりないように思われる。今回の件は全て王太子とその周りの連中が企んだ事だ。しいて言うならば…彼女の責任はその企みを見破れなかった事だが、でもそれを見破るのってかなり難しいよな…。


 卒業パーティの日まで全然そんな話が漏れていなかった事を考えると彼らはよほど周到に準備していたんだろう。そんな周到に用意された策を事前に見抜くのは例え諸葛亮孔明や黒田官兵衛であっても難しいと思う。


「わたくしはこれからどうなるのでしょうか…?婚約破棄された傷のついた令嬢としてどこぞの老年の貴族の嫁にいかされるのでしょうか?」


 貴族と言うのはプライドを尊ぶ。なので如何に彼女が公爵令嬢と言えども、自分の嫁に経歴の傷のついた人間が来るのは嫌がるものだ。傷がついた令嬢の嫁ぎ先というと必然的に問題があって結婚できなかった人の所となる。


 …いっそうちの嫁に来てくれんかな。まぁ身分が違いすぎて無理か。公爵家が結婚できるのは最低でも伯爵家の人間だ。


 目から大粒の涙を流す彼女をメイドのサラが励ます。だがいつまでも彼女をこのままにしておくわけにもいかない。俺は彼女に立ち直って欲しくてお茶に誘ったのだ。


 今の彼女は自分が人生をかけてやっていたことを否定されて自暴自棄気味になっていると思われる。何かを手に付けようにも何を手に付けて良いのか分からない状態だ。ならば…。


「私はアリアンヌ様に責任はないと思います。今回の件は婚約者がいるにも関わらず他の女性に手を出した王太子殿下並びに、アリアンヌ様を蹴落とそうと画策したその周りの連中に責任があります。アリアンヌ様も今回の件はあまりにとお思いになりませんでしたか?」


「確かに裏で色々策謀があったことは事実でしょう。しかし、それはわたくしが王太子殿下の御心を繋ぎとめることが出来ていれば防げた話です」


 責任感の強い方だなぁ…。個人的にはこういう方に政治家になってもらいたいが…実際は政治家にとっては責任感が強いというのはアダになるんだよねぇ…。政敵に政策の失敗の責任を取らされて政界から追い出される…というのは前世の歴史でも良く見られた話だ。適度に躱さなくてはならない。


「少し考え方を変えましょうか。アリアンヌ様、シフャット男爵令嬢のような泥棒猫に王太子を盗られて悔しくないですか?」


「それは…悔しいです」


「悔しいにも関わらず、あなたは何もなさらずにただ泣いておられる…。それはなぜですか? 悔しいと思いなら向こうにやり返すべきでしょう? おそらく向こうはあなたのそういう性格も知っていて今回の計画を練ったのです。卑劣な輩です。それにあなたはシフャット男爵令嬢に女として負けました。しかし、ここで仕返しもせずにただ泣いているだけでは人間としても完全に負ける事になりますよ? 想像してください、あの憎たらし気なシフャット男爵令嬢があなたを見下してほくそ笑んでいる顔を!」


 復讐は何も生まないというが俺はそれはどうかと思う。復讐をすれば気分がスッキリする。それだけでも十分だ。何故被害を受けた側が我慢せねばならないのか。結局は最初に仕掛けた方が悪いのだ。その報いは受けなくてはならない。


「ウルシュタイン男爵…少々言葉がすぎるのでは?」


 アリアンヌ嬢を必死に励ましていたメイドのサラが俺に苦言を呈する。確かに身分を考えると言い過ぎなぐらいだが、落ち込んでいる人間の精神を叩き直すには多少強い言葉を使って発破をかけた方が良い。


 俺の言葉が心に響いたのかアリアンヌ嬢は泣いていた顔を上げて「ハッ」とした。タオルで涙を拭きとって俺の目をしっかりと見てくる。


「確かに男爵のおっしゃる通りです。わたくしは悔しさを感じているにも関わらず何もしていない…」


「アリアンヌ様、彼らにも同じ思いを味合わせてあげましょう」


「しかし…具体的に何をすればいいのでしょう? それに…わたくしたち貴族がそのような行動をして民に迷惑が掛からないか不安です」


 そこだよなぁ…。アリアンヌ嬢のような上位貴族と他の上位貴族がやりあったら国が混乱し、平民の生活にも影響が出かねない。なるべく平民に迷惑をかけない方向で仕返しをするべきではある。


「そこは…これから考えましょう! アリアンヌ様も向こうの陣営のように密かに悪だくみをし、実行して彼らを蹴落とすのです」


「…男爵もお手伝いして頂けますか?」


「…えっ?」


 …だがあろうことか彼女は俺を抱き込もうとしてきた。ちょ!? 俺はあくまでアリアンヌ嬢に気力を取り戻させるためにそれを言ったのであって、上位貴族の争いに巻き込まれるつもりは無いのだ。これはなんとか躱さなくてはならない。


「失礼ながら…わたくしのような力の弱い者ではお役に立てないでしょう」


「男爵、言い出しっぺの法則というのご存じですか? 貴族の放つ言葉には責任が伴います」


 彼女はニコニコと俺に詰め寄って来た。アリアンヌ嬢の綺麗な顔が俺の目の前にある。これは…断れない。彼女のその笑顔に気圧された俺は…渋々それを承諾したのだった。


「うっ…御意に…。不肖わたくしめもお手伝いさせていただきます…」


「まぁ頼もしい! では頼りにしていますね男爵! 何故だか分かりませんが、男爵には何でも相談できる気がするのです」


 うわぁ…これ完全に巻き込まれるパターンだよ。自業自得だけどさ。しかしアリアンヌ嬢の顔は先ほどまでとは違って生き生きとしていた。彼女を立ち直らさせる事には成功したかな。


「フフフ…あの女と王太子に仕返しができると思うと、何やら楽しくなって参りましたね」


 暗黒嘲笑を浮かべるアリアンヌ嬢。俺は彼女の中の開けてはいけない扉を開いてしまったのかも知れない…。



○○〇


彼女の悪落ちはまだ序章です


主人公の成長…というのもテーマにしていますので最初のうちはたまにポカをやらかします。今回のようにね。


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