アリアンヌ・クデュー・アグリカ公爵令嬢 前編
アグリカ公爵との会談から1週間、アリアンヌ嬢が我が領地に療養に来るという事で俺はその準備に奔走していた。公爵から貰った支度金を使い装備品や食料、日用品等を購入し、部屋支度を整える。
まさか公爵令嬢に貧乏人の食べる黒パンと干し肉を食べさせ、使い古しのタオルなどを使わせるわけにはいかない。また、高貴な身分の人が来る場合はその人だけではなく、その人についてくる使用人の分の部屋も整えなくてはならないのだ。
幸いにも屋敷には使ってない部屋が何部屋かあったので、そこをアリアンヌ嬢の部屋と使用人の部屋にする事にした。支度金で買ったそこそこ豪華な絨毯や家具を急いで部屋に設置する。この家具や絨毯は…アリアンヌ嬢が帰った後に売ればいくらかの金にはなるだろう。
公爵から貰った金は10万ゼニー。お嬢様を迎える準備で6割ほど使ってしまったが、4割は残った。つまりはこれを領地経営のために使える。
元々持っていた金と合わせて4万5000ゼニー。家具と絨毯を売ればもう少し増える。これだけあれば何かしら特産品を作れるだけの人員と道具を揃えられる気がする。…その特産品を何にするかがまだ決まっていないが。
「よし、これで大丈夫だろう。なんとか間に合ったな」
俺は家具を運んだ際に出た汗をぬぐいながら部屋を見渡して確認する。そこそこ豪華な内装になっているのではないだろうか? これなら公爵令嬢とその使用人を招いても問題ないはずだ。正直な話、領主である俺の部屋よりも豪華である。一昨日先ぶれが届き、それによるとアリアンヌ嬢は今日の午後に我が領地に到着するらしい。
「ハルト様もやりますな。公爵からお嬢様を招くために相応の準備をする必要があるといって金を引き出すとは…。どこでそんな事を学ばれたのですかな?」
タンスを運び終えたゲオルグが俺に話しかけて来た。この男、タンスを1人で運んだのに汗一つかいてない。
「俺も領主として日々成長しているという事さ」
「あちらの要求を呑みつつ、こちらの利益も追及する…素晴らしい成長ぶりでございます。先代もあの世で喜んでいる事でしょう。これで念願の領地経営の資金が増えましたな」
ゲオルグにはこう言ったが、実際あの時は頭の中に急にそれが浮かんできたので自分でも良く分からない。あれは一体何だったのだろうか?
まぁ今はいいか。それよりも部屋の最終チェックをしないと。指さし確認は大事だ。…ヨシ! どこにも不備はないな?
俺が指さし確認をしているとポーラが花瓶に花を活けているのが見えた。うーん…あの花、すごくいい匂いがするな。俺とポーラの距離は2メートルほど離れているのだが、それでも花の香りが俺の鼻まで届いている。
「ポーラ、その花どうしたんだ?」
「これですか? 今朝『魔の森』に修行に行った時に大量に生えてるのを見つけたので採って来たんですよ。スメレシアと言ってとってもいい香りのする花なんです」
「へぇ~…。ん? ちょっと待って。ポーラ、今はどこで採って来たって?」
「『魔の森』ですよ?」
「おいおい、『魔の森』に入ったのか? しかも1人で?」
「もしかして心配してくれてます? 大丈夫ですよぉ~。『魔の森』の浅い位置にいる魔獣はもうポーラの敵ではありません。たまに修行がてら狩りに行くんですよ」
ポーラはまるでちょっとコンビニに行くようなノリでそう言ってくる。えぇ…『魔の森』にいる魔獣ってそこら辺の魔獣よりは強いのが多いんだけど…。子供の頃の記憶だとディアル(鹿に似た魔獣)1匹倒すのでも戦える村人総出で倒していた覚えがある。
「いやいや、ポーラに何かあったらどうするんだ? ゲオルグもアイーダも悲しむぞ。もちろん俺も。だからそういう危険な事は止めてくれ!」
「う~ん…本当に余裕なんですけどねぇ。ハルト様がそこまで言うならそうします」
ポーラは渋々ではあるが俺のお願いを承諾してくれた。俺の目的はなるべく領民に死人を出さずに領地を発展させることだ。それにはもちろんポーラも含まれている。誰しも家族が死んだ時の悲しみは大きい。俺は悲しむ人の姿を見たくないのだ。
○○〇
そしてその日の午後、アリアンヌ嬢が我が領地にやって来た。豪華なマウ車が1台、畑の真ん中の道を通って屋敷の方にやって来る。…1台か意外に少ないな。もっと沢山来るものだと思っていた。
領民たちは見た事もない豪華なマウ車に興味津々と言った様子で男爵邸の周りに集まり、しげしげと覗き込んでいた。一応領民には高貴な方が来るので粗相のないようにとは言ってあるが。
「アリアンヌ様、ようこそおいでくださいました。我ら一同お待ちしておりました」
俺はウルシュタイン家を代表して膝をついてあいさつをする。俺の後ろではゲオルグたち3人も俺に続いてアリアンヌ嬢に挨拶をした。
「ウルシュタイン男爵、この度はお世話になります」
アリアンヌ嬢は俺にカーテンシーをして返した。最後に見た時…あの婚約破棄があった卒業パーティで見た時よりも少し痩せてやつれているように見える。かなりショックを受けていたようだからな。当然と言えば当然か。
「お部屋の方に案内させていただきます。ポーラ!」
「はい、こちらへどうぞ!」
アリアンヌ嬢はポーラに続いて彼女のために用意した部屋に向かっていった。彼女の後ろには荷物を持った使用人たちが続く…。ひぃ、ふぅ、みぃ…メイドが2人と護衛の兵士が2人で計4人か。
公爵令嬢のお付きの使用人の数としてはかなり少ないように思う。メイドはともかく、護衛の兵士が2人しかいないのはそれだけ彼女に回す余裕が無いのかもしれない。俺が思ったよりアグリカ公爵領で起こっている事は
○○〇
そして1時間後、アリアンヌ嬢と使用人たちの荷物が部屋に運び終わった。今は一息入れようとポーラにお茶を入れさせている。
「それにしてもウルシュタイン領は本当にのどかで良い所ですね。自然が一杯で…『ウィットン』ではあまり見られない景色です」
それは暗にクソ田舎だと馬鹿にされているのだろうか。でも言われても仕方が無い。本当にそれ以外何もないのだ。それに先日訪れた「ウィットン」の繁栄ぶりは凄かったしな。あそこに比べればここなんて寒村も良い所だろう。
「光栄でございます。アリアンヌ様の御心が我が領で癒されることを祈っております。それと…アリアンヌ様が入られることはまず無いと思いますが『魔の森』には絶対に入らないようにお願いいたします。凶暴な魔獣がおりますので」
そこまで話したところでポーラが茶を運んできた。
「承知いたしました。あら…? このお茶は…いい香り」
「お気に召しましたでしょうか? その茶には癒しの効果のある果実を入れてあります」
彼女に出したのは茶に香りを付けたフレーバーティーと呼ばれるものだ。前世の俺は紅茶が大好きだった。特にフレーバーティーである「アールグレイ」が好きで暇があれば良く飲んでいたものだ。
「アールグレイ」とはベルガモットという果実を紅茶にいれ、香りを付けた紅茶の事である。柑橘系のさわやかな香りがして飲みやすい。更にはベルガモットには精神的な不安を取り除く効能の有る物質が含まれているらしく、飲むとスッキリとリラックスできる。
紅茶好きの俺はこの世界でも似たようなものが作れないか探した。そして前世のベルガモットに似た「ベルガン」という果実を発見したので試してみたところ大当たりだった。
ちなみに…「アールグレイ」という名前はグレイ伯爵という人が作ったので「アールグレイ」と呼ばれている。伯爵は英語でアール。
「わたくしこのお茶気に入りました。是非ともレシピを教えて下さるかしら?」
アリアンヌ嬢がニコリと笑う。少しやつれているとはいえ、それでもやはり彼女は美しい。美しくサラサラな銀色の髪はまるで天の川のように壮麗で、その真っ白で傷一つ無い肌は芸術品を思い起こさせる。顔に至っては見つめると思わずため息が出てしまいそうなほど愛らしい。
貴族学校にいた時に「王国に咲く1輪の花」と呼ばれていただけの事はある。俺は彼女のその笑顔に少しだけドキッとしてしまったが、それを顔に出さないように彼女に言葉を返した。
「ありがとうございます。レシピは後で使用人の方にお渡ししておきましょう」
そんな簡単にレシピを教えて良いのか? 「
それにうちの領地は茶の産地でもベルガンの産地でもない。売りだそうにも他の領地から茶とベルガンを仕入れて…となると余計に金がかさみ、商品の値段も高くなってしまう。簡単にマネできるものを高い値段で買う奴などいない。そういうわけで俺は彼女にレシピを教えたのだ。
彼女はとりあえず2週間ほどうちの領地にいるらしい。だがこれはあくまでも予定であって、伸びる可能性もあるそうだ。公爵の野暮用がいつ終わるかによって変わるのだろう。とりあえず彼女がうちの領地にいる間は粗相がないようにしないとな。
○○〇
本来はこの次の話とまとめて1話だったのですが、長くなったので一旦切ります。
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