アグリカ公爵からの呼び出し
公爵邸についた俺たちの目に入って来たのはウルシュタイン男爵邸の何倍もあろうかという巨大な館と広大な庭だった。庭では使用人たちが忙しそうに洗濯や樹木の手入れなどを行っている。
デカい…。この屋敷の敷地だけでもウルシュタイン男爵領の4分の1ぐらいはあるのではないだろうか。流石に公爵ともなると金をたくさん持っているのだろう。
「ポーラ、身だしなみのチェック頼む。変な所はないか?」
「大丈夫です。ちゃんとカッコイイですよ」
服装に乱れがあると失礼に当たるので俺はポーラに服装のチェックを頼んだ。どうやら変な所はないらしい。では…いくか。俺は頬を叩いて気合いを入れ直すと公爵邸の入り口にいる門番に取次ぎを頼んだ。
…待たされること数分。門が開き、使用人が屋敷からやってきた。俺は使用人に付き従って公爵邸の中へと足を踏み込んだ。
○○〇
「ハルト・バーロ・ウルシュタインです。お召しにより参上いたしました」
俺は公爵のいる部屋に通されるとまず挨拶をしてひざまずく。
「いきなり呼び出してすまない。遠い所ご苦労であった。面を上げよ」
俺はその言葉に従い顔を上げた。そこにいたのは白髪で顔に多くの皺のある老年の男だった。厳格な表情をしており、その目は鋭く、俺はまるで喉元に刃物で突きつけられたような感覚に襲われた。
中央政界は魔物の渦巻く場所と聞く。もちろん本当に魔物がいる訳ではなく、人の心の欲望、自分の利益のために常に他人を引きずり降ろそうと画策する人の心のありさまを魔物に例えた訳であるが…。
その魔物がはびこる中央政界で1番の権勢を誇っている。それだけで目の前の人物がどれほど恐ろしい人物なのかというのが良く分かる。発言には気を付けないと俺も食われるかもしれない。
…あれが【ヴァン・クデュー・アグリカ公爵】。アリアンヌ嬢の父親。そして俺を呼びだした張本人。
「では早速だが…我が娘アリアンヌが婚約破棄された時の状況を教えて貰えるかな?」
「承知いたしました」
俺はアリアンヌ嬢が婚約破棄されたパーティでの出来事を話した。俺の話を聞いていた公爵は途中何度か質問を挟む。
「男爵の話しぶりからすると…君はうちの娘がシフャット男爵の娘に悪辣な事をしたとは思っていないようだが、それはどうしてかね?」
…また答えにくい質問をしてくるなぁ。というか父親の、しかも公爵の前でその娘を悪く言える人間なんてほとんどおらんよ。仮に言おうものなら俺のような下位貴族など…どうなるか考えたくはないね。
アリアンヌ嬢がシフャット男爵令嬢にそんな事をするわけないと思っていたのは俺がシフャット男爵令嬢の性格を元婚約者故に良く知っていたからだが…それを言うとそこを問い詰められそうなので黙っておく事にした。
「アリアンヌ様とは何度か話させていただいたのですが、そのような事をする人物には見えませんでした。何事も真剣に取り組み、私のような下位の者にもお優しい方でしたので」
とりあえずアリアンヌ嬢を褒めて公爵に媚びを売っておく。
「ふむ、なるほど。しかし君は…アリアンヌを無実だと思っておきながらその場では何も発言しなかった。これはどういうことかね?」
「はっ、私はあの場で1番爵位が低く、発言を許されておりませんでした。それに私も婚約破棄を申し付けられたばかりで放心状態にあり、アリアンヌ様を擁護する余裕がありませんでした。誠に心苦しく思っております」
怖え…。かなり苦しい言い訳だが、これで納得してくれるだろうか。
というか仮に俺1人がアリアンヌ嬢を擁護したとしても…相手は王太子と公爵家と財務卿の息子。周りの人間は俺よりも御三方の言葉を信用するだろう。つまりは焼け石に水だ。下手すると俺の首も飛んでいたかもしれん。あの場で擁護なんてできんよ。
公爵は最初と変わらない表情で俺の事を見つめる。何を考えているのだろうか? 昔、父親が「この世で1番怖いのは何を考えているのか分からない人間だ」と言っていたが、今ならその気持ちが良く分かる。
中央政界に長くいるだけあって自分の考えを相手に悟られないよう、できるだけ表情を変えないようにしているのだろう。
俺は内心ビクビクしながら公爵の次の言葉を待った。
「実はね…アリアンヌと王太子の婚約なのだが、今の所破棄する方向に動いていてね。王太子はシフャット男爵の娘と婚約を結ぶことになりそうだ」
へぇ…そうなんだ。という事は王太子は廃嫡を免れたという事かな? 王太子が廃嫡されていなくなると王家の直系がいなくなってしまうからな。国王夫妻もそれだけは避けたかったという事か。
例え有力貴族に恨まれる結果になったとしても…自分たちの子孫を王権に付ける事を優先したと。これは今後貴族間のパワーバランスが崩れそうだな。
「君は…今回の騒動どう見る?」
公爵は値踏みするような視線を俺に向けて来た。おそらく公爵も今回の騒動の裏で色々な思惑が動いている事を分かっているのだろう。
しかし何故そんなことを俺のような弱小貴族に聞くのだろうか? 分かっているならわざわざ聞く必要はないような気もするが…?
…もしかして俺の事も今回の騒動に加担していたと疑っているのかな? 俺は一応シフャット男爵令嬢の元婚約者だし、立場的には加担していたと考えられてもおかしくないか。
今回の騒動をどう考えるかを聞くことによって…俺がどの派閥に所属する人間か見極めようという魂胆なのかもしれない。
流石公爵、中央政界を生き抜いてきたモンスター、何気ない質問にも何かしらの意味がある。怖い怖い、発言には気を付けなくてはならないな。
「私のような下賤な者の浅慮でよろしければ…」
「よい、申せ」
「今回の件、裏で様々な人物の思惑が動いているような気がいたします。おそらくアリアンヌ様の悪行もそのような者たちに捏造されたものと予想いたします」
とりあえず俺は自分がアリアンヌ嬢を追い落とそうとした派閥に属する者ではないという事を伝える。もしその派閥に属していたのならこのような事は言わずに「えっ、ただの婚約破棄ではないのですか?」とぼけるだろう。疑惑があるというのを述べる事で自分への疑いを晴らすのだ。
今回の騒動の加担者ねぇ…少なくとも婚約破棄の時にアリアンヌ嬢の悪行の証拠を突き付けて来たシュツプロテク公爵家とフィナン伯爵家、そして王太子とシフャット男爵家は加担していると見て良いだろう。
アリアンヌ嬢を王太子妃の立場から追い落とす事で…もっと言うとアグリカ公爵家の権勢を落とす事によって、自分たちがなんらかの利益を得ようとしている。アリアンヌ嬢とアグリカ公爵家は今回まんまとそいつらの策謀にやられてしまった訳だ。
「ふむ、そうか。…実はね。今日男爵を呼んだのは婚約破棄の件とは別にもう1件頼みがあるからなのだ」
「頼み…でございますか?」
参ったな。俺は領地経営の方に力を入れたいのであまり面倒な事には首を突っ込みたくないのだが…しかし断れない。上位貴族のお願いは実質命令と一緒だ。
「我が娘のアリアンヌなのだが…今回の婚約破棄で少し精神が参っていてね。どこかのどかな田舎でしばらく療養させたいと思っていたのだよ。男爵の領地はそれはそれは自然あふれる領地だと聞いている。そこで貴公がしばらく娘を預かってくれないか?」
「我が領地でアリアンヌ様を?」
「もちろん、滞在費などは全てこちら側で持とう」
俺は公爵の言葉を聞いて少し考える。アリアンヌ嬢を精神療養のためうちの領地に? それはおかしな話だ。確かにウチの領地はのどかな田舎だ。それは認めよう。だが精神療養するならもっと適切な場所があるように思う。
例えば…公爵家の御親戚にあたるホップス伯爵の領地には温泉があると聞いている。療養するならそちらの方が良いだろう。
あとは貴族学校でアリアンヌ嬢と仲の良かったメストラ侯爵令嬢の家とか。俺もアリアンヌ嬢とは同い年で貴族学校には通っていたが、彼女とはほとんど面識が無いからな。少し話したことがある程度だ。療養するなら仲の良い友達の家とかの方が良いはず…。
なのにどうして俺の様なほぼ無関係の田舎貴族にそれを頼んできたのだろうか?
それを疑問に思っていたその時、頭の中に公爵領で先ほど見聞きした事がよぎった。
そういえば…公爵家は兵を起こす可能性があると町の人が言っていたな。町中の兵たちの動きが慌ただしかったのでそれは間違いないであろう。それに妙な連中の増加による治安の悪化。俺の中で色々繋がっていく。
なるほどな。おそらく公爵は近々この「ウィットン」周辺で兵を起こす気だ。妙な連中というのがどの程度のものかは分からないが…兵を起こさざるをえないのだろう。
通常ならともかく、今のアリアンヌ嬢は精神的に疲弊している。そんな状態の娘にあまり血生臭いものを見せたくないという親心なのかもしれない。
だから一時的にどこかに避難させたいのだ。
そして親戚やアリアンヌ嬢と仲の良かった貴族に預けないのは彼らがいまいち信用できないからだろう。たとえ身内でも裏切られる可能性は否定できない。表では公爵にいい顔をしながら、裏では今回の件に関わっているのかも知れない。その裏どりがまだ取れていないとみた。
それ故に俺に預けると言ってきたのだ。…おそらく先ほどの一連の問答も俺が敵対派閥に属していないか確かめるための問答だと予想される。俺がアリアンヌ嬢や中央政界とはあまり関係のない所が逆に信用されたという事か。
公爵家の娘を預かるとは大任である。もし失敗すれば俺の首が飛ぶ。しかし、成功した際の見返りも大きい。今後、公爵家に何かしらの経済援助を頼む事もできるようになるかもしれない。
「わかりました。謹んでお嬢様をお預かりいたしま…」
しかし、そう返答しようと思った俺の頭に電流が走った。
『まだこれで終わってはいけない。もっと公爵から引き出せるものがあるはずだ』
俺の頭に漠然とそんな言葉が浮かんできた。頭の中で思考が加速する。
『今、公爵家には信用の出来る家がない。向こう側は強気な態度だが、実際は藁をもつかむ気持ちで弱小貴族の俺を頼っているのだ。あちらは大事な娘を預けるのだ。交渉はこちらが有利。なので…もっと搾り取れ!』
そう思った俺は公爵に言い直した。
「お恥ずかしながら公爵、我が領地は『魔の森』と領地を接しており、兵士の装備も貧弱、なのでお嬢様に危害が及ぶかもしれません。それに男爵家の館では公爵家のお嬢様を迎え入れるには不相応でございます」
公爵は俺の言葉に少し考えるそぶりを見せた。そして口を開く。
「分かった。いくらかこちらで準備金を出そう。そうだな…10万ゼニーもあれば足りるか? それでどうだね?」
10万ゼニー。ウチの領地1年分の収入だ。それを娘のためにポンと出せるとは流石公爵家は金持ちだ。金はある所にはあるのだ。ならばそこから絞り取ってやれば良い。
それくらいの金があれば装備を整え、お嬢様を受け入れる準備をしたとしてもまだ余るだろう。そして余った分を領地経営のために使うのだ。
「ハハッ。ありがとうございます。お嬢様は命に代えましてもこのわたくしめが守って見せましょう」
俺はその提案を受諾した。
○○〇
すいません、かなり長くなりました。
一連の公爵の質問の意図は後ほどわかります。
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