ウルシュタイン男爵領

 俺は村の入り口でマウ車から降りると御者に礼を言って別れた。地に足を付けると少しフラついた。マウ車はかなり揺れるため、それが原因で少し酔ったらしい。


 この世界の馬…つまりマウは魔法を使うため、早いと言われるマウは自身に身体強化魔法をかけたり、風の魔法を使用して追い風を発生させたりするのである。


 なので早いマウ車ほど無茶苦茶揺れるという法則がある。今回俺は早く領地に戻りたかったため、王都でもかなり早いと評判のマウ車を利用した。


 その結果がこれである。前世では車酔いなどしなかったのであるが、マウ車は普通に酔ってしまった。車の中にいるのに地震でも起こっているのかと錯覚するほど揺れるのだ。


 フラフラしながらも村の入り口である丸太で作った頑丈そうな門に近づく。ウルシュタイン領は「魔の森」と領地を接しているため、魔物に侵入されないように村の周りを木の柵と丸太の門で囲って守ってあるのだ。


 …本当は石やレンガで壁を作って村を囲い、可能なら魔法障壁も作って城塞都市のようにした方が良いのだが、資金不足のため安い木を使っている。木の柵なら材料はそこら辺に生えているし、穴を掘ってそれを埋めるだけで作れるからだ。


 領民の安全を守るためにも早い所お金を儲けて頑丈な壁を作ってやらなくはならない。


 門に近づくと、入り口に立っていた古びた鉄の槍と皮の鎧を纏った初老の人物が俺の姿を見ると驚いた顔をして話しかけて来た。


「坊ちゃん、よくぞお戻りになられました」


「マーカス…。一応俺はもうれっきとした男爵だぞ。坊ちゃんは止めてくれ」


「これは失礼しました。でもこの爺にとっては坊ちゃんはやはり坊ちゃんですわ。ハッハッハ!」


 この髪に少し白髪のまじった男の名はマーカス。長年この村の門番をやっている男である。年は50ぐらいだと聞いている。


 彼は貴族の俺に親し気に話しかけてきたが、俺が統治するこの村は人口100人ちょいの小さな村だ。なので村人全員が顔見知りの様なものであった。


「最近は魔物を襲撃はあったか?」


「いえ、最近は平和そのもので魔の森からの魔物の襲撃はありません」


「そうか。いつも村を守ってくれてありがとう」


「いえいえ、これが私の仕事ですので!」


 彼は鉄の槍を肩に担ぎあげて「ガハハ」と笑う。この村の門番の装備はみんな彼のようにボロボロの鉄製の武器と皮の防具を装備している。無いよりはマシという貧弱な装備だ。特に皮の鎧などは強い魔物との戦闘になればすぐに破られてしまう。本当に気休め程度である。


 王都の兵士などは鉄や魔銀ミスリルで作った鎧を纏っているが、我が領地は貧乏なため上等な装備を揃えてあげられないのである。


 俺は彼との会話もそこそこに丸太の門をくぐり、石畳もないただの土を踏み固めただけの道を通って、村の奥へと入って行く。ウルシュタイン領はゆっくりと歩いても2時間程度で1周してしまう程の小さい領地だ。


 村に足を踏み入れた俺を待っていたのは昔とあまり変わらない村の風景だった。悪く言うなら経済的にあまり成長していないともいえる。本当に俺が子供の頃からあまり変わっていない。


 木と漆喰でできた藁ぶきの家、その横の農地では作付けの時期らしく農民たちが畑に作物の種を蒔いている。今は農耕の月…日本で言う3月だから撒いているのはララーギムかな? ギムはその名の通り麦によく似た穀物で、この国の主要作物である。


 この国ではすでに三圃式農業さんぽしきのうぎょうが行われていた。三圃式農業とは農耕地を3つの区画に分け1つを春蒔きの作物(春に種を蒔き、夏に育て、秋に収穫)、1つを秋蒔きの作物(秋に種を蒔き、冬に育て、春に収穫)、最後の1つを休耕地とし、1年ごとにそれを入れ替えていく農業方法である。


 こうすることで作物の連作障害を回避しつつ、土に作物を育てるのに必要な栄養を確保することができるので、作物の収穫量が三圃式農業導入前に比べ比較的にあがったらしい。


 三圃式農業が実践されている…という事はこの国は前世の世界で言う中世後期ぐらいの文明度があると見て良いだろう。まぁ魔法がある世界の文明を前世の世界の文明の発展度を比べるのもどうかと思うが…。


 魔法がある中世ヨーロッパ風の世界。前世の俺がよく読んでいた作品にはよくあった設定だ。俺もこういう世界に来てしまったのか。ワクワクもするし、同時に恐ろしくもあった。やはり誰だって死は怖い。できればベットの上で死にたいものだ。


 というかさ、普通こういうのって転生する時に神様がチート能力か何かを授けてくれるものじゃないのか? 俺何も貰った記憶ないんだけど…。もっと言うと神と会話した記憶すらない。あの婚約破棄のパーティ会場で気づいたら前世の記憶を思い出していたのだ。


 ううっ、俺はなんのチート能力も無しにこの殺伐とした世界を生き延びなくてはらないのか…。一応は貴族に生まれただけマシなんだろうが。


 でも転生してしまったものは仕方が無い。「人生は配られたカードで勝負するしかない」と某白い犬も言ってたしな。


 ひと通り神に対する不満をぶつけた俺は気を取り直して村の様子を見物しながら中央にある領主の屋敷を目指していった。


 村を流れる川には水車らしきものが見える。おそらくあれでコーギムを挽くんだろう。そしてその隣には牧畜をしている家、プーシ(羊のような家畜)やトルキャ(牛のような家畜)といった家畜の姿も見えた。家畜たちは鳴き声を発しながらのんきに草を食べている。


 村に一軒しかない鍛冶屋の前を前を通ると金床を叩く「カーン、カーン」と威勢のいい音が聞こえ、畑の向こうでは大工たちが新しい家を作っていた。村の誰かが結婚して親元から独立でもしたのかな?


 村の少し外れには肉の解体場と皮なめし職人の仕事場があった。肉の解体と皮をなめすのは匂いが凄いので村から少し離れた位置にあるのだ。鼻が曲がるような匂いにも関わらず職人たちは一生懸命働いている。ご苦労な事だ。


 広場には粗末な教会があり、礼拝の時間になると領民がここに集まり祈る。今は領民の子供たちが広場に集まってキャーキャー言いながら鬼ごっこらしい遊びをしていた。


 みんな貧しくて大変だが、それでも笑顔の絶えないのどかな田舎の村と言って良いだろう。


 道を歩いていると俺の姿を確認した親子連れの領民に声をかけられた。


「あっ、ハルト様! おかえりなさい!」


「わー! ハルト様だぁ! 学校から戻って来たの?」


 その声に釣られて周りの人々が続々と俺の周りに集まって来る。あっという間に俺の周りは領民たちで固められた。父親がそこそこ善政をしていたおかげで領主一族の評判は悪くない。


「ハルト様、いい麦酒が入ったんだ! 今度飲んでくれよ。気持ち良くなって嫌な事は忘れようぜ!」「婚約破棄されたって? その令嬢は見る目ねぇなぁ!」「あんた! そんな事は言うもんじゃないよ。すいませんハルト様、うちの旦那が…」「ハルト様ー! また一緒に遊んでー?」


 領民たちは俺を笑顔で迎えてくれた。俺は自分を笑顔で迎えてくれた領民たちの暖かさに思わず心が熱くなってしまう。あぁ…ここは間違いなく俺の故郷の村だ。大切な領民たち。あったかい…。


 それは婚約破棄をされ、前世を思い出して死が身近なこの世界に軽く絶望していた俺の心を柔らかく包んだ。人の優しさってこんなにも心にしみるものなんだな。


 そして同時に俺は前世の家族を思い出した。優しかった両親、俺が辛いときは彼らが励ましてくれた。俺が交通事故で死んだ後…父ちゃんや母ちゃん悲しんだだろうな…。


 どんな人間も家族が死んで悲しまない人などいない。それはこの世界の住人も一緒だろう。守りたい…彼らのこの笑顔を。俺は人が悲しむ顔は見るのが嫌いだ。だからこの人たちを…この笑顔を村を襲う恐怖から守りたい。いや、守らなくてはならない。俺はそう決意した。


 元々俺の心はそう言う考えがあったのだが、領民たちに接して更に補強されたと言っても良いだろう。


 領民たちはありがたい事に領地に帰って来た俺のためにパーティを開催しようとしてくれたが、俺はまずはこの村の置かれている状況がどうなっているのかを知りたかったため、ひとまずそれを断り領主の館の方へと向かった。


 領主の館の前では3人の使用人が俺の帰りを待っていた。



○○〇


主人公の決意の話


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