静かな夜

龍崎操真

本編

 その夜はとても静かな夜だった。

 とあるオフィスビルの入口受付にて、一人の若い男がたむろしていた。

 年齢は20代前半、髪は金色に染めている。さらに普通に日本で生活していたらまずお目にかかる事はない、ベルトに挟まったロシア製の拳銃ピストル

 この年頃の青年には物騒過ぎる物を持つ彼は、家の居場所を失くしてしまったいわゆる不良。さらに言うのなら反社会的組織予備軍の末端、俗に言う半グレと呼ばれる者だった。

 現在、この青年はウマイ儲け話があると誘われるまま、拳銃を片手に侵入者が来ないかどうかの見張りをさせられていた。

 しかし、この見張りの仕事はどうも変化に乏しい。警察がやってくる気配もなければ、話し相手すら居ないのでやる事がない。はっきり言ってしまえばヒマだった。

 やる事が思いつかないので、青年がジッポライターで本日何本目か分からない煙草に火をつけた瞬間、はるかの上階の方から小さな銃声が鳴った。

 反響する音を聞きながら、青年はフーッと息を吐き、薄暗いフロアにて紫煙をくゆらせる。

 煙草から立ちのぼる煙を見つめ、青年は何かが起こる事を待っていた。

 なんせ、手の中に握っているのは、指先一つで簡単に人の命を奪える暴力。これでバカにしてきた奴らを見返してやれる。これさえあれば誰にも負けない。

 相手の反撃なぞ気にも止める必要のない無敵感が青年の気を大きくしていた。だからこそ青年は闇の中で蠢く影に気づかず、バスッという空気の抜けるような音と共に頭を撃ち抜かれた。

 どさりと音を立て、青年の身体が膝から崩れ落ちる。

 その直後、階段から誰かが降りてくる音がした。


「おーい、シュン。これからこのビルにいたオンナ、皆でマワすからお前も来いって……」


 どうやら仲間の一人が呼びに来たらしい。

 一方、先程シュンと呼ばれていた青年を仕留めた者は物陰に身を隠しながら、息を潜めて機会を伺っていた。

 そして、見つけた死体を前に固まった一瞬を突き、物陰に潜めていた者は一気に飛び出し、背中に飛びつく。

 そのまま背後から手を回して口を塞ぐと、物陰に潜んでいた者はもう片方の手に握っていた消音器サプレッサーを装着した自動拳銃で太ももと首筋を撃ち抜いた。

 倒れる二人目の青年。シュンと呼ばれていた青年とともに血を流し、目を濁らせていく彼が見た最後の光景は、真っ赤なパーカーと黒のスウェットパンツを着た少年の後ろ姿だった。




「状況はどうだ?」

「はい。“スペクター”は順調に現場の制圧を進めています」


 どこかのモニタールームにて、ブルースーツに袖を通した中年の男がデスクに座る女に声をかけた。白いブラウスに紺のベストを着た彼女の前にあるモニターには、リアルタイムで送られてくる真っ赤な影が縦横無尽に駆け回り、武装した青年を容赦なく撃ち殺していく光景が映っていた。

 スペクターと呼ばれた画面の中の少年は、たった今撃ち殺した者の中から携帯用ライトを奪うと灯りを消してパーカーのポケットの中に突っ込む。そして、再び銃を構えてゆっくりと歩み始めた。

 女は画面の中の少年に同情していた。この少年が現在、銃を構えて駆け回っている理由は政治家の尻拭いをする事にあった。

 隠していた裏金が見つかった。しかも事務所に立てこもられた上に、裏金の事をタレこまれたくなかったら一割よこせ、と連絡があった。だから何とかしてくれ。

 たったこれだけだ。たったこれだけの事で、まだ子供と言っても差し支えない年齢の男子が駆り出される事になったのだ。少年も少年で能力を持っていたばかりに依頼者の政治家生命も無事に守られ、事が明るみにならずに済みそうだった。

 元々は汚い金を持っていたばかりに起こった事、つまり「身から出た錆」だ。本当は大人が自分でなんとかしなければならないのにも関わらず、今現場で対応しているのは小さな子供。

 ああ、世の中ってこんな風に、汚い大人が純粋な若者や何も知らない子供を利用して得するようにできているんだな。たびたび感じている事を突きつけられていくような案件だった。

 物思いにふけっている内に画面の中はいよいよ大詰め。最奥で大金が手に入るとほくそ笑んでいるであろう主犯格が交渉をしているオフィスへと進行を終えていた。




 場所は戻り、再びオフィスビル。

 

「e……n……d……たしかに本物のパスワードですね」


 タブレット端末を操作しながら、タンクトップを着た青年が肩に挟んだ固定電話の受話器へと話していた。隣にはアサルトライフルが立てかけてある。


「じゃあ振り込まれたのが確認出来たら、もう終わりにしてあげます。また何かあったら連絡するからそのつもりで。それではまたいつか」


 受話器を置き、青年はタブレット端末に映る画面を見つめた。画面に映る数字は1の後ろに0が十個、つまり100億円だ。こんな大金を部屋の持ち主が溜め込んでいたのだ。あとはこの金を自分の口座に移せば大金持ちだ。


「ふっ……はは……あはははははははは!!」


 あまりに現実感がなく、ついに笑いが込み上げてきた。これも、ふとしたきっかけで手に入った政治家の裏帳簿のおかげだ。本当に怖いくらいに事を進める事ができた。

 画面を滑らせる指が震える。あとは、この送金のボタンをタップしたら終わりだ。

 しかし……。


 コン、コン、コン。


 あと少しの所で、誰かがこの部屋の扉をノックする音が響いた。それが青年に不快感を与え、一気に神経を逆撫でする。

 気付いた時には、怒りに身を任せてアサルトライフルを扉へ向け、引き金を引いていた。

 10発ほど撃ったところで青年は引き金から指を離し、様子を伺いに入口へと歩いて行った。理由はもちろん、大金持ちになる瞬間に水を差した不届き者の顔を確認するためだ。


「は?」


 入口まで歩き、様子を確認した青年は思わず間の抜けた声を出してしまった。本当だったら、そこには蜂の巣になった死体が転がっているはず。しかし、目の前には蜂の巣になった死体どころか、人っ子一人見当たらない。まるで、幽霊が扉を叩き、すぐさま姿を隠したかのように無人だった。


「な、なんだよ……。いったい誰がドアを叩いたんだ……!?」


 あまりにも不可解な状態に、思わず青年はアサルトライフルを握る手に力を込める。姿なき来客に警戒すること数秒。何も起こらないから、と張り詰めた警戒意識を緩めて、軽く脱力した一瞬の事だった。

 突如、青年の視界がホワイトアウトした。


「うわっ!」


 青年は思わずアサルトライフルから両手を離し、両目を覆ってしまった。ガシャンという音と共にアサルトライフルを落とした一瞬で、右の太ももに撃ち抜かれて膝をつく。


「アッ!」


 ろくに視界が利かないなりに、何かいる事を理解した青年は、落としたアサルトライフルへ手を伸ばした。だが、姿の見えない襲撃者の行動が早かった。膝をついた瞬間に素早く背後へ回り込んだ襲撃者は、後頭部へと銃を突きつけて至近距離から冷徹に引き金を引く。

 ビシャっと音を立て、赤黒い液体がアイボリーの壁紙を汚す。頭に風穴を開けられた事で、糸が切れた操り人形のように倒れる青年の背後には、真っ赤なパーカーのフードを被った少年、スペクターが立っていた。

 スペクターは左耳に着けた小型のインカムに手を伸ばすと、自分のボスへの通信回線を開いた。


「状況終了。この後はどうすればいい?」

『撤収しろ。あとはこちらでにしておく』

「了解」


 無機質で事務的なやり取りを終えたスペクターはフードの下で眉一つ動かさず、その場を去っていく。


 今夜は静かな夜だった。

 も、も何もない、静かな夜だった。

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静かな夜 龍崎操真 @rookie1yearslater

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