第035話 危機三髪

「ふぅ……やれやれ……」


 落ち着いた俺は後ろに手を付いて少し上を見上げる。


 俺の視界を満開の桜が埋め尽くした。風に煽られ、一枚、二枚の花弁がひらりひらりと舞い落ちる。


 そうだ、すみれさんと來羽が何故かいたという衝撃で俺たちは花見をしに来たということを忘れていた。


 うんうん、花見にきたのならやっぱり桜を見ないとな。


 改めて公園を見渡すと、桜が十本植えられてどれも今日のために咲いたと言えるほどに見事な咲きっぷりだった。


「綺麗だ……」


 空の青さと桜のピンクのコントラストが鮮やかで思わず目を奪われる。


「あら……嬉しいわぁ♪」

「え?」


 ふと聞こえてきた弾んだ声に思わず視線を戻すと、すみれさんが両頬を手で押さえてイヤンイヤンと嬉しそうに頬を染めていた。


 意味が分からずに俺は疑問の声を漏らす。


「綺麗だなんて泰山君みたいな若い子に言われるなんて私もまだまだイケるわねぇ」

「いやいや、これは桜の――」

「え、私が綺麗ってことじゃないのかしら?」

「いえ、大変お綺麗でいらっしゃいます」


 続けられた言葉でどういうことか理解した俺が否定しようとしたら、すみれさんがすさまじい迫力のある笑みを浮かべていた。その目は全く笑っていなかった。


 俺は条件反射的にすみれさんを褒める以外なかった。


「嬉しいわぁ」


 すみれさんが再び嬉しそうに体を揺らす。


 ふぅ……なんとか命の危機は去ったようだ。

 でも、すみれさんは絶対に確信犯だよなぁ……。

 俺が何を見て言った言葉か分かっていたに違いない。


 俺はため息を吐いた。


「私はどう?」


 しかし、俺の聞きは去っていなかったようだ。今度はそのいつもと変わらない表情で俺の方を向いて首を傾げる來羽。


 ぐっ……なんでここでそんなことを聞いてくるんだ!!


 そこには何の打算も思惑もない。そんな表情があった。


「大変可愛らしいと思います」


 そのため、こう言う以外なかった。


「そう……ありがと」


 俺の返事を聞いた來羽はほんのり顔を赤らめて視線を逸らした。


 ぐはぁ……。


 俺は心を撃ち抜かれてしまった。


 ほんと……普段無表情なのに、不意に見せる喜怒哀楽のギャップはあまりにも破壊力が高すぎる。


 しかし、これで今度こそ危機は去ったはずだ。


「むぅ~~~~~!!」


 それは俺の勘違いだった。


 俺の右隣から凄く不機嫌そうな声が聞こえてきたので恐る恐るそっちの方に顔を向けた。


「!?」


 そこには頬をハムスターばりに膨らませている蛍の姿があった。


「ど、どうしたんだ蛍……」


 俺はおずおずと妹に尋ねる。


「私は!?」

「は?」


 突然叫ぶ蛍に呆ける俺。


「お兄ちゃん、私はどうなの!!」

「と、どういうことだ?」


 妹がこんな風に感情をあらわにすることは少ないので、困惑しながら再び聞き返す。


「だぁかぁらぁ、私は可愛くないの!?」

「い、いや、蛍はとっても可愛いぞ!! それはもう天使みたいに」


 顔を膨らませたまま俺に詰め寄る蛍。


 なるほど。どうやら俺がすみれさんと來羽を褒めたので、自分だけ褒められないのが不満だったらしい。


 俺はその威圧に狼狽えながらもいつも思っていることを素直に伝えた。


 ウチの妹が可愛いのは当然のことだ。


「ホントに?」

「ああ」

「ホントのホント?」

「ああ。ホントにホントだ」

「そ、それなら許してあげる」

「そうか。ありがとな」


 いつものように何度も聞き返す蛍に辛抱強く何度も肯定したら恥ずかしそうに俺から顔を背けた。


 俺はそんな妹が可愛かったので頭をポンポンと撫でる。


「ふぅ……」


 今度こそ危機は去った。そんな時俺の腹がぐぅと音を鳴らす。


 そうだよ、俺は花見に来たんだ。


 なんでこんな危機に見舞われているんだ?


 天使な妹の蛍が丹精込めて作ってくれた弁当を食べよう。


「はい、あーん」


 しかし、その時、弁当に手を伸ばそうとする俺に左隣から声が掛かった。


 どうやら俺の危機は去っていなかったようだ。


 なぜなら、自分の弁当の料理を箸でつまんで俺に差し出している來羽がいたからだ。

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