第4話 小太刀

 研究室の椅子は収まりが良かった。

 理学部のそこは小綺麗ではあるが、乱雑な山の匂いがする。

 理系学部であるが野外活動も多く、山林植生の生理学や動物の生態系、進化を研究する生物学コースから、地殻変動から活断層、古生物や古環境などを含む地球学コースまで研究範囲は広い。

 学部生は年間に50日は山でフィールドワークを行う。

 このために登山用のヤッケやピッケルなどの用品が、生徒数だけロッカーに並んでいる。滝口のものは戸口の脇に掛けてある。それで僕は一層の居心地の良さを感じている。

「ここはいいね、落ち着く。そうそう僕のゼミにこの学部から来ているくらいだよ」

 滝口は私服に白い作業着を肩に引っ掛けて出迎えた。研究室に置かれたサーバーから、プラコップの珈琲を差し出した。

 メタルフレームの遠近両用の眼鏡を掛けて、髪は豊かな天然パーマを保っている。

「まあ地質学を学ぶ過程で、歴史にも興味が出てくるだろうな」

「それにしてもさっきの話だが、空洞があるってのは大規模なものなのか?」

 大学の地質調査で存在は確認されている。

 空洞にはその人工的なのものと自然現象のものがある。

 大東亜戦争末期の劣勢に追い込まれた大本営が、その関連省庁を含めて本土決戦の拠点としてこの山中に地下壕を掘り抜いたものだ。総延長で10kmを超える。

「それは聞いたことがある。そこに昭和天皇陛下の動座どうざも検討されたそうだよ。ただ陛下は帝都を離れない決意だったそうだ」

「そして自然現象のものはもっとマグマ層に近い深さにあると結論づけられていて、その原因は地震性のものらしい」

「そうか・・・例の群発地震についても関連があるのか」

「ウチの名誉教授の榎本先生によると、地下のマグマ層が活発に活動して、その熱水を皆神山の地中に送り込んだという説が有力だな。その熱水は炭酸ガスを含有していて、その熱水の上に皆神山が浮いているという状態であれば、頻度にすれば1日あたり400回近い群発地震が発生するだろう」

「そんな不安定な現象がどうして沈静化したかは説明できてないな」

 滝口は椅子に深々と座り、ほっと嘆息した。

「ああ、そうだ。まあ自然現象だからな。明確な意思を持ってやるわけではないし・・・」

 同い年だが彼は教授として研究室まで持っている。妬心がないわけではないが、目線が上から降りてきている気がする。

「それとな、この山には重力の不均衡が起こっている」

「重力の不均衡?」

「そう、山頂の皆神神社の境内あたりは方位地震も狂ってしまうほどの磁場の乱れがあってね。で計測器を出してみたら、重力の低いエリアがあるらしい。その現象だけは数値に残るが、原因はまるでわからない」

「謎だらけだな」

「もう都市伝説で何度も取材を受けているよ。YouTubeで発光現象が投稿されて、火がついたな。おかげで真面目に調査していても興味本位で接近してくる」

「有難迷惑な話だな」

「まあ聞いてくれ。それから発光現象な、一応の理論はできている。地下水脈の熱水が皆神山地下の石英閃緑岩を侵食する。その岩石層は不純物としてガラス基流晶質で、炭酸ガスの影響でマイナス電荷を帯びる」

「ああ」

「ほらこの辺りの温泉は炭酸性の湯があるだろう。相対して地表の樹木な、これがプラス電荷を帯びていて、地表にその帯電層のスパークが発光現象の元だいう。これは説明がついているよな」

 自然現象で説明するだけなら、そうだろう。

 しかし僕にはどうしても鳴神六花の影が見える。

 霊や鬼や魍魎は生きている静電気だと彼女はいう。

 それほどの電荷を持つ霊山は、彼らの棲家ではないかと。


 摂津を抜けて丹波の山中に入っていた。

 大坂城の御不浄口より淀川に抜けた。

 城兵は糞壺を使うが、高貴な方は厠を使う。その排水溝が城を抜ける脱出口であった。高貴な方であれば、御淀殿のものもよもや混じっているかもしれないが、排泄物には変わりはない。

 推挙の理由に、水練というのが実感できた。

 父祖から受け継いだ具足は預けてあった。

 黒胴丸の板小札いたこざねに深い刀疵かたなきずがある。それを黒漆で埋めてある。幾度の戦傷を受けた具足であり、その全てが甘利家の奮戦の記録だ。

 丹波山中より山陰道をとるつもりだ。

 城抜けして伏見までは探索の眼が光っていた。

 僕は身なりを汚くし、逃散中ちょうさんちゅうの百姓に寄せていた。いやそもそもこの戦さの寄り騎に加わる前は、土から糧を得ていた。成る程、自分が選ばれた訳だと思った。

 昼に峠を抜ける算段で、朝方から歩き出した。

 薄闇の衣が一枚一枚剥がれるように、山が色づいてくる。陽が背後から昇ってきたようだ。森閑とした山街道に、林の縞模様の影が差してきた。

 枯葉を踏む音がして、そちらに目をやる。

 寸鉄も身につけていないと、身が引き締まる。

 国抜けを見張る余裕がまだ丹波にはあるのかもしれない。そっと立木に身を隠して、息を凝らしてその方向を見た。

 白い人影が歩いていた。

 肌も着ているものも雪のような白さだ。

 何かを謳っているようで、涼やかな調べが森の冷気を揺らしている。霜の降りた獣道を裸足で歩く、女がいた。

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