司るもの

 医師は目を白黒させていた。目の前で何が起きているのか分からない。目の前の出来事かどうかも分からない。夢なのではないかと思ったが、呼吸の流れは確かに肺に向かっていて、内臓が冷えていく。

「実際の神を目にするのは初めて?」

 メアが彼の目をじっと見つめ、ごく薄くマナを身体に纏わせる。それはぼんやりと光り、”威厳”ともいえる雰囲気を醸し出す。ウースはそれを見て、部屋の空気をマナでずっしりと重くした。メアの一歩後ろに居るものの、たしかな”威圧”を行った。


 信仰が深くない者から見ても、その姿は「神」そのものだった。


 魔法使いなど昔話の世界にしかいない。神もおとぎ話の登場人物に近くなっていた。

 そんな存在がすぐそこにいるのである。

「あ……ア……」

 医師は汗をだくだくとかいていた。

 既に腰を抜かして、床にへたりこんでいる。

 後ろめたいことが全くない人生ではなかった、むしろ先ほど不遜な態度で接してしまった。これらいずれか、また全て罰せられるのだろうか。それとも知りえない罪を知らずと背負っていたのだろうか。

 そんな想いが彼の頭を高速で駆け巡った。

「あ~あ、かわいそうに。何にも言えないんだね。大丈夫、質問したいだけだから。悪いようにはしないよ」

「本当、に神様……? 私、無礼を、ああ、赦されますか」

「正直に答えれば、ね」


 メアは数歩近づき、屈み、幼児に接するように、医師の頬にそっと手をあてがう。


「知ってる? 光は何を司るか」

 医師はふるふると首を振る。


「―—光は、正義。事実。ことわり。現実に即した正しさ、どうあるべきかの秩序の根幹」


 医師を覗き込む瞳がすっと細められる。


「私はそれを判断できる。虚は見抜ける。嘘は無駄なの」


 ゆっくりと語られるその後ろで、ドンドンと扉が叩かれた。遅いぞ、早くしろと抗議の声が聞こえる。

「うるっさいなあ。……黙るがいいよ」

 低い声で唸ったウースはガン! と扉を内側から蹴ると、向こうで人が倒れる音がした。一人だけではなく、間をおいて何人分も。


「ねえ? ドリネの奇病について、貴方が知っていることを全て教えて」


 ・ ・ ・


 ドリネの奇病は数年前に医師アルアードによって発見された。

 最初は食欲不振、不眠から始まり、それが続くことでだんだんと衰弱していき、最期には発狂して死に至るという。初期症状がよくある症状のため、見逃されやすいという。最初の感染者および死者は13年前に発見され、すぐにドリネ含むエルエイジュ中に共有された。以降も感染者はだんだんと増え続けるが、すべてドリネの民であった。

 治療法や感染経路はまだ発見されてはいないが、ドリネの一部地域で自生するネルバの葉を定期的に食することで、進行が遅らせられることが確認される。しかしネルバの葉は非常に苦く酸い上固いので食べるのに適さない。したがってアルアードにより製薬が行われた。

 薬は、葉を煮出したものと他成分を飴と混ぜて固め、頬の内側に入れて5分待つといったもの。未感染者にも予防効果があるため、数日に一度定期投与を各医院にて行っている。


 医師はこのような内容を絞り出すように説明した。話し終えるころには少しは語りが流ちょうになったが、それでも震えは止まっていない。

 メアとウースはそれを黙って聞いていた。


「なるほどね。メア、この人の言うことは事実?」

「ええ、大丈夫。アルアードという者に会いたいのだけど、どこにいるか分かる?」

「アルアードさんは……西の端です」

「ありがとう」

 メアが指先をくるりと回すと、その手の内に一輪の花が生まれる。水晶のように透き通る花弁が幾重にも重なって、溶かした金属のようにつややかな茎をもつそれを、医師の胸にさす。

「これはお礼。机の上の写真、娘でしょう。あげるといいわ」

「あ……ありがとうござ、います」


 目をすっとウースに向けた彼女はまたマナの霧となって、どこかへ消えてしまった。

 ウースはまだ立ち尽くしている。

「あたしは知識をプレゼントしちゃうよ。ちゃんと聴いててよね」


 医師が目をおそるおそる向けると、ふ、と笑った。


「闇が司るは、感情や道徳、そして各々の心。その人の想い、願い。祈りや信仰、愛から狂気まで、感ぜられるものや発せられるもの」


 ウースはその"威圧"を解いた。

 穏やかな空気が再び流れる。


「あたしたちに知ってることを告げるのは怖かったね。間違ってるかもって不安だったよね。もし間違ってたらどうなっちゃうんだろうって、呼吸も苦しかったよね。——あたしにはわかる。見てる人の感情がぜんぶ分かるから」

 そして医師の頭を撫でながらこう言った。


「よく頑張ったね。教えてくれてありがとね」


 医師が目を見開いたその瞬間、ゆっくりとウースは霧散した。


 緊張からの解放で、彼は汗でびしょびしょの体を抱える。

「……神、様……」

 僅かな時間といえ努力を認められた気がして、涙をこぼした。

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