39.意志の旅路【みちのはじまり】

 4脚の椅子が置いてある部屋。そこで、スクラとセレニウスが言葉を交わしている。


「それにしても、セレニウスさんがこんな風になるだなんて……。エリュプスはそんなに強かったんですか?」

「ええ……。あれは私が今まで戦った中で、五本の指に入るほどの強さだったわ。それこそ、あの時の兄さんに匹敵するほどにね……」

「能力に目覚めて間もないエリュプスが、どうしてそこまでの力を……」

「さあ……。今回の件に関しては、わからないことが多すぎるわね。今の状況が落ち着いたら、私も旅に出ようと思うの。この調査は、ペリュトナイの中だけじゃ完結しないと思う」

「……ええ。俺からもお願いします。それに、久しぶりに羽根を伸ばしてみるのもいいんじゃないですか? すっかり働きづめでしたし」

「ありがとう……。ああ、そうだ。ねえスクラ。1つ聞きたいことがあるんだけど」

「ええ。まあ、俺が答えられることなら何でもどうぞ」

「……『セカイ』って、何のことかわかる? 倒れる寸前のエリュプスが言っていたんだけど」

「……? すみません。心当たりはないですね。死に際の錯乱か何かで口走ったんじゃないですか?」

「……そう。……まあいいわ。じゃあ、もう私は行くわね。やることが山積みで参っちゃう……」


謎を残して、2人はそれぞれの持ち場へと戻っていく。


 僕は気付けば、いつか見たあの部屋にいた。相変わらず、拘束されたままで。しかし今の僕には嫌な感情の起伏は無い。自分でも不思議なくらいに落ち着いている。うつむいていた顔を上げると、目の前にはメガロネオスがいた。何をするでもなく、彼女は僕を見下ろしていた。


「……お疲れ様。よく頑張ったね」


聞こえてきたのは、労いの言葉。嘲るでも皮肉るでも無いそれは、今の僕にはこの上ないものだ。目頭が熱くなる。目元が暖かく濡れているのを、僕は感じた。それを見て、メガロネオスが涙を指で拭い取る。だがここで彼女に礼を言おうとしたところ、突如として視界がぼやける。徐々に音すらも不明瞭になっていき、僕の意識は再び沈んでいった。


「やっと、始まるね……」


昏睡の刹那、聞こえた彼女の言葉の意味は、今はまだわからなかった。


 もはや自室と言っても過言ではない医務室にて、リトスは目覚める。身体中に包帯などの治療の跡が目立ち、その姿は明らかな無理が祟ったものであると言えた。


「あッ……! 痛たたたた……!」


起き上がろうとして、しかしその直後にそれを断念する。声も心なしか掠れているようにも聞こえる。しかし、この声を聞いて反応を示した者もいた。


「リトス……! リトスが目を覚ましたぞ!」


慌ただしい足音と共に、何かが遠ざかっていく。それからすぐに、やって来たのは、同じような慌ただしい足音だった。しかし先ほどまでと違うのは、それが複数人によるものであるということだった。リトスを囲んでいたカーテンが取り払われ、姿を現したのは彼にとって馴染み深い3人だった。


「スクラにシデロス……! それに、アウラまで……!」

「リトス! よかった……! 無事で、本当に……!」


カーテンが開け放たれるや否や、アウラがリトスに抱き着く。それにリトスは困惑するばかりだったが、恐る恐る彼女の背に手を回す。リトスの背が、アウラの頬が濡れる。それが涙であることは、言うまでもないだろう。


「アウラ、それぐらいにしておけ。機会なら後でもあるだろう。それよりも、するべきことを済ませておきたい」

「……すみません。なんだか、心配を抑えきれなくて……」


この時もなお冷静なスクラが、アウラを一旦引き離す。そんな彼の頬にも、ほぼ消えかけている濡れた跡があることには、この場にいる誰も気付くことは無かった。


「さてリトス。君がこうして生きて戻ってきたことは、何よりも喜ばしいことだ。俺も君に魔術を教えた身として、嬉しく思う。……ここからは、君に説教をしなければならないがな」


彼はその言葉とは裏腹に、それほど怒っているようには見えなかった。それをわかってかわからずか。リトスは静かに聞いている。


「まず1つ。君は正しい薬の使い方も出来ないのか? 塗り薬を飲むなど……。しかもそれを一度ではなく何度も……。正気か? 直接的な天素の過剰摂取は危険だと、あれほど……。まったく……。君は本当に、本当に……、無茶を……」

「ああ、まったく……。スクラ殿は下がっていてください。大事な要件なら、俺も聞いてますから」


説教と銘打っているものの、次第にスクラの目には涙が現れ始め、最後には嗚咽によって言葉が続かなくなっていた。そうして何も言えなくなったスクラを一度下げ、シデロスが代わりに前に立った。


「悪いがこれ以上余計なことを言うと終わらなくなってしまいそうだからな。簡潔に要件を伝える。まずはセレニウス様からの指令だ。これから3日間。休息をとってもらう。そしてその休息が終わったら、……このペリュトナイから出てもらう」


その言葉は、当事者のリトスはおろか、この話を知らなかったアウラも驚愕する。


「そんな……! リトスはペリュトナイのために、こんなにも尽力したじゃないですか……!」

「まあ聞け……。続きがある」


アウラの言葉を制し、シデロスが懐から1枚の紙を取り出す。その内容はうかがい知れないが、紙の裏から透けて見えるのは、赤く大きなエアレーを象った紋章だった。それがペリュトナイを現す印章であることは、リトス以外は知っていた。シデロスはそれは、読み上げる。


「えー……。この戦いにおけるリトスの武勲を讃え、褒賞として30万エルド、並びに頑強なエアレー2頭とエアレー車を与えるものとする」

「さ、30万エルド!? 30万って言ったら、物凄い大金じゃないですか!」


読み上げられたその文書の内容に、アウラは驚愕する。しかし当の本人であるリトスは、いまいちピンと来ていない様子だった。


「ねえ、スクラ……。30万エルドって、そんなに凄いの?」

「……このペリュトナイでなら、屋敷が数軒建つ」


既に落ち着きを取り戻していたスクラも、この額には驚きを隠しきれていない。そのように驚く面々をよそに、シデロスは続きを読み始める。


「ここからは走り書きで読みづらいな……。えー、何々……。『リトスへ。こんな形で伝えることになってしまってごめんなさい。色々考えていたけれど、やっぱり貴方はこの国から出る方がいいと思う。貴方は、紛れもなく私たちの仲間。でも、貴方が帰るべき場所は他にあるはず。それに、貴方には途方もなく広い未来がある。それを、多くを知ることに使ってみてもいいと思う。でも、何かがあったらいつでもここに戻ってきてもいい。私たちは、いつだって貴方を迎え入れる』……以上を、ペリュトナイ公式文書として登録し、これを承認するものとする……。だそうだ」


読み終わったその紙を、シデロスは懐に戻した。確かに、その内容はリトスに伝わった。しかしそれ以上に気になることが、彼にはあった。


「ところでセレニウスはどこ? それに、カルコスは……」


それを口にした瞬間、その場の空気が変わった。リトスは不思議の思うも、何かを察して俯いた。


「……ごめん。聞かなければ、よかったよね」

「いや……。大丈夫だ。ああ、セレニウス様なら街で復興作業の真っ最中だ。忙しそうにしていたから、こうして手紙を残したんだ」


何かいたたまれなくなったのか、シデロスは部屋を後にしようとする。それを、止める者はいなかった。


「じゃあ私たちも……。また、来ますからね」

「俺は作業に戻る。何かあったら呼ぶといい。……どうせなら、何かさせてほしいんだ」


アウラとスクラもリトスのベッドから離れ、カーテンが閉まる。残されたのはリトスと、再びの静寂だった。そして程なくしてドアが開く音がして、まもなく閉じる音がした。


 目覚めより3日間、リトスは部屋から動くことなく過ごしていた。ある時はスクラから差し入れられた本を読んで知見を深め、またある時は変わらないながらもどこか懐かしいような食事を摂り、そして大半を、溜まり切った疲労を解消するために深く眠る。この日々は彼にとって、初めての平穏な日々だった。しかし平穏とは、必ずしも長く続くものではない。新たに始まった長き平穏の裏で、ある1つの平穏が緩やかな終わりを迎えることになる。


 穏やかに晴れ、心地よい風の吹く明け方。街はまだ活動を始める前であり、故にここにいるのは数人だけだった。


「まあ先ほど教えたとおりだ。発進、停止したいときはここに。加速、減速はここに指示を出すといい。方角はその都度導いてやるんだ。こいつらは賢いから、ちゃんと指示に従う」

「うん。大体わかったよ。でも、すごいね。魔術を応用した動物牽引車だなんて」


エアレー車の荷台に座り、スクラから説明を受けるリトス。杖を動かし天素を壁面の装置に送るたびに、荷台の外部に取り付けられた装置が動く。それは、御者のする操作法に似ていた。


「ああ。誰もが御者としての技術を持っているわけじゃないからな。魔術をある程度かじるどころか、天素の簡単な操作さえできれば、これは扱える。試作品とは言え、君の旅の良き相棒となるだろう。ああ、それとこれも。ちょっとした細工を施した地図だ。移動中に見てみるといい」

「……ありがとうスクラ。また、会おうね」

「……ああ。そうだ、あとこれを渡しておこう」


少し寂しげな会話を交わす2人。そして思い出したかのように、スクラが数冊の本をリトスに手渡した。


「この本は?」

「俺からの、まあいわゆる宿題というやつだ。次に会ったときにテストをしてやろう。それまでにしっかり勉強して、身に着けておくんだな」

「そんなの余裕だって。期待以上のものを見せてあげるよ」


叩く軽口も、どこか寂しげであった。永遠の離別ではないと互いにわかっていながらも、これが長い離別であることは確かだった。それ故に、この時を惜しむかのように、とりとめのない軽口を叩き合う。


「リトス、そろそろ……」

「……うん。じゃあ、みんな。僕のために色々ありがとう。……またいつか、生まれ変わってまた会いに行くよ」

「寂しくなるわね。私たちからもお礼を言わせてもらうわ。……本当にありがとう。貴方がいなければ、このペリュトナイを取り戻すことが出来なかった。……貴方は立派な戦士だったわ」


セレニウスから称賛と労いの言葉がかけられる。その言葉が、リトスの自信につながるということは言うまでもない。この旅路に、自信という基盤は必要不可欠である。


「さあ、もう行って。……これ以上は、私も平静を保てそうにないわ。みんなの前で、涙は見せたくないもの」

「セレニウスでもそういうことはあるんだね。……なんだか意外だな。まあ、わかったよ。僕の中の英雄としての像を、崩すわけにはいかないからね」

「……言うようになったわね」


いたずらっぽく笑うと、リトスは荷台の中に引っ込んだ。そして天素を操作するとともに装置が作動し、エアレーが走り出した。走る2頭の二角獣に引っ張られ、エアレー車は動き出した。


「みんなーっ!! 本当に、ありがとう!! またいつか……、またいつか会おう!!」


動く荷台から顔を出し、大きく手を振るリトス。その顔は、もう自信のない少年のものではなかった。こうしてリトスは旅立った。彼の門出を祝福するかのように追い風が吹く。それは朝焼けと相まって、彼自身の夜明けとも言えた。しかしその追い風に混ざって何かが吹き抜けたことを、彼が知る由は無かった。


 エアレー車に揺られ、リトスは地図を開いている。地図は広い範囲が記されて、更に便利なことに自身が今いる大まかな位置を、蒼い結晶で示していた。


「目標地点は……、アマツ国、か」


ペリュトナイとアマツ国の距離は、非常に遠い。それこそ、数日程度では到底たどり着けないほどに。長い旅になる。彼の終着点は確かに存在するものの、それは途方もなく遠いものだった。そうして地図をぼんやり見ていると、現在位置を示す結晶が、地図上のペリュトナイを脱していた。ここから先は、彼にとって全く未知の領域となる。そしてそれと同時だった。荷台の入り口に、何かが着地するようなドンという音がした。不意にしたその音にリトスは思わず振り返り、即座にエアレーに停止の指示をする。程なくしてエアレー車は止まり、リトスは杖を構えて未知の来訪者に警戒を露わにする。そして荷台の入り口である簡素なドアが開け放たれると、そこにいたのは意外な人物だった。


「アウラ……!? そんな、どうして……!」

「……酷いじゃないですか。私に何も言わずに置いていくなんて」


荷台の入り口にいたアウラは、リトスの言葉に答えるよりも早く、荷台の中に入っていく。彼女の背には、大きなカバンが背負われていた。腰を落ち着けるかのように、彼女はカバンを下すと座り込んだ。


「アウラ……? その荷物は……。それに、一体どうしてここに?」

「どうしてって、そんなの決まってるじゃないですか。私もリトスの旅に同行するんです」


さも当然のようにカバンを漁り始める彼女。その中から布が擦れるような音に紛れて、金属同士がぶつかるような軽い音がしていた。


「い、いやいやいや……。どうやって追いついてきたの? それに、どうして僕の旅に……!」

「ちょうどいい風が吹いていましてね。乗ったら、あっという間でした。……あった」


目的の物を発見したのか、彼女はカバンを漁るのをやめる。そして彼女が取り出したのは、真っ二つに折れた金属の槍だった。その槍に、リトスは見覚えがあった。


「これは、カルコスの槍……!」

「……これの補修が、私の旅の目的なんです。これはアマツ国の、マウラの里という場所で作られた名槍です。そこでしか、完璧な補修はできません。……これを補修して、カルコスさんの元に返さないと」


確かに、そうなれば行先は同じになる。しかし同行の理由はそれだけではなかった。


「それに、私思うんですよね。なんだかずるいじゃないですか。私だって、色々なものを見て、更にる強くなりたいんですよ。セレニウス様が、昔やっていたように」


少し寂しそうにアウラが笑う。その寂しさは故郷を離れることに起因するのか。それともかつての仲間の喪失に起因するのか。答えは、彼女の中だけだった。


「後何よりも、リトス1人でやっていけるのか、少し心配なんですよ。試しに聞きますけど、これからどこに行くつもりですか?」

「え? それはまあ、このままアマツ国に……」

「……まあそんなことだろうと思いましたよ。ちょっと地図を見せてください」


リトスが手元で広げていた地図を、アウラがひったくるように手に取る。


「いいですか。まず大前提として、アマツ国までは途方もない道のりになります。そこまで、一直線に行くのはあまりにも愚かです。本当に。だから、色々なところを経由しながら補給を続けて行くのが無難と言えます。旅路の安全を、その都度知ることだって出来るでしょうし。だからまずは……、ここなんかいいんじゃないんですか?」


アウラが指をさしたのは、大きな湖だった。ただしその中心には、塔の絵があった。


「この湖と、塔は何?」

「ペリュトナイからアマツ国の間に存在する大規模な都市、国家の1つです。そう。その名は……」


アウラがその名前を口にする。それが、ひとまずの目的地だ。途方もない当初の目標に比べれば、遥かに達成は容易だ。


「『アトラポリス』。ペリュトナイと同じぐらいの昔から存在する、巨塔都市です」


エアレー車は走り続ける。こうして2人の次なる目的地は定まった。向かうはアトラポリス。その旅路は始まったばかりである。これは、まだ序章に過ぎないのだ。






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