36.闘宴、透空、勇軍到来
ある時おうじは何かに気付きました。それはほんの些細な閃き。しかしそれはいつしか大きくなっていき、その思いでおうじを縛ることになりました。それはおうじが立派な青年となっていた時でした。そしてその閃きと共に、ある決意を抱きました。
城の如きその威容は、しかしそこで留まるでもなく眼下の影に牙を剥く。たった2人で城を崩すなど、無謀と笑われる挑戦である。ましてや、その城が自ら襲ってくるものであればなおさらだ。とはいえ、ここで挙げたのはあくまでも現実では到底起こり得ない与太話だ。ただし、それは今回の場合は一切参考にはならない。セレニウスとリトスの前に立ちはだかるのは、その与太話の怪物だ。天から降る月光を浴びて、獣は咆哮を轟かせた。
咆哮は空気を震わせ、城の残骸を振動だけで砕いていく。それを前にして壊れずに立っているのは、セレニウスとリトスだけだった。その咆哮が止み、一瞬の静寂に辺りが包まれた。
「……来る! リトス! 警戒を___!!」
「ッ!?」
セレニウスが声を発した瞬間に、彼女の姿が突然リトスの横から消える。驚き振り返るリトスの目に飛び込んだのは、恐るべき速さで駆け抜けるエリュプスだった。セレニウスを遥か後方へと連れ去るその様子を、リトスはただ見ていることしかできなかった。
「は、やっ……! それに、なんて力……!」
「このまま噛み砕いてやる! さあ抵抗をやめるがいい……!!」
噛み砕かんと閉じられようとするその大顎を、セレニウスは必死で受け止める。獣の奥から轟くその声に、しかし彼女は怯むことなく抵抗を続ける。
「生憎、抵抗をやめるわけにはいかない……! 離せッ!!」
片腕で必死に押さえつける大顎に、突如銀閃が走る。そして次の瞬間には、上下の顎を切り飛ばされたエリュプスと、永劫を手にエリュプスから脱したセレニウスがいた。大きく部位を切断され、それでもなお、エリュプスは動じていない。
「そう易々とは……、いかないな」
「それはこっちのセリフよ……!」
切り飛ばされた顎は、しかし一瞬で元に戻っていた。轟く声は煩わしそうに。睥睨するその目は明確な敵意と憎悪を宿して。そんなエリュプスに、蒼い礫がぶつかり、砕けた。
「……? 小僧、それは攻撃のつもりか?」
その声は、届くべき場所には届かない。しかし声以上の形で、それは届くこととなる。
「よし……。こっちに注意が逸れた……。でも、これはまずそう……!」
遠く離れたリトスを、エリュプスは6つの目で睨み付ける。その眼光は、遠く離れていても強く相手を威圧していた。その直後、金と真紅の光を走らせながら、黒い巨獣が向かってきた。新たな獲物を見つけたかのように。
「やはりお前は煩わしい!! 不快の芽は早めに摘んでおかねばな……!」
大地から掬い上げるように、エリュプスの大顎がリトスを捕らえて止まる。セレニウスと違い、リトスはこの大顎を受け止めて抑えることはできていなかった。しかしリトスの能力により、上下から迫る牙は彼に食い込むことは無かった。だがそれは、一時のものであった。
「ぐうううう……! 能力が、突破される……?」
「やはり固い……! だが食いちぎれない程ではない!!」
能力を維持し続け、必死で抵抗するリトス。だが牙の当たっている右肩は、徐々に赤く染まりつつあった。しかしそれを気にしている場合ではなかった。それ以上の危機を、リトスは感じていた。
「もっと……、固く……!」
エリュプスの喉の奥。そこからは、悍ましく恐ろしい気配が漏れ出ていた。ここから脱さねば、能力関係なしに自分は無事では済まない。そのように感じていたリトスは必死で抵抗を続けていた。しかし脱することなど彼には不可能だった。
「こうなれば……、これしかない!!」
自身の肩を、首を案じて覚悟を決める。そしてリトスは意を決して、エリュプスの口内へ飛び込んでいった。
「血迷ったか小僧! では至近距離で死ぬがいい!!」
喉から光が漏れる。それはリトスにとって、今まで以上の脅威となるだろう。夜すら裂いて放たれる威力を持った巨大な咆哮。かのセレニウスでさえ、当たれば再起不能となるその一撃は、しかし放たれることは無かった。
出るはずのものが出ずに、エリュプスは困惑していた。しかしその困惑もすぐに終わることになる。突如、エリュプスは苦しみだした。まるで何かが奥で煮えたぎっているような感覚を覚えて、うめき声をあげる。その様子は、エリュプスへと接近してきたセレニウスの目にも映ることになる。
「これは、一体何が……。でも、ここが好機!」
既に抜かれた永劫に加えて、背中から壊劫を抜いて二刀を構えるセレニウス。そして切りかかろうとしたその瞬間に、突如エリュプスの喉が眩い光と共に爆発した。その爆発により、エリュプスの首が大きく吹き飛ぶ。
「グオオオオ!! バカな……! まさか、暴発したとでもいうのか……!」
黒い血肉と共に、蒼い破片が飛び散っている。首がちぎれ飛んだその断面には、まるで塞ぐかのように蒼い結晶が広がっていた。そして飛んで行った首。その口の中から何かが這い出てきた。手には蒼く光る杖を持ち、元々黒かったローブは更に黒く汚れていた。そして同じように黒く汚れたその顔は、憔悴しきったリトスのものだった。
「リトス! これは、貴方が……?」
「……何か、危なそうな気配がしたから……、咄嗟に、補強した結晶で塞いだんだ……。完全に塞ぎきれなかったけど、効果はあったみたい……」
杖で身体を支えるリトスの背後で、首を失った獣の身体がゆっくりと倒れる。辺りは沈黙に包まれ、まるで先ほどの戦いが嘘であるかのようだった。
「まさか、これで……」
「……いや、そうでもないみたい」
終わりに安堵するリトス。しかしセレニウスは警戒を緩めない。二刀の構えを継続し、倒れた身体を睨み付ける。そして、その警戒が正しいものであると思い知らされることになった。
「あれは……、取り込まれた獣……?」
「……いや、あれ以上よ」
倒れ伏す巨体から次々に、黒い獣が這い出てくる。エリュプスと同じように金と真紅の眼光を輝かせ、しかしまるで地獄の亡者のように生気のない歩みで迫る。気付けば黒い獣の群れは、まるで蟻の群れのようにそこにいた。
「なんて数だ……!」
「さすがにこの量は、まずいわね……!」
それは、エリュプスが取り込んだ獣以上の数。セレニウスでさえ、この数を相手取るのは困難である。それはリトスと共にであっても、同様だ。そして最悪なことに、この状況は更に悪化することになる。それを知らしめたのは、何かが這いずるような重い音だった。
「何……? この音、近づいてくる……!」
「セ、セレニウス……。あれ……」
震える手でリトスが指さした先。そこにあったのは、見るも悍ましいものだった。
「あれは……! ……エリュプス、貴方は、なんて……」
大地を這うもの。四肢を、胴体を失ってなおその殺意は止まるところを知らない。黒の巨獣は首だけになっても、外敵に牙を剥き続けていた。
「セレニウス……!」
「……これは、流石に私でもまずいかも……!」
一体首だけでどのように動いているのか。しかしそれを気にする余裕などない。首はまるでバッタのように跳ねて、外敵を食らわんと襲い掛かってくる。当然、それに対して迎撃をしない選択肢はない。だが、それは決して簡単ではない。
「迎撃を……!」
「それは私がする! リトスは群れの方を……!」
突如、黒ずんだ閃光が走る。その発生源は、無尽蔵に発生していた獣の群れのうちの一匹からだった。リトスの顔スレスレを飛んで行ったそれは、後方にあった瓦礫をかすめると、瞬時にそれを溶かした。
「リトス!! 目一杯の防御を!!」
セレニウスがそう言うや否や、横薙ぎの閃光の雨が襲い来る。彼女の言葉がそうさせたのか、はたまた『彼女』がそうさせたのか。気付けばリトスは幕のような大規模な防壁を展開していた。月夜に現れたその蒼い幕は、まるで快晴の空を切り取ってきたかのようであった。この幕は、その見た目には似合わないほど強固であった。しかし、これにすべての力を注いでいるリトスは動けずにいる。そしてそれを守るのは1人である。
「そのまま維持して! 今は、私が守る!!」
飛び掛かる首を、思い切り振るわれた壊劫が吹き飛ばす。無秩序に暴れるその首に、自我のようなものが宿っているようには見えない。故に、その動きは読みづらいものとなっていた。いつしか閃光の雨は止み、獣の群れの進撃が始まっていた。獣の肉弾は、閃光に比べればはるかに威力で劣る。この幕を破ることなど到底不可能だ。しかし、そう都合よく物事は運ばない。空の幕に、陰りが見え始める。薄まり、それは徐々に夜空へと溶け込み始めている。そして群れの到来を目前にして、快晴の空は完全に夜空へと溶けていった。膝を付いて咳込むリトス。もう幕どころか、防壁1つ展開する余力すら残されていないだろう。
「リトス!! 待ってて……! 今……!!」
セレニウスは、向かうことが出来ない。いくら切ろうと吹き飛ばそうと、首は止まらずに暴れ続けている。群れがリトスに迫る。もう、誰もが彼の死を予感していた。
「総員! 矢を放て!!」
突如響いたのは猛々しい男の声。それと同時に、獣の群れへと矢の雨が降り注いだ。それを浴びて群れの勢いが止まる。この状況に、リトスもセレニウスも呆然としていた。
「貴方たちは……! そんな、でもどうしてここに……!」
矢の雨が止むと同時に、剣や槍を構えて戦士たちが群れへと突撃していく。そして獣の首にも、数々の大槍が突き刺さっていく。その放たれた方向を見れば、体格に優れた兵士たちが次々に大槍を放っていた。
「リトス! 無事か? さあ立ってくれ。……これを飲むんだ」
戦士の1人がリトスを助け起こし、懐から取り出した瓶から蒼白い薬を飲ませる。咳込んでいたリトスは、しばらくした後で呼吸を安定させて立ち上がった。
「……よし、大丈夫だな。よかった」
「どうして……」
セレニウスもリトスも、前線にいたはずの戦士たちがここにいることに疑問を持っている様子だった。特にリトスに薬を飲ませたその戦士。片腕を医療器具で固定されたその青年の顔を、リトスは見間違えるはずもなかった。
「……たまには無理をさせてくれ。今は勢いに乗ってるんだ」
獣の群れと、巨獣の首。その両方に立ち向かう戦士たちと共にやってきたのは、魔剣を手にしたシデロスだった。そんな彼に、セレニウスが近づいた。
「どういうつもりなの……? 貴方は絶対安静のはず! それで命を失ったって、カルコスは……!」
「……俺は戦いません。それに、さっきカルコスさんと話しました……。そして。……あの人を、看取りました」
持っていた空の瓶を投げ捨てるシデロス。その言葉の端は、震えていた。
「それにアウラにも、会いました。あいつはボロボロで、俺よりも経験が浅いのに、あり得ないぐらい強くなってて。……俺だってこんなこと良くないって思っています。でも、こんな時に言うのもなんですが、どうか、俺にもこの戦争の終わりを見届けさせてください・・・…! 戦えなくたっていい! サポートだけでもいい! だから、俺に……!」
目に涙を浮かべて叫ぶシデロス。普段の彼からは想像もできないようなその様子は、彼の本機を伺わせた。そんな彼を、セレニウスはただ黙って見つめていた。
「……シデロス」
そしてゆっくりと、彼女は口を開いた。そのまま彼女はシデロスの腰に留められた魔剣を抜くと、彼の手に握らせる。
「サポートに徹するのはいい判断よ。でも、自分の身は自分で守ること。貴方も戦士なら、できるはずよ」
魔剣を握る彼の後ろで、戦士との戦線から抜け出た獣が一匹、シデロスの元へと突っ込んでくる。それに対してシデロスは、後ろを向いたままだ。そのまま獣が彼へと迫る。
「そうですね……」
獣の牙が迫る。その瞬間、シデロスは振り向いた。
「それは、覚悟できていたことです」
黒い一閃が走り、その場に首のない獣の身体が倒れる。そして切断された首は、少し離れた場所に落下する。
「……戦士たちよ! この戦線は、任せたぞ!!」
セレニウスの檄に、帰ってきたのは戦士たちの勇ましい鬨だった。
「セレニウス、いいかな」
「……何か策があるのね?」
戦いに挑む戦士たちを見送った後、リトスはセレニウスに声をかけた。そしてすべてを聞かずとも、セレニウスはリトスの抱く真意をおおよそ感じ取っていたのだった。
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