30.散火、剥鉄、灼銅冷命
プロド。この男について語るべきことは、今はまだ無い。
突如現れたカルコスに驚く戦士たち。だがそれ以上の反応を示したいた者がいた。
「カルコスゥ……? イマサラ、ナンノツモリダ……?」
落ちた頭を一瞥することもなく、プロドの首の大半がカルコスへと向けられる。誰にも見られていない首と、それに突き刺さる槍。それは人知れず火の粉となって散っていった。
「何のつもり、ね……。わかっているくせに、聞くのかよ。……プロド!!」
再び槍を構え、勢いよく投げつけるカルコス。先ほどと同じように勢いよく飛んでいくその槍は、しかし再び命中することはなかった。
「イマサラ、ソンナカラダデ、ナンノツモリダト、キイテイルノダ!!」
無造作に振るわれたのは、無数にある腕のいくつか。それは飛んできた槍をいとも簡単に弾き飛ばしたのだった。そして槍は飛んでいき少し離れた場所に落ちていった。
「まあ、そうなるよな……。それにしても、随分醜くなったもんだな……」
「ナンダト……?」
飛んで行った槍には目もくれず、カルコスはプロドを一瞥すると憐れむように呆れた笑いを零した。そしてそれを、尊大なプロドが見逃すはずもなかった。
「そんな雑なパズルみたいに手と頭を生やして……。そんな滑稽なことをしてまで何がしたい……? 到底正気とは思えないな……!」
「……ワタシノ、コノスガタヲグロウスルカ! キサマダケハ! カクジツニコロス!!」
そしてプロドは思いの外気が短かった。それはこのようになってからより顕著になっていたのかもしれない。それが本当だろうと嘘だろうと、結果としてプロドは大いに激昂し、標的をカルコス1人に絞ったのだった。
「……ヤバいな。さて、俺は槍がもったいないから取りに行かせてもらうとするぜ……」
標的にされたカルコスは、しかし立ち向かうでもなくその場から走り去っていった。
「ニガシテ、ナルモノカ!!」
ここに何か作為的なものがあることは、少し考えればわかることだ。何しろ、突然逃げ出したのだ。しかしそこにある作為を、プロドは感知できない。冷静さを欠いているのか、それとも異形となったことで思考にも影響が出ているのか。それは、他者はもちろん、本人にすらわからないことだ。それでも、そんなものよりも大事なのは今ここにある事実。逃げるカルコスと、追うプロド。それだけが、今は重要なのだ。
残った右腕で燻る槍を掴み、荒野を走るカルコス。多少ふらつきながらも、その足取りは確固たるものだった。そしてそんな彼を追うのは、無数の腕で這うようにして追うプロド。その身体で出せる速度の全力には満たないその速度で、異形の獣は手負いの戦士を追い立てている。そんな命懸けの鬼ごっこがしばらく続き、前線からは少し離れたころ。不意に、カルコスは停止した。そんな彼の様子に、流石のプロドも違和感を覚えて停止した。
「はあ……、はあ……。ああ、限界だ……。ここ、までか……。ゲホッ! ゲホ、ゴホゴホ……」
「ムダナ、テイコウダッタナ……。ワズラワセテ、クレタモノダ……」
一周回って冷静そうなプロドの態度。しかしそれは、即座に崩れ落ちることになる。プロドの持つすべての表情が、裂けるような笑みを浮かべた。
「ミズカラシニバショニトビコムカ!! マアドウダッテイイ……! ココデキサマヲコロス!! ムゴタラシク! ソンゲンナク!!」
絶対的な殺戮者と、追い詰められた消えかけの命。それでも、カルコスは動かない。槍を杖のようにし、肩で息をしながら、それでもカルコスは倒れることもなく立ち続けていた。
「……俺を、殺すか? 今確かに、俺を殺すと言ったな?」
「ナニヲ、ミョウナコトヲ……? ソンナニケツマツヲオシエテホシイノナラ、ナンドデモイッテヤル!! キサマハ、ココデ、ワタシニコロサレルノダ!!」
多くの口から放たれる、殺意の籠った凶悪な笑い声。それ自体が持つ怖気と威圧感は、しかし手負いの人間1人圧倒できずにいた。そんな状況は、覆せそうにもないほどに絶対的だった。そのように、プロドは思い込んでいた。
「……ッ! ナンダ? イタミガ……」
突如走った痛みに、プロドは違和感を覚える。些細な痛みなど、今更気になることではないはずだ。しかしそれをプロドは気にせずにはいられなかった。それは、自然には感じることもないようなものだったからだ。そうして痛みを感じた箇所である後方の腕の1つを振るうと、そこにあった違和感の正体は簡単に離れていった。そしてその姿を、プロドは知ることになる。
「ナニ……!? アレハ……!」
放り投げた木の枝のように軽く飛んでいくその正体。それは、枯れ枝のような瘦身に鹿の頭が付いた、奇妙な存在だった。しかしそれを、プロドとカルコスは知っていた。いや、ペリュトナイに住む者であれば、殆どがそれについて知っている。
「……例の鹿頭の怪物。サクリヘッドと、言うんだったな……。その群生地がここだよ……。お前が俺に殺意を向けてくれて、助かったよ……!」
「ダカラ……、ナンダトイウノダ……! イマノワタシニハ、ソンナモノオソルルニ……!」
いつの間にかプロドは、サクリヘッドの群れに囲まれていた。その数は先ほどの前線における獣の軍勢に決して劣らない規模だった。それを前にして、プロドの言葉も途中で詰まってしまう。
「サクリヘッドは、殺意を抱いた者を食い尽くす……! 逃れることなんて、出来ようはずもない!!」
「ワタシハ……、ホショクシャナノダ! ギャクニクラッテクレルワ!!」
プロドの叫びに呼応するように、サクリヘッドたちは一斉に飛び掛かった。目の前のご馳走に待ちきれなかったかのように、その勢いは苛烈なものだった。それに対してプロドも負けていない。次々と襲い掛かってくるサクリヘッドを掴んでは、多くの口に放り込んでいった。所々食らいつかれながらも、プロドは未だに抵抗を続けていた。
(おいおい……。随分粘るじゃないか……)
今の状況は、カルコスにとっては完全に想定外だった。実際、サクリヘッドの規模も勢いも、彼の想定以上のものだった。しかしプロドの抵抗も彼の想像以上だった。このままでは本当に、サクリヘッドを食らいつくされかねない。
(もう一度槍を投げるか……? しかし、もう俺にそんな力は……)
カルコスの手にしている槍は、既に半分以上が火の粉になって散っていた。今の彼には、状況を覆すほどの力はなかった。
(ああ……。俺は、何もできなかったってことか……)
そう、今の彼には。
「う、ああああああ!! プロドオオオオオ!!」
カルコスの背後から、突如走り寄る影が1つ。その正体に気付く前に、それはプロドの前に躍り出た。プロドの頂点にある頭の1つ。それを狙いすまして跳躍するその者の手には、黒ずんだグラディウスが握られていた。
「ナニ……!? キサマハ……!!」
それは、この場にいる者にとって全くの想定外。それを受け入れることが出来なかったプロドは、その一撃をモロに食らってしまった。そしてその一撃が、決定打となる。
「バカナアアア!! キサマガ、ナゼココニ……! グ、アアアアア!!」
刹那の隙を見逃さずに、サクリヘッドが食らいつく。狙いすます先はプロドのみ。乱入者を狙うものはいなかった。肉を食まれ、千切られる水っぽい音が響く。そしてそれと同時に轟くのは、獣と人間の中間のような濁り混ざった叫び声。しばらく経つと水っぽい音は何かが砕けるような音に変わり、やがて叫びも聞こえなくなる。
「……むごいな。これが、末路、か……」
そして砕ける音も聞こえなくなった辺りで、サクリヘッドたちはその場から離れていった。今までサクリヘッドがいた場所には、僅かばかりの赤褐色の毛が残っているのみだった。
「はあ……、はあ……。返したぞ……、俺の右腕の借りをな……」
黒ずんだグラディウス、魔剣ステージスレイヴを手にする片腕の男、シデロスは片膝を付いて息を切らせていた。そんな彼の後ろで、何かが倒れる音がした。
「そうだ……! カルコスさん!」
どうにかして立ち上がり、後ろへと駆け寄るシデロス。そんな彼の視線の先には、仰向けに倒れ伏したカルコスがいた。
倒れるカルコスと、傍らのシデロス。そんな彼らの下に、新たな影たちが近づいてきた。
「いたぞ! カルコス殿!!」
それは、前線にいた戦士たち。その大半が傷つきながらも、誰一人として欠けてはいなかった。
「お前……、シデロスか? 一体どうしてここに……」
「待ってるなんて出来なかったからな……。ちょうど使える武器も手元にあったから、俺も戦いに来た……。それより、カルコスさんが……!」
戦士たちの視線は、一斉にカルコスへ向けられる。そんな視線すら気にする余裕もなく、カルコスは天だけを見つめていた。
「……俺、死ぬんだろうな。こんな身体で、動けるわけもなかったんだよ……」
「バカな事言わないでください……! 貴方は、まだ……」
「……シデロス」
シデロスの言葉に答えることもなく、視線を動かすこともなく、カルコスは口を開いた。
「お前は、よくやったよ。でもここまでだ。街に戻るんだ……。俺の後を追うな……」
シデロスは、何も言えない。ただうなだれているだけだ。
「それと……、お前たち……。ペリュトナイの戦士たちよ……。今すぐ王城に向かうんだ……。あそこでは今、セレニウス様たちが戦っている……。『戦士よ、勇猛たれ。しかしてその命、失うことなかれ』。この言葉、たまには例外があってもいいんじゃないかって思うんだ……。このペリュトナイに平和を取り戻すためなら、命を投げ打ったっていいんじゃないかって、な……。やっぱり、命を投げ打たないと掴めない平和も……」
「……違いますよ、カルコス殿」
カルコスの言葉に、戦士の1人が返す。
「俺たちはペリュトナイの戦士だ。ただの戦士じゃない。俺たちの抱く言葉、これは蔑ろにしちゃダメなんだ。俺たちは、誰も欠けずにペリュトナイを平和にする。だから、ここでアンタも死んじゃいけないんだ。カルコス殿……」
カルコスは驚いたような表情を浮かべる。しかし、満足そうに笑った。
「……安心したよ。それでこそ……、ペリュトナイの……、せん、し……」
「カルコスさん! カルコスさん……!」
何かを掴もうと、持ち上がるカルコスの腕、しかしそれは何を掴むでもなく、自然の落下で地面に落ちた。
「……行こう。お前たち」
「ああ……。目的地は王城、だな」
「……カルコス殿、見ていてください……」
戦士たちは、王城へ向かって歩き出す。そんな彼らの目に宿るのは、新たに固まった決意だった。何かを抑え込んでいるように見えるそれの後ろには、彼らしか知り得ない本心が宿っていた。
「……カルコスさん」
シデロスは、動かない。動けない。しかしステージスレイヴを握る手には、強い力が籠っていた。そしてその目には、ある意志が宿り始めていたのだった。
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