29.貪食、惨宴、灼銅回帰

 戦場には、戦士たちの亡霊が彷徨うという。それは戦士たちにとって助けとなるか、あるいは死へと誘う罠となるか……。


 最前線。そこは神託街マディスと王都の丁度中間に位置する場所であり、今回の戦争における最大規模の戦場である。多くの刃と爪牙がぶつかり合い、火花を散らす。ここはまさに、最も『戦場』と呼ぶにふさわしい場所だった。さて、今の戦況は殆ど拮抗していた。互いに一定数が戦線から離脱し、残った者たちが戦いを続けている。ただ双方で違うのは、獣の手勢はそれなりの数の死体となっていたにも関わらず、戦士たちは重傷者こそ生んでいるものの、死者は1人たりとも発生していなかった。回復したそばから、また戦いへと飛び込んでいく。それでも互いに拮抗しているのは、獣たちの圧倒的な物量によるものだ。倒せども倒せども、獣たちは無限とも言える物量で絶えず攻めてくる。今はまだ拮抗し合っているからいいものの、無限にも等しい獣の軍勢にいつかは押し込まれてしまう。その状況を理解してか、戦士たちの顔には徐々に焦りが増えていった。しかし獣たちはそれを一切知ることも感じることもなく、ただひたすらに同じ勢いのままで攻勢に出ていた。


 それは突然現れた。一切の前触れもなく、一切の情報すらなく、それは戦場の中心に降り立った。突如舞い上がる土煙に、戦士たちはおろか獣たちも一瞬怯んで動きを止めた。しかしそんな中でも、勢い余って前に飛び出してしまった獣たちもいた。それが愚行となることも知らず、勢いのままに乱入者に食らいつこうとした。


「……グ、オオ……」


そんな獣たちの勢いを止めたのは、低い唸り声と共に伸びてきた奇妙な獣の腕だった。ただ腕が止めただけならば、それは何も奇妙なことではない。それが奇妙だったのは、多方向から向かってきた獣すべてを、腕によって止めたということだ。その腕が、掴んだ勢いのままに獣たちの首を締めあげている。それに対して抵抗するかのように、掴む手に爪を立てる獣たち。しかしその抵抗する力も次第に弱くなっていき、最期には腕が力なく垂れ下がった。そのタイミングで、舞い上がっていた土煙が晴れていく……。


 その異様な姿を見た者は、目に映ったその光景を受け入れることができなかった。最も、それを簡単に理解できる者などいるはずもない。獣を掴む腕は優に5本を超えながらも、未だに何も掴まない腕を無数に備えていた。その腕の隙間を縫うかのように存在しているのは、唸り声を上げて牙を剥く、狗のような獣の顔だった。それらが寄り集まったかのような、まさに『獣の塊』とでも言うべきそれが、この戦いにおける乱入者の実態であった。それを前にした戦士たちは、ただその姿と、所業を見ていることしかできなかった。


「モット……、モット、クワネバ……」


かろうじて聞き取れたその声。それは明らかに人語を話しており、そしてその言葉と共に掴まれていた獣たちが、無数の口に無造作に放り込まれる。獣が入った口は嚙み砕くように咀嚼し、やがて飲み込む。そしてしばらくした後で、獣の塊に異変が起こる。瘤のような膨らみが形成されたかと思えば、やがてそれが肥大化して内側から破れる。そして中から生えてきたのは、無数にあるそれと同じような獣の腕だった。続くように無数の瘤が生成されたと思えば、そこから腕や頭が生えてくる。


「タリナイ……。オマエ、タチモ……!!」


その言葉が発されたと同時に、無数に生えた獣の顔が一斉にあちこちを向き始める。その目線を目まぐるしく移動させながらも、それはやがて動きを緩めていく。そしてその視線は、主に2つの方向に分かれて固定される。その目線の先、そこにいる者たちに降りかかるのは、理不尽にも等しい暴食の蹂躙だった。


 戦場は、いつかからか歪な獣の食事の場と化していた。戦士たちに、獣たち。乱入者にとって、それらに大した差などない。皆等しく餌であった。


「うわあああ!! 逃げろ逃げろ! あんなものに勝てるわけが無い!!」

「し、しかし戦士として戦いから逃げるわけには……!」

「戦果よりも命だ! 取り込まれて一部になりたくなんてないはずだ!!」


戦士たちは皆、背を向け武器を放り捨て逃げ惑う。そうして戦士たちが逃げ惑う中でさえ、乱入者は獣たちに手を伸ばしていた。獣が食われるたびに、腕と顔が増えていく。


「アア。モット、モットダ……! ワタシヲウラギッタスベテヲ……、ココデホロボシテクレヨウ……!」


獣を食らいながらも一部の顔は戦士たちに向き、それらを掴み取るべく手が伸ばされる。向けられたその顔は憎悪に満ちており、何処か赤みがかっているようにも見えた。そんな獣を見た戦士の1人が、恐る恐る口を開く。


「ま、まさかあの獣……。あれは、プロドなのか……?」


怒りのままに腕を伸ばす獣。その怒りが現れたかのように赤く逆立つその姿を見た彼の頭に浮かんだのは、出撃前に聞いていたプロドについての情報だった。それに加えて、獣の口から放たれる憎悪や怒りの乗ったその言葉が、それがプロドであることを裏付けていた。プロドの暴走は、この戦場に大きな混沌をもたらしていた。しかし、それを打ち払う希望は確かに存在する。今はまだ、そこにいないだけで。


「オオ……。ワタシハ……、ツヨクナルノダ……! スベテヲ……、コエルノダ!!」


この頃には、獣の軍勢も壊滅状態にあった。そのすべてが、プロドによって食われて飲まれていた。今のプロドの姿は、少し前に比べて遥かに歪な変化を遂げていた。そして獣が壊滅状態となった。ということは、それはもう獣を片手間に片付けることができるようになったということ。……プロドの矛先が、変わる瞬間でもあった。


「ジュウリン、シテクレヨウ!!」


そしてプロドの腕が、一斉に戦士へと伸びていく。情けないことではあるが、臨戦態勢の戦士たちは数えるほどしか残っておらず、その殆どが手負いだった。


「オマエタチガ、ワタシノミライノ……、ハジマリトナルノダ!」


プロドは叫び、無数の手を地面に叩きつけて大きく跳躍する。その跳躍の先にいるのは、敗走する戦士たち。以下に力をつけようとも、プロドの本質は『卑怯者』だ。確実に仕留めることができる弱き者から狙う。それがプロドの考えだった。戦士たちは逃げることに必死で、飛んでくるプロドに気付いていない。いや、気付いている者もいるのかもしれない。しかしそれに気付いていても、回避することはできない。つまり、このプロドの狙いは確実に当たるものとなっているのだった。


「シネエエエエエ!! ゾウヒョウドモ!!」


しかし、希望は確かにある。そしてそれはたった今、ここに辿り着いたのだ。突如として放たれる『何か』。刹那に煌めいた閃光のようなそれは、多くあるプロドの頭の1つを的確に射抜いてその場で墜落させた。落下したプロドの頭の1つ。そこにあったものに、戦士たちは驚愕することとなった。


「あれは……。あの槍は、大火!! まさか……」

「……情け、ないな。それでも、戦士か……? ゲホッ、ゴホゴホ……」


戦士たちの背後からやってくる1人の男。力なくふらつき、咳込みながら話すその男には、左腕が無かった。まるで何かに千切り取られたかのように、そこに存在していなかったのだ。燃える炭のように火の粉を迸らせながら、その男はいつの間にか手にしていたもう1本の槍を構えていた。


「シデロスは……。……ああ、そうか。仕方のない、ことだ。だが……、そうではないようだ……」

「どうして、貴方が生きて……。カルコス殿!!」


片腕のないその男。カルコスは、その手に失ったはずの大火を携えて戦場にいた。希望は、こうして現れたのだった。

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