28.蒼空、朱空、明星墜空

 大魔術。それは、魔術の最高位に位置する御業の数々である。かつての研究者たちはこの理論を導き出したものの、それは人が扱うにはあまりにも無理のある代物であったという。そんな大魔術を扱えるのは最上位に位置する魔術師たちと、そんな彼らの始祖とも言える、魔術太祖エオスだけである。


 光に目が慣れ、私の視界に飛び込んできた光景。見るも無残に破壊された建物群、生命の痕跡すら残っていないこの『街だった場所』は、穏やかともいえるほどの静寂に包まれていた。そして、その不気味なほどに穏やかな静寂は、やがて私に『勝利』という現実を突きつけることになった。


「あ、ああ……。フフ、ハハハハ……! 勝った! 勝ったんだ! 私がスクラに! あいつが守りたかった街ごと全部! 完膚! 無きまでに!! 全部壊してやったんだ!! 私は……! やったんだ……!!」


勝利の余韻に浸る。不思議なことに笑いがこみあげてきて、止まらなくなる。あれほど届かなかったスクラに届くどころか、私は超えてみせた。これに浸るなと言う方が酷な話だ。何よりもこれはペリュトナイの総意である以上に、元からあった私の悲願でもある。かつての私が今のこの光景を見たらどう思うだろうか。今の私のように喜ぶだろうか。それともかつての想いに縛られて怒り、泣くのだろうか。今のこの想いに染まり切った私にその答えは想像すらできない。今はただ、こみ上げるこの余韻に嗤うだけだ。


「フフフ、ハハハハハハ!!! 私の勝利だ!! ざまあ見なさいスクラ!! 私は特別で、強いんだ!! フフハハハハハ!!! ハハハ……。……はあ」


喜びのままに杖を放り投げ、私は仰向けに倒れこむ。ひとしきり嗤った後で、ふと胸の中核に虚ろな穴が開いたようになる。私は目的を果たした。宿願を果たしたのだ。しかしこの空虚感は何なのだろうか。今更失うものなど、何もないはずなのに。


「空が、蒼いなぁ……。……あの蒼さも、ここでは私だけのものなんだなぁ……」


もう夕刻も近いというのに、空が蒼い。スクラも消え、この街には今私1人だけがいる。今のこの空を見ているのは私だけなのだ。


「……蒼い? いや、そんなはずは……」


冷静に考えてみると、妙だ。時刻は夕刻近く。とっくに色づいていてもおかしくないその空の色は、やはりまだ蒼い。重ねて冷静に考えてみると、おかしなことばかりだ。私の大魔術は街全体に降り注いだはずだ。普通なら、街は跡形もなく壊滅するはずだ。しかし何故、残骸とはいえ建物が残っているのか。何やら重圧を感じ、私は背後に目を向ける。放り投げた杖を、即座に拾いあげながら。


「そ、そんな……。どうして、そんなはずは……」


そこに聳え立つ神殿。経年劣化による崩壊の跡はあるものの、そこにあったのは一切の破壊の痕跡がない神殿だった。よく見てみれば、それは蒼い何かに覆われて。そこに存在している。そしてその蒼さが濃くなる方向に、私の目が自然に向けられる。


「どうして、貴方が……」

「……何が、大魔術だ。あの人のただの魔術の方が、もっと規模も破壊力もあったぞ」


杖を掲げ、確かにそこに立つ男。確かに超えたはずのその男は、まるで私の前に聳え立つ壁のように、そこに存在していた。目の前の男、スクラは口を開く。


「不思議、って顔だな。当然のことだ。君には理解など出来ようはずもない。……諸君、答え合わせの時間だ、動ける者だけ出てきたまえ」


その言葉と共に、急に発生した蒼い光と共に何人かの男が姿を見せた。それらは、先ほどまでインフェリオンと戦っていたはずの戦士たち。そんな奴らの首元には、蒼く輝く結晶が飾られていた。その装飾品に、私は見覚えがあった。……見覚えしかなかった。


「……スクラ! 貴方は、まさか!!」

「ああ、そうさ。君の持ち込んだ物を再利用させてもらったぞ。透明化の理論なら、過去に確立させたものを利用し、それをそのまま上書きした。基本的な理論は同じだったから、思いの外すぐに終わらせることができたよ。君も、いい線行っていたじゃないか」


ニヤリと笑ったスクラの首元には、戦士たちと同じような蒼い装飾品が輝いていた。それはインフェリオン達に持たせていた時以上の光を放っていた。その姿に、私は謎の重圧を感じた。


「それともう1つ。君に教えておこう。昔のよしみだ」


スクラの掲げる杖の光が増す。眩しさすら覚えるそれから目をそらして、私は思わず上を向く。……そしてその先に見えたものを理解した瞬間、酷く後悔した。そうか。先ほどから感じていた、この重圧は……。


「空が、落ちてくる……!?」

「君に教えておこう。不完全ではあるが、本物の大魔術というものをな。受け止められるのなら、挑んでみるといい。落ちてくる空そのものを、受け止められる度量が君にあるのか! 散りゆく命の中で試すがいい!!」


「これぞ俺の大魔術!! 『蒼天墜そうてんつい』!!」


先ほど感じた空の蒼さ。それが一塊となって私に向かって落ちてくる。その蒼さが近づくたび、私の感じる重圧が強くなっていく。それを前にして、私は動けずにいた。しかしそうなる前に杖を咄嗟に構え、少しでも重圧を和らげるために天素の膜を展開する。


「……そういえばプリミラ。君は、昔から特別になりたいだの何だの言っていたよな」

「……そうよ。私は何よりも特別な存在になるの! だからこんなところで、私はまだ……!」


スクラの言葉に、私は必死に噛みつく。これはもう意地だ。こうでもしていないと、私は自身を保てそうにない。展開している魔術は、有効なようには思えない。必死で地面を踏みしめる私の足元が何処か水っぽい。恐る恐る下を見てみれば、そこには真っ黒な粘液が散らばっていた。よく見てみれば、その粘液に混じって粗い毛のようなものが見える。


「インフェリオン達……! 最後まで、使えないケダモノ共だったわね……!」

「そんなことを言っている場合なのか? 君もいずれこうなるんだぞ?」


スクラのその言葉と共に、私にかかる重圧が強くなる。私の足元に、ヒビが入り始めた。


「特別になる、だったな。……それは叶わないし、それを許すことはできないな。君は、罪を重ねすぎた! だからここで君は終わるんだよ!」


毅然と言い放つスクラ。その言葉と同時に更に強くなっていく重圧は、私に膝を付かせるに至った。私は、死ぬのだろうか……。その思いがよぎった瞬間、私の脳は何よりも強い拒否感で支配された。同時に、構える杖の先端にあるペイルベリルの塊に、亀裂が走る。


「嫌だ! こんな、最期なんて!! 私は特別で、唯一であるべきなのに!!」

「それは叶わないし、許さないと言っただろう! 周りの獣共のように、君は有象無象と仲良く挽肉がお似合いだ!!」


重圧と共に放たれるスクラの言葉。もう何度目かもわからないそれは、私の脳内を拒否感から恐怖に塗り替えた。そしてそれによって私の目から何かがあふれ出す。地面に滴るそれは黒と僅かな蒼が混じっていたものの、紛れもなく涙だった。


「嫌だイヤダイヤダ!! 誰か助けてよ!! みんな私を特別だって、愛してくれていたのに!!」


みっともなく、情けなく。そんな言葉が自然と出てきてしまう。既に意識も遠くなりはじめ、身体中の骨が砕けつつあるのを感じる。そして遂には、ペイルベリルが粉砕されると共に私は地面に倒れ伏す。もう、これで終わってしまうのだ……。嫌だなぁ……。どうして私は、こんなことになってしまったのだろう。本当に欲しかったものさえ、手に入れることができなかった。……こんなことをしていれば、手に入らないのも当然なのかもしれない。私は遠くなり、砕けゆく感覚の中で意識を手放した。


「……さようならだ、プリミラ。……俺の、最初の弟子よ」


重圧が解けた街にて密かに放たれたその言葉は、誰に届いたのかも定かではなく、虚空に溶けてなくなった。


 殆ど廃墟同然と化してしまったこの街では、戦士たちが慌ただしく走り回っていた。そんな彼らを指揮しているのが、杖を地面に突いて支えにして立っているスクラだった。


「動ける者はこれ以上いないか!? 怪我人はまだ多い! 俺の応急処置にも限界があるぞ!!」

「スクラ殿! 別の区域を担当していた者たちを呼んできました! ですがこれで全員です!」

「スクラ殿の部屋から治療に使えそうな物をありったけ持ってきたぞ! これでどうにか時間を稼ぐんだ!」

「……勝手に俺の部屋に入ったことはこの際許す。よくやった! 使い方は知っている者に聞け! この処置が終わったら次に行く!」


ここにいる、ほぼ全員が怪我人だ。しかしその中でも動ける者たちが、助けられる命たちを必死で繋ぎとめるために駆け回っている。スクラはそんな中で、蒼さが抜けつつある神殿に目を向けた。と思えば、近くにいた戦士の1人に声をかけた。


「……ところで、神殿内の市民たちは無事か?」

「え? ……ええ。市民たちに怪我人は1人たりとも確認できていません。……守り抜いたんです」


そのことにほっと胸をなでおろし、しかしその直後には駆け回る戦士たちに視線を向けなおす。


「今度は、彼らを救わないとな。……命を賭して街を救ったのだ。助かる権利はあれど、死ぬいわれなどはあるはずもない」


こうしてスクラは、再び杖を掲げて治療を再開した。苦悶の表情を浮かべながらも、彼の杖は輝きを更に増したのであった。


 治療があらかた終わり、スクラは疲労をひとまず端に置いて、とある場所に向かった。額に脂汗を浮かべ、腹部の傷の治療もまだ済んでいない身体ながらも、その足は確実な歩みである場所に向かっていた。そして彼が辿り着いたのは、ついさっきまでの戦いの跡地。乾き始めている黒い粘液に、微かに混じる毛の痕跡。それらを意に介さずに歩みを進めるスクラは、ある一点で足を止めた。そしてそこに落ちていた棒状の物を見つけると、それを拾い上げた。既に砕けつつもある程度の形を残しているそれは、その割れた面から僅かな蒼さを覗かせる白い陶器の破片だった。


「……馬鹿だな。俺を超えるとか言っておきながら、使っているのは俺の渡した物じゃないか。そんなことで、俺を超えられるわけがないだろうに」


破片を握りしめたまま、スクラは空を見上げる。時刻通りに朱に染まるその空を見上げ、そこから流れるように視線を遠くに移す。


「リトス……。俺はここで待っているから、もっと話したいこともあるから……。だから無事で、帰ってきてくれよ……」


その目線が向けられた先、遠くに見える王城を見つめるスクラは、そこにいる自身の愛弟子への想いを零すのだった。空は、もうすっかり蒼を排除していた。

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