26.灰獣、強襲、明星君臨

 かつて、ペリュトナイには魔術の研究所があった。そこの所長を務めていたものこそ、魔術国アルカドラ出身の古き魔術師、スクラである。


 リトス達の戦いから少し離れ、ここはペリュトナイの抵抗派たちの街。かつて『神託街マディス』と呼ばれたこの街には、戦う力を持たない市民たちと、有事の際に街を守らんとする戦士たちが残っており、緊迫した空気が流れていた。無理もない。これはペリュトナイ始まって以来最大の危機なのだ。各々がいつ戦いが終わるともわからない不安を抱えながら、神殿跡に身を寄せ合っていた。そんな彼らを守る戦士たちは、万が一、それ以上のことを念頭に置いて、緊迫した空気の中で警戒を緩めない。


「偵察隊からだ。街の外部には怪しい影は一切ないそうだ。神殿内にいる市民の様子はどうだ?」

「偵察隊に伝えてくれ。市民たちはおとなしくしている。皆不安に思ってはいるが、これといった騒ぎは起こっていない」

「ああ。なら問題はない。伝えてこよう」

「そうだ忘れていた。これを、彼らに持っていってやってくれ。スクラ殿からだ」

「わかった。……特製携行食か。彼らも喜ぶだろう」


見張りの戦士から複数個の包みを受け取り、伝令は足早にその場から去っていった。ある程度の安全が保障されている街の中でも、彼らは普段と同等の真剣さで仕事に臨んでいる。普段のように街の平和と秩序のために、彼らは警戒を怠らない。それは、間違いなく素晴らしいことだ。セレニウスが見ても、納得のいく仕事ぶりだろう。それが、普段と全く変わらなければの話だが。その始まりは、数人だけが気付いた小さな違和感だった。


「……ん? 何か聞こえないか? こう、炎が燃えるみたいな……」

「炎だって? 何を言っているんだ。今こうして外にいるのは俺たちだけだぞ? それにこんな街中で炎だなんて……。普通に危ないじゃないか」

「いやそうなんだけどさ……。ほら、ちょうど伝令が向かった方から、やっぱり聞こえないか?」


音を聞いたという男が、伝令のいる方向を指さす。しかしその先には特にこれといったものはなく、炎のようなものなどあるわけがなかった。


「何もないじゃないか。きっと疲れているんだな。お前昨日からずっと仕事していただろ? ほら、皆には言っておくから休んできていいぞ」

「……絶対に気のせいじゃないと思うんだけどなぁ」


そうして不満そうに、音を聞いた男が後ろを向き、仕方なさそうに詰め所に戻ろうとしたその時だった。


「う、うああああ!! ど、どうして、ゴッ、おオ、オ……」


突如聞こえた悲鳴は、すぐに籠ったような断末魔に変わり、水っぽい何かが落ちる音とともに戦士たちの耳に届いた。それを聞いた瞬間に、戦士たちは全員更なる警戒を露わにした。


「今のは伝令の声……! 一体何があったというんだ!?」

「やっぱり……! あの音は気のせいじゃなかった! 絶対に何かがあるんだ!」

「落ち着くんだ! よし、少数で様子を見に行くぞ。残りはここで待機! 警戒を怠るなよ!」


腰に提げた剣をいつでも抜き放てるように柄に手を添え、3人の戦士は悲鳴の聞こえた場所に向かった。彼らの抱いた違和感の答えは、すぐそこにあった。血の匂いが立ち込めるその場所は、当然ながら赤く染まっていた。しかしそれだけではなかった。


「これは……! 蒼い……。天素の色だ……!」

「まさか、これをやったのは魔術師か!?」

「……それだけじゃない」


胸に大きな穴を空け、驚愕の表情を浮かべて事切れている伝令。彼の周囲に浮かぶ蒼い靄は、紛れもない魔術のそれだった。しかし同じく胴体に付いた大きな裂き跡は、それなりに魔術のことを学んだ彼らでも知らないものであった。明らかに、それは魔術によるものではなかった。しかしそれを妙に思った理由は、それだけではない。


「この跡、明らかに魔術のものではないはずだ…。だが、この微かに残る蒼は…」

「しかし……。斬撃系の魔術であればもっと綺麗な跡になるはずだ。それに魔術であれば、もっと天素の痕跡が残るはず……。これは、一体……」

「……! まずい! お前たち、後ろだ!!」


咄嗟に後ろを振り返る3人。しかしそこには何もおらず、そして振り返った彼らに返事代わりに返ってきたのは、鋭利な蒼い結晶の雨と虚空から飛ぶ一撃だった。


 惨憺。この言葉ほど、今の状況を表すにふさわしい言葉はないだろう。姿の見えない何かにより守護にあたっていた戦士たちの傷は深まるばかり。そしてどこからともなく降り注ぐ結晶の雨は、徐々にではあるが確実に、ペリュトナイ側の戦力を削ぎつつあった。


「決して守りは手薄にするな! 市民たちは死んでも守り切れ! そして…、死ぬんじゃないぞ……!」

「はい……! しかし、これはまずい……!」


降り注ぐ結晶は、どうにかして防ぐことができていた。ここで真の脅威となっていたのは、どこからともなく飛んでくる不可視の一撃だった。その一撃は鋭く深く、的確に刈り取るように襲い掛かってきていた。


「クソ……! こんな時に、スクラ殿がいれば……!」

「ええ、本当に! 本当は貴方たちの相手なんてしたくないのに! だからさっさと死んでしまいなさい!!」


戦士の1人の吐き捨てるような呟き。本来それにかえってくる言葉など無かったし、発した本人もそういった返答を求めていたわけではない。しかしそれらとは裏腹に、どこからともなく言葉が返ってくる。それが発せられた方向に目をやる戦士たち。まるで雲のように浮かぶ、蒼い靄の塊。当然のようにその上に立つのは、ペリュトナイでは異質な修道服に身を包む、灰色の毛並みを持つ獣人。それが持つ杖からは、深い紺色の光が放たれていた。


「一体どこに……! 何処にいるの!? スクラ!!」


プリミラの誰に向けるでもないその咆哮が響くとともに、彼女が発する光が強くなる。それと同時に、街のいたるところで獣の咆哮が轟いた。


「姿の見えない、獣だと……!」

「姿さえ見えれば……! このカラクリをどうにか解き明かして…!」

「貴方たち如きではそれは不可能! 私がインフェリオンに施したトリックを破れるのは、私ともう1人以外あり得ない! さあ! 姿を現しなさい! スクラ!!」


相も変わらず上空から、プリミラの声が街中に響く。それに呼応するかのように、降り注ぐ結晶の勢いはさらに増していった。


「報告! 偵察隊が援軍に来ました!」

「何……!? 外部の監視はどうなっている!?」

「それが……、外部どころか、前線の脅威すら確認できなくなったとのことです!」

「どういうことなんだ……。……だが今は何でもいい! 少しでも希望があるのなら、それで!」


「……いや、本当にどういうこと?」


下での戦士たちのやり取りを聞き、プリミラは微かな疑問を抱いた。彼女の作戦とは別の場所、王城周辺とマディスの中間点では、双方の大隊同士がぶつかり合っていた。彼女の見立てとそれに基づいた作戦では、その戦いにおいて投入される『ある戦力』によって、獣の戦線がマディスに押し寄せる手筈だったのだ。しかし、この話について語られるのは、少し先のことである。今は、目の前のこの戦いに集中していただこう。


「まあ多少人数が増えたところで、この状況を覆せるとは思えないけど。とりあえず私も、もっと降らせるとしましょう」


直前まで抱えていた疑問をすぐに放り捨て、プリミラは杖を掲げて光を更に強くした。街に降り注ぐ、赤を生み出す蒼の雨。それは時に不自然に軌道を変えながら、いたるところに降り注いだ。


「これは、凄まじい勢いだ……!」

「……しかし、どうして獣どもには結晶が当たらないんだ? これだけばらまいていれば、当たってもおかしくはないだろうに…」


降り注ぐ結晶を、不可視の獣を、戦士たちは防ぎ、避け続けていた。しかしそれにも限界があった。止まらない猛攻に、戦士たちは1人、また1人と地面に倒れ伏していった。それに満足げに、プリミラは1人嗤っていた。


「はあ……。少ししぶとかったけど、これでやっとじっくりスクラを探せそうね。……インフェリオンたち! 片付けが終わったら、自由にしていていいわよ!」


さも勝利宣言と言わんばかりに指示を飛ばし、プリミラは自身の乗っていた靄を霧散させ、ペリュトナイの大地に降り立った。


「もう何もかも終わりね……。案外あっけなかったけど、まあどうでもいいわ。さて、スクラはどこに……」


「俺を探してるのか? だとしたら、ここに来たのは正解だったかもな……! 照らせ! イスティクハーラ!!」


プリミラの背後から、男の声がした。その声が聞こえると同時に、激しい光が辺り一帯を眩く照らした。そしてしばらくの後に、光が収まる。


「なっ……! これは……!」

「まさか、スクラ殿か!?」


光が収まった、街の戦場。そこには先ほどまで姿が見えていなかった大量の獣人がおり、そしてそれらの体には、蒼い結晶で彩られた装身具が身につけられていた。


「やっぱり……。そういうことか。戦士諸君! 後は君たちの仕事だ! 姿が見えるのなら、君たちの敵ではないだろう? ……さて、それでは答え合わせの時間と行こうか」


獣たちの姿を暴いたことで、再び士気を取り戻し戦い始める戦士たち。そんな彼らをよそに、スクラとプリミラは対峙した。


「獣たちが身に着けているあのアクセサリー。アレは昔俺の研究所で作っていた試作品だったな。確か効果は、対魔術師用の天素バリアを張る、といったところだったか。それに独自の方法で、光の屈折で周囲に溶け込む機能が付けられているようだ。……何とも稚拙な出来だな。一見すればよくできている。しかし俺がこうして光を放つだけで、どうだ。天素によらない光を浴びせるだけで、簡単に不具合が起きているじゃないか。ろくな検証もしないで、本番に出したのだろう?」


激流のように流れるスクラの言葉。それを受け、プリミラは何を言うでもなく、ただ黙って拍手をスクラに贈った。


「……ええ。そうよ。貴方はやっぱり、……本当に、貴方って人は!! スクラ!!」

「愚かな旧知を止め、街を守るためだ! 久しぶりに君の魔術を見ようじゃないか! プリミラ!!」


片や、灰色の獣。片や、蒼を纏う片眼鏡の魔術師。かつてペリュトナイにおいて魔術の才を発揮した2人が、ここにぶつかり合うのだった。

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