19.崩壊、咆哮、意志放免

補習の時間

講師:セレニウス


 時間が無いから手短に済ますわね。第2回はこのペリュトナイについて。今回はこの街の名前の由来について話しておく。このペリュトナイという名前は、もう800年以上前に訪れた学者先生がつけたの。何でも、ここで不思議なものを見たみたい。ほら、あの鹿の頭に翼が付いた…、サクリ…、何だっけ? まあいいや。それを見た学者先生がそれを『ペリュトン』って呼んでいるのを聞いたんだ。どうやらそいつはここにしかいないらしいから、ちょうどこの場所を現すものとしてこの街の名前になったってわけ。ペリュトン、が転じてペリュトナイ、っていった具合にね。それじゃあ今回はこれで終わり。これから大事な戦いが始まるから。しばらくはこういったことは出来ないと思う。それじゃあ、また生きて会おうね。


 ペリュトナイを、陽の光が明るく照らす。そんな真昼のペリュトナイの大通りには、様々な面持ちの戦士たちが集っていた。ある者は目前に迫った戦への闘志を、ある者は戦への恐怖を、ある者は覚悟を決め冷静に。そんな彼らの目は、ある一点に向けられていた。


「あー……、あー……。ちゃんと届いてるね? 聞こえてるね? ……よし」


街中に声を伝えるべく建てられた伝声用の塔の二階にいるセレニウスの声が、彼女の手にした拡声機から響く。そしてそれが響いた瞬間に、街は一斉に静寂に包まれた。


「……ついに、この日がやって来た。私たちがこの支配から脱し、かつての平穏を手にする時が来た」


集う戦士たちの表情は、一色に統一されつつある。闘志が燃えていた者も、恐れを抱いていた者も、冷静さを帯びていた者も、皆がセレニウスの話に聞き入っている。


「これまで私たちは多くのものを失ってきた。……幼いころの思い出がある街を、意思を共にした友人を、そして愛を分かち合った家族や恋人を、失った者は多いだろう」


何処かからかすすり泣く声が聞こえる。いかに戦う力を持っていても、彼らの精神は正常な人間そのものである。正常な人間に、失った大切なものを簡単に割り切ることなど出来るだろうか。


「……このような事態、私の生きてきた長い人生の中でもそうそうあったものではない。…特に故郷で起こったという点でいえば、これは史上最悪の出来事だ。そしてこの状況を当たり前のものとしているこの現状が、私は何より嘆かわしく、残念だ」


セレニウスの拡声機を握る手が微かに震えている。いかに超人的な力を持ち、長い年月を生きてきた彼女とて、まだ人であることからは脱していない。故に彼女の中には、これまでずっと怒りの炎が燻り続けていた。


「しかし、この状況は今日で終わる。終わらせなければいけない。そしてそれを可能とするものを、我々は手にした! その立役者となったのは他でもない。……リトス、前へ」


戦士たちが、その周りに集っていた群衆の一部がざわつく。セレニウスに代わり皆の前に立ったその少年を、知っている者は意外にも多い。しかしそのほとんどが、決して良い意味ではなかった。


「あの少年は……? なあ、知ってるか?」

「ほら、あれだよ……。捨てイシの……」

「ああ、件の……。たしか追放が決定したと聞いていたが……」

「何のつもりだ? セレニウス様も……」


口々に、様々な言葉が飛び交う。そのほとんどが疑いの言葉として発信されている。それを意に介すでもなく、リトスはセレニウスから拡声機を受け取った。そして群衆のざわめきがある程度収まったところで、口を開く。


「……僕のことを知ってる人も、そうでない人も、今だけは僕の話を聞いてくれると、ありがたいです。こうして皆さんの前で僕が話せる、最初で最後の機会だと思うから……」


多少のざわめきは残っているものの、リトスの話は十分に通る。何より、セレニウスの名のもとに行われる演説という点が、大半の者を納得させていた。


「知っている人は知っているとは思うけど、僕はこの街の出身ではありません。ここに来てまだ数か月しか経ってないような、よそ者です。何なら僕がどこから来たのかもわかりません。それに僕は最初、ただいるだけだった。いるだけいて、何もしない。そんな僕に貴方たちはこの『リトス』っていう名前を与えました。……貴方たちの意思がどんなものであったかは知りません。でもこの名前を与えてくれたっていう意味では、僕は貴方たちに感謝しています」


もうこの段階になると、誰も何も言っていなかった。リトスの想いは、彼らに通じつつある。それはこの状況を見れば明らかであった。


「……全部どうでもいいだなんて思っていた。善意を拒んだ。……そんな僕を、受け入れてくれた人もいました。僕はそれが、すごく嬉しかったし、同時にすごく申し訳ないことだと思いました。このリトスっていう名前も、何の悪意も無しに呼んでくれた。……そんな名前を与えてくれたこの街に、僕は恩を返したいと思っています」

「リトス……」


横にいたセレニウスの言葉は広まらず、リトスにだけ届く。彼女の中にあったリトスの像はか弱く、儚い存在であった。しかし今はどうだろうか。確かな意志を持ち、多少なりとも戦う力も持っている。あの時必要だった守りも、もう彼には必要ない。逆に彼自身が誰かを守る立場となっている。それが、彼女としてはたまらなく嬉しいものであった。


「……ありがとう、リトス。……さて、そんなリトスたちの活躍によって、今回の作戦に使う進軍ルートの確立を成し得た。……これまで出来そうで出来なかったことを、彼は成し得たの。……不思議なことに、彼が来てから事態が好転しつつある。……裏切り者のプロドも、リトス達の活躍で炙り出すこともできた」

「プロド様が……?」

「……怪しいと思っていたが、まさか……」


群衆の一部が、再びざわつき始める。プロドの裏切りの発覚は本当にさっきまでの出来事だったので、それを知っている者はまだ少なかった。


「……言いたいことはわかる。でも今はそれよりも作戦のことを考えて。……今から3時間後、それぞれの所定の位置に集合。それまでに作戦の概要について頭に入れておいて。……これを、最後の戦いにするために、絶対に勝って、生き延びよう!」


セレニウスはそう締めて、檀から退いた。それからしばらくしても群衆のざわつきは鎮まる様子はまだない。しかししばらくすると、1人、また1人とその場を離れ、残るは数える程度となった。


「……お疲れ様ですセレニウスさん。……リトスもな」

「……ふう、緊張した。やっぱりこういうのは慣れないなぁ」


文字通り肩の荷が下りたかのように、セレニウスが肩を解すように回す。先程までの迫力は、もう残っていなかった。


「……セレニウスでも緊張するんだね。意外かも」

「そりゃそうでしょ。誰にだって苦手分野はあるよ」


親しげに会話を重ねながら、2人は塔から降りていく。そして塔から出た2人の前に、複数人の人影があった。


「……貴方たちは。……どうか、しましたか?」

「……お前、……いや、リトス。君に話したいことがある」


それは、この場に残っていた群衆の一部だった。彼らは複雑な表情をしており、何かがつっかえているような様子だった。


「貴方たち……」

「すみませんセレニウス様。……すぐに終わらせますので」


彼らの中から代表して、30代ほどの精悍な面構えの男が申し出る。


「……先に行ってるから。リトス、終わったらスクラのところに行ってね」


その様を見て、セレニウスは先に進んでいく。その際に、彼女は彼らに顔を向けた。その表情はリトスには見えなかったが、それを見た彼らは何処か引きつったような表情をしていた。


「……それで、話って何ですか?」

「あ、ああ……。……これは、今ここにいる俺たちの総意、そう捉えてくれてもいい」


そう言うと、男は一呼吸おいて深く頭を下げた。それから少し間をおいて、彼の後ろにいた者たちも続いて頭を下げた。


「これは、どういうことですか? 」

「……俺たちはプロド様の下で動いていた。その中で、君を追放するように進言したり、そういった風潮にしていたのが俺たちだ」

「今更、そんなことを言われたって……」

「ああ、分かってる。今言ったところで君の状況が変わるわけでもない。でもこれを言わないと、俺たちは君との確執を抱えたまま生きることになる。それに、そんなことまともな人間として許されることじゃない。……本当に、自分本位でどうしようもない理由だが、この場で君に謝罪することを許してほしい。……本当に申し訳なかった」


彼らは頭を下げ続ける。リトスはそれを怒りでも恨みでもなく、ただ黙って見つめていた。そして、ぽつりと口を開く。


「……頭を、上げてください。僕は、もう貴方たちをどうかしようだなんて思ってません。……さっきも言いましたが、僕はこの街の者じゃありません。……いずれはここから出ていくべきなんだ。……でもこの街の人たちは、みんな優しいから。僕はそれに甘えて旅立つことが出来ないかもしれない。……そのきっかけをくれたって考えれば、僕は貴方たちに感謝するほかありません」

「……リトス。君は、優しいな。だが、俺たちもこれで救われた。……ありがとう。……この戦い、絶対に共に生き延びよう」

「……絶対に、勝とう」


リトスは、どうしようもなく優しかった。この状況の当事者となれば、誰しも少なからず悪意じみたものを抱く。しかし彼の中にそんなものは微塵もないのであった。それは彼の生来の優しさ故か、それとも彼がどこか未熟な故か。それは誰も、彼自身も知り得ないことであった。


『勝利』と『生存』という2つの点において、ペリュトナイは1つになりつつある。『戦士よ、勇猛たれ。しかしてその命、失うことなかれ』。その思想の下、戦士たちだけでなくすべての民衆が覚悟を決めている。そしてそれは、『彼ら』のペリュトナイも同様だった。


「我が親愛なる同志諸君よ! いよいよ決戦の時が来た! 今日、この日。我々は最後の混沌を平定し、ペリュトナイに真の秩序をもたらすのだ!! そしてその先、我らがペリュトナイは広がり続ける! アトラポリスを崩し、ビルガメスを落とし、そして最後にはあのゼレンホスさえも! ここで立ち止まるわけにはいかんのだ!! 同志、獣共よ! ここで命を散らそうと、その進撃を決して止めるな!!」


エリュプスの声が力強く轟く。それに呼応するかのように獣のボルテージは最高峰に達し、空気を崩すかのような咆哮が響いた。双方が理解している最終決戦。それを前にして、互いの闘志は燃え上がり、それはまるで大山の噴火のようであった。

決戦は、ここに迫っている。


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