20.黒風、疾風、意志鳴風

 ペリュトナイにおいて、月と風は特別な意味を持つ。月は言わずもがな街の守護者たるセレニウスに由来する。そしてもう一方の風は、神話にて語られる『嵐の魔王』と呼ばれる風神に由来している。


 廃墟の平原を、一陣の蒼白い風が翔ける。それを纏うように共に駆けるのは、能力によって加速したアウラと、それに必死で掴まっているリトスだった。彼の手には杖が握られており、蒼白い風はここを中心にして発せられていた。


「すごいですよリトス! 良い風です!」

「それは……、なに、より……」

「しかし、セレニウス様とスクラさんもよく考えましたね! これで、いつでも私の能力を十分に使うことが出来ます!」

「……」


尋常ではないアウラの速度に流されながら、リトスは数時間前のことを思い出していた。


 戦士たちは出撃を目前に控え、各々が緊張と共に行動している。ある者は自身のすべきことを繰り返し確認し、頭に叩き込む。またある者はあえて普段通りに振る舞うことで、平常心で作戦に臨もうとしている。そんな中でリトスは、スクラの部屋にいた。そこには部屋の主のスクラだけではなく、アウラとセレニウスも待機している。


「単刀直入に言うね。リトス、アウラ。貴方たちは私の部隊として動いてもらう」


唐突に告げられたその指令は、2人にとって衝撃的なことであった。


「まず貴方たちには___」

「ちょ、ちょっと待って!」


思わずリトスがセレニウスの言葉を制止する。彼には分らなかった。戦力としては不十分である自分を、セレニウスの部隊として起用するのかが。


「説明の途中なんだけど……」

「すみませんセレニウス様! でも、何故私たちを……」


話の腰を折ったことを一応詫びながら、アウラも問いを投げかける。リトスと同じように、彼女もわかっていなかった。


「……流石に説明してあげてください。2人とも戸惑ってますよ」


見かねたスクラが助け舟を出す。それを聞いてセレニウスは一息つくと、2人の肩を軽くポンと叩く。


「……まあ流石に理由も無く起用したりしているわけじゃないことを、まず覚えておいて。それにこの本命部隊は、貴方たちが適任なの」

「適任……?」

「まあ、これは貴方たちのするべきことの内容にも関わってくるから、説明を並行してやっていくね」


作業に戻ったスクラを尻目に、セレニウスは腕を組んで話を始める。


「まず貴方たちにしか出来ないことっていうのは、能力を使って戦うこと。前にも言われたかもしれないけど、能力っていうのは本当に貴重なの。それこそ、このペリュトナイにはここにいる4人しか能力者はいない。それに作戦が始まった後、作戦に参加できる能力者は貴方たちしかいない。スクラは街の防衛と負傷者の保護に回るからね」


目線を向けられたスクラは包帯に天素の粉末を振りまいて、杖をかざしている。それがかつて世話になった療布であることを、リトスはなんとなく気付いていた。


「それに今回の作戦には、アウラの能力が必須になる。貴女の能力は加速。それも風に乗って更に速度を増す特別なもの。でも風が常に吹いてるだなんて限らない。そこで、リトスの出番。貴方は能力もそうだけど、魔術師としての側面が大きく役立つ」

「魔術師として……。でも僕の魔術はまだ未熟も未熟……」

「いや。そうとも限らない」


遠慮がちなリトスの言葉を、スクラが作業の手を止めて、割って入って訂正する。


「君の魔術は、というより君の天素操作の出力はかなりのものだ。君が天素を励起させたとき、風が巻き起こっただろう? 励起でアレが出来るというのは、中々にすごい事なんだ」


それだけ言うと、スクラは再び作業に戻った。今度は粉末を水に溶かし、出来た液体に魔術をかけた。それが少し前にリトスに持たせた治療薬であることを、彼は気にしている場合ではなかった。


「さあ思い出してみて。アウラの能力は、風があると更に加速できる。そして貴方は天素の励起だけで風を巻き起こせる。つまり貴方がアウラの傍で天素を励起し続けるだけで能力を行使するために十分な環境を作ることが出来るってことなの!」

「そ、そんな天素の使い方を……?」

「確かに……。それなら私も十全に走ることが出来ます!」

「うんうん。まあ貴方たちを起用した理由はこれでわかっただろうから、これから作戦について説明するね。最初、貴方たちには遠征の本隊に混ざって動いてもらう。その進軍の中で十中八九獣の群れと鉢合わせることになる。そこからが、貴方たちの本命の仕事。アウラの能力でなるべく早く戦線から先に進んでもらって、ある場所に向かってほしい」

「ある場所……?」

「ええ。そこで貴方たちにやって欲しいことがある。……そこに私が到着するまでにね」


苦い顔をするセレニウス。それは何か言いにくいことを詰まらせているかのようでもあった。しかし、それを言わねばならないのが今であり、彼女である。

「そ、それは……?」

「……それはね_____」


「……まさか、あの大きい獣を探し出して、それを相手に時間稼ぎだなんて」

「とてもじゃないけど、私達だけでは成し得ないようなことです」


アウラの速度に慣れてきたリトスは、もうある程度話ができるようになっていた。天素の励起も、すでに安定しつつある。


「……でもあの獣が持っていたあの大剣は、セレニウス様にとって大切なものです。……それにあの剣を失ってから、セレニウス様の戦いのキレが悪くなっていました。この戦いの勝利を確実にするために、これはとても重要なことです」


建物群が見え始めたあたりで、アウラの速度が徐々に落ち始める。速度が落ち着いてきたところでリトスは地面に足を付き、必死にその速度に合わせて足を動かしている。そして完全に街に入り始めたところで、アウラは停止した。


「ふう……。良い風でした。……さて。この辺りから探索を始めましょう。……リトス、大丈夫ですか?」

「……うん。励起に集中してたら前よりはどうにか大丈夫」


そして一息もつかずに、2人は真昼の廃墟の奥へ進んでいく。高い建物が並び立つかつてのペリュトナイの中心街は、日が照っているこの時間帯でもどこか暗かった。


 この時間帯にしては暗い廃墟を2人は進む。しかし彼らが周りを見ても、彼らが捜す巨躯の獣人はおろか、獣の姿も見えなかった。


「……何処にもいないね」

「……何も見つかりませんね」


『……』


僅かに光が差し込むこの廃墟は、敵地だというのに不気味なほどに静かであった。何かあるとしても、気にもならないほどの僅かな物音だった。


「ここも、少し前までは賑やかな場所だったのかな?」

「ええ……。でも、これからまた賑やかになりますよ」

『……___』


かつての光景に思いを馳せながら、2人は廃墟を進む。何かが聞こえるような気がするが、それを彼らは風の音と考えて気にしていなかった。


「……ねえ、そろそろ気になって来たんだけど」

「……そうですね。…やっぱり何か聞こえてますよね」

『_______』


……そして、先ほどから膨れ続けていた違和感の風船はここに来て破裂した。遠くから、この奥から、何かの声が聞こえる。


「……耳を澄ませよう」

「……はい。何か、呼びかけているような…」

『____-い……』


確実に、遠くから何かが呼びかけている。そしてその声に、2人は何処か覚えがあった。


『リト__……、ア__ラ……。こっち____』

「これって……!」

「私たちの名前を……。まさか!」


堪らず、2人は走り出す。その声は、彼らの名前を呼ぶその声は、思ってもみなかったことだった。近づくにつれて、声ははっきりと聞こえてくる。


『リトス……、アウラ……。こっちだ……。助けてくれ……』

「そうだやっぱり! この声は……」

「……ッ! カルコスさん!!」


その声が聞こえるのは、光が差し込む古い闘技場跡地。かつてペリュトナイの象徴として街の中央にあった、古き戦士たちの生きる地である。どこか弱々しくもはっきりと、そこからは確かにカルコスの声が聞こえた。少年たちは光へと向かう。誘われたその果てに、何があるのか知ることは無く……。

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