8.漂流、飄逸、意志氷解
あらゆるものが、この世にて名前を持って存在している。その名前に誇りを持って、生を全うしている。ああ、だからこそ、『メガロネオス』。その名に恥じぬ、勇敢なる成長を遂げよ。
赤い光の差し込む見覚えのない空間で、僕は目覚めた。いつの間にか木の椅子に座っており、服装も簡素な布製の物から、拘束服のようなものに変わっている。その上から6本の鎖が僕を硬く拘束しており、そして目の前には僕と同じぐらいの年頃の少女が立っていた。
「ああ、やっと目を覚ましたんだね。……大丈夫?」
「……アウラじゃない。君は、誰?」
「まあまあ、そう焦らないで。ひとまず、やることは先にやらせてもらうね」
見覚えのない少女に正体を問うが、少女はそれに答えず、縛り付けている鎖の1つに触れる。鎖が僅かに動く音がしたかと思えば、その直後に鎖が朽ちて床に落ちた。
「悪いけど私にできるのはここまでかな。後は他の人を頼ってね」
「だから、君は誰?」
「ん? 1回会ったことあると思うんだけど……。忘れられるって悲しいなぁ……。思い出すまで教えたくないなぁ。でもこれからの付き合いも長いし……」
わざとらしく困り顔を浮かべる少女は、あることを思いついたのか、これまたわざとらしくハッとした表情になる。
「まあ仕方ないから私の名前を教えておくね」
少女が何かを言おうとした瞬間に、差し込む赤光が強くなる。それと同時に、急激に意識が朧げになった。
「ああ、もう時間なんだ。まあ近いうちに会えるだろうから心配しないで。そうそう、私のことは……」
辛うじて、少女の声が聞こえる。それは別れを惜しむようにも、これからを楽しんでいるようにも聞こえた。
「『メガロネオス』。そう呼んでよ」
少女が告げたその『名前』。それを最後に、僕の意識は赤く染まった。意識が染まる間際、僕は少女の後ろに、定かではない4人の姿を見た。そして、僕は目を閉じた。
リトスが目を開けると、そこは見慣れた医務室だった。同じように、彼の枕元には、手に入れて日が浅いながらも相棒とも呼べるほどに信頼を置く紫水晶の杖が立てかけてある。しかし今回ばかりは少し様子が違った。
「……あっ、起きた」
「起きたな。……アウラ、スクラ殿を呼んできてくれ」
「わかりました。少し待っていてください」
もはやすっかり慣れた寝台の傍らに、2人の男とアウラが立っている。しかしアウラはすぐに部屋から出ていってしまった。よって、この部屋には寝台の上のリトスと、その傍らに立つカルコスとシデロスの3人だけとなった。
「カルコスさん。今ならいい機会じゃないですか?」
「そうだな……。ちょうどいい機会だ。スクラ殿が来る前に、君に言いたいことがある」
シデロスが何かを促すと、カルコスは寝台のリトスに跪いた。
「え……? ちょっと、何を……」
「先の戦い、君の力が無ければ俺は死んでいた。本当に感謝している。ありがとう、リトス」
「そんな……。頭を上げてよ。僕は出来ることをしただけだから……」
「君がどう思ってくれていても構わない。でも、動けるようになったら礼をさせてほしいんだ。いや、礼をさせてもらう」
有無を言わせないカルコスの態度に、リトスは少し迷惑そうな顔をしていた。それを見かねて、シデロスがカルコスを引き離す。
「……落ち着いて。いきなりそんなことを言われたら、誰だって戸惑います」
シデロスの、静かながらも圧がある言葉に、前のめりだったカルコスは少し下がった。
「……そうだな。すまない。だが、もしその気になってくれたら、俺たち戦士の宿舎前まで来てくれ。…俺はそろそろ行くことにするよ」
そう言うとカルコスは、「待っているぞ」と付け加えると、少し忙しそうに部屋を後にした。そんな彼と入れ替わるように、スクラを連れてきたアウラが入ってくる。
「……何かあったんですか?」
「気にするなアウラ。いつものカルコスさんだ」
驚きを隠せないアウラに、このような光景に慣れ切ったシデロスが軽く流す。
「あの、お二人さん。ちょっとリトスと二人で話したいんだ。悪いが、一旦出てくれないか?」
「あ、わかりました。シデロスさん、行きましょう」
「そうだな。……ああ、そうだ。なあリトス」
スクラに言われ、部屋を出ようとする直前にシデロスはリトスに顔を向ける。
「……どうかしたの?」
「……どんな形であれ、親切心には報いてやったほうがいいかもしれないぞ。じゃあ、また今度な」
既に出ていったアウラを追うように、シデロスも部屋から出ていった。ドアが閉まる音がするのと同時に、スクラは鍵をかけた。
「さて……。二人きりになったところで、君に言いたいことがある」
いつものように、スクラがリトスに向き直る。その表情は、穏やかであったものの、声色の端には僅かな怒りが見えた。
「さっきの戦いでは頑張ったみたいだな。カルコス氏があれほど言うのだから、よっぽどだったのだろう。その点に関しては、よくやった」
しかし彼は微笑み、リトスを称賛する言葉を投げかける。その言葉にリトスは驚き、目が点になった。
「いや……。僕は、ただ出来ることを……」
「出来ること、ね。果たして本当にそうなんだろうか」
その微笑みを崩さないまま、スクラは声色を変える。端に見えた怒気が、存在感を増してそこにあった。
「確かに今回は、君もカルコス氏も死なずにいた。それは事実だ。しかし、それは君の実力によるものではないだろう? 君が一番よく分かっているはずだ」
リトスは追想する。彼が獣人に与えた一撃も、有効打にはなり得なかった。あの時獣人が撤退していなければ、リトスは確実に死んでいただろう。
「それに、あの時の君はとても動ける状態ではなかったはずだ。……そんな状態で戦場に出れば、どうなるかなんて、君でもわかるはずだ」
静かな怒りが、燃えている。しかしそれは僅かに震えていた。
「俺は、君を死なせるために魔術を教えたわけじゃない! 俺はただ、君に一人でも生きていけるように、その術として魔術を教えたんだ! それなのに、君は……」
気付けばスクラは涙を流していた。零れ落ちた涙が、床に落ちていく。
「……いや、すまないな。少し熱くなりすぎた。まあ俺の言いたいことは一つだけだ。君は、自分を大事にしたまえ。君の意志は尊重するが、少なくとも君が生きていないと、全部無駄になってしまうぞ」
目元の涙をぬぐうと、スクラは部屋から出ていこうとする。その手には、彼自身の杖の他に、リトスの杖があった。
「……しばらくこれは俺が持っておく。有事の際には返してやる。……もうこんなことはするなよ。リトス」
「……ごめんなさい」
「……今は眠れ」
そう言って、スクラが液体の入った小瓶の蓋を開き、リトスに嗅がせる。するとリトスはゆっくりと目を閉じ、やがて静かに寝息を立てた。
「おやすみ、リトス。今度こそ、いい夢を」
リトスが寝ていることを確認した後、スクラは部屋から出ていった。こうして、リトスの初陣は幕を閉じるのであった。
活気溢れる街、その街角にある一際目立つ、宿舎と呼ばれる建物の前に、カルコスが仁王立ちしていた。その傍らには、制帽を外して暇そうに立っているシデロスがいた。2人とも戦いのときと同じような制服姿だったが、今日はその上に明らかに私服のような上着を羽織っていた。
「……あれから2日ですか。来ますかね、彼」
「一応アウラが様子を見に行っている。来るのならば共に来るはずだ」
この前の襲撃から2日が経ち、街はいつもの活気を取り戻しつつあった。重傷者は出ているものの、死傷者は誰もいない。壊された建造物の復興も、応急ではあるが一通り済んでいた。人々の営みも、今は平穏そのものだ。
「ところで、カルコスさんの槍はどうなったんです?」
「あれか……。気に入っていたんだが、同じものは『里』に行かないと手に入らないからなぁ……。暫くの代替品として、適当な槍を見繕ってもらうことにする」
「力任せにやりすぎないでくださいね。すぐに折れちゃいますから」
「わかってるわかってる」
そんな会話を交わしていると、遠くから制服をきっちりと着こなしたアウラが、リトスを連れて歩いてきた。
「……来ましたね」
「おお! 来たか!」
2人に気付いたアウラは、大きく手を振った。彼女が浮かべる笑顔は、戦場など似合わない、可憐な笑顔だった。
「カルコスさん! シデロスさん! 連れてきました!!」
彼女に手を引かれながら、リトスが姿を現す。それは少し戸惑っているようにも、何かを楽しみにしているようにも見えた。
「待っていたぞ! よく来てくれたな! さあ、ついてきてくれ!」
「グエェッ! ちょっと! どこを引っ張ってるんですか!」
リトスがやってきたことに上機嫌なカルコスは、横で帰りたそうにしていたシデロスの襟を掴んで、彼らの後ろに立つ建物へと入っていった。
「……そういえば、ここは?」
「ええっと……。ここは、私達『先陣戦士』の宿舎です。それにしてもカルコスさん。ここに集合して何をするつもりなんですか?」
リトスの問いかけに答えたアウラは、新たに抱いた自身の疑問をカルコスに投げかける。それを受け止めたカルコスは、掴んでいたシデロスの襟から手を放した。
「ああ、そういえば言ってなかったな。まずは食事だよ。当然、お前らも一緒にな」
さも当然であるかのように、カルコスが答える。その言葉に、その場にいる3人の目が点になった。
「……食事?」
「いや、食事って……」
「……どうして食事なんです?」
様々な、しかし同質の疑問がカルコスに向けられる。
「だってまだ飯食ってないだろ。何をするにも、まずは腹ごしらえからだ。それに……」
しかし、彼はその3種の質問を一言で片づけた。そして何かを言おうと、リトスに目を向ける。
「リトス。君はまともな物を食べていないだろう。いい機会だ。ペリュトナイ流の食事というものを味あわせてやろうと思ってな」
カルコスは軽くリトスの肩を叩き微笑んだ。掛値のない、純粋な善意がそこにあった。
「さあ、行こうか。今日は俺の奢りだ。好きに食えよ!」
そう言って、先にカルコスが建物に入っていく。
「奢りって……。俺ら戦士の食堂は超格安なのにさぁ……」
「あはは……。カルコスさんらしいですね……。せっかくなので、リトスも一緒に行きましょう」
呆れながらもカルコスを追うシデロスと、振り向いてリトスに手を差し伸べるアウラを前にして、リトスは呆然としていた。少し前までの自身の扱いとは圧倒的に違う、今のこの状況を、彼は半ば信じられずにいた。
「……まあ、どうでもいいか」
自分だけが聞こえる程度の小さな声で、彼は呟く。あれほど口にしていた言葉。しかしそれに含まれる思いは、あの時のそれとはまったく違った。
「……? 何か言いましたか?」
「……いいや。……僕も今行くよ」
そして彼は、差し伸べられたアウラの手をとり、彼女と共に歩を進めるのであった。
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