7.凶行、執行、意志特攻

 我は思っていた。全ての存在は、何かの意味を持って生まれているのだと。その全てが、何かに必要とされていると。我も含め、生きる民や小さな命に至るまで、その全てがそうであると、そう思っていた。


 ある男の追憶より


 獣人の身体が前方に倒れ、カルコスの首から手が離れる。


「何だ……。一体何なのだ!!」

「……まさか、助けが来るとは思わなかったな」


先程まで猛烈な殺意を向けていた対象であるカルコスには見向きもせず、獣人は振り返る。しかしそこには誰もおらず、代わりに少し離れた位置に蒼い結晶板が浮かんでいた。


「何処の誰かは知らないが……、ただでは済まさんぞ!!」


怒りの咆哮を上げ、目の前の煩わしい板を砕こうと爪を振るう。しかし板は横に90度回転し、爪と爪の間をすり抜ける。


「舐めおって……。煩わしいッ!!」


向きを変えた板に対して、横に爪を薙ぐ。板は動かない。そして鈍い音が響く。


「あ、ありえん……。この硬さは……」


横に薙がれた破壊の一撃は、しかし目の前の板1枚を砕けずに、空で静止していた。獣人が呆然としている間に、板は獣人の手から離れ、面を上に向けて静止する。そして、再び一撃を見舞う為に獣人の顔目掛けて飛ぶ。しかし、今回はいささか勝手が違う。


「阿呆が!! 正面に対応できないほど衰えておらんわ!!」


まっすぐ勢いよく飛んでくる蒼い板を、獣人は片手で受け止める。そして、今度こそ砕かんと板を握り、両手で圧力をかけて砕き割った。手からこぼれ落ちる蒼い結晶片は、地面に落ちる前に空に溶けて消えた。


「本当にふざけている……。だが、これっきりのようだな……」


獣人が見つめる先、少し離れた家屋の扉の影で、杖を片手に膝をつく少年がいた。


「やはり、件の少年か……」

「こんな小童に、我は……!」


苦しそうな少年、リトスに、獣人は怒りの表情を向ける。そしてその足で地面を蹴り上げ、リトスに近付こうとする。しかし、駆け出すその直前でその足が止まった。


「……は? いや、まだやれる。誰がそんなことを? ……そうか。ならば仕方ない」


まるで何かと会話するような独り言を、或いはその場にいない誰かとの対話だったのだろうか。しかしどちらにせよ。獣人から戦意は抜けていっていることには違いは無い。


「命拾いしたな、軟弱者共! だが次は無い……。そこの小童、首を洗って待っているがいい……! 次は必ず殺す!! 必ずだ!!」


獣人が叫ぶと、その足元から炎が激しく燃え上がる。その炎から垣間見える獣人の視線は、何よりも輝かしく、禍々しかった。そして炎が鎮まった時には、獣人の姿は跡形もなく消えていた。


「……終わった、のか?」


ふと、カルコスが空を見上げる。夜を覆っていた暗雲は空から消えかけており、人々に1日の始まりを告げる太陽が現れていた。


「カルコス! シデロス! アウラ! みんな生きてる!?」


自身を含めた複数人を呼ぶ声に、カルコスが反応する。その声の主であるセレニウスは、刀の血を払いつつ、走り寄ってくる。彼女の背後には、おびただしい数の獣人の死骸と、撤退していく獣人の後ろ姿があった。戦いは、すでに終わっていた。


「セレニウス様……。お恥ずかしい話ですが、我らは奴を狩れず、犠牲を出してしまいました…」

「そう……。でも、生きていてくれてよかった。シデロスもアウラも、気絶しているだけでちゃんと生きてるよ。」


悔しそうに答えるカルコスの肩を軽く叩き、セレニウスは倒れている仲間の生存を伝える。そんな彼女の横を、走り過ぎ去る人影があった。それは真っすぐにある一点を目指して、そこに駆け寄っていた。


「リトス! 何故君がここにいるんだ!?」


スクラが膝をつくリトスの肩を掴み、叫ぶ。しかしリトスは何も答えず、そのまま地面に倒れてしまった。


「リトス……? おい、リトス! だから言ったんだ! 君は行くなと……。それなのに……!」


行き場を失った拳を、地面に叩きつけるスクラ。そんな彼に、カルコスが声をかける。


「スクラ殿。この少年にそんなことを言わんでやってください。彼がいなければ俺は死んでいました」

「……それでも、自分のことを考えずに、命を棄てに来たのは事実です。ちゃんとわからせないと、彼の為になりません」


カルコスは倒れていたリトスを抱える。このまま放っておくわけにはいかないことなど、誰にでもわかっていた。


「取り敢えず、安全な場所まで運びましょう」


リトスを背負い、カルコスは歩いていく。そんな彼の背中を見るスクラの表情は、曇っていた。こうして、日常の始まりを告げる太陽によって、暗夜の戦いは終わりを告げた。これはこの街、ペリュトナイの、あることを望まれないながらも、しかし当然となってしまった日常であった。


 静寂に満ちた広い空間に、突如炎が燃え上がる。そしてそれがしばらく燃え盛った後に消えると、そこには巨躯を誇る獣人が立っていた。そんな獣人に、修道服の女が近づいた。


「おかえりなさい、かな。……随分苛立っているようだけど?」

「当然だ! あと少しであの軟弱者共を……」


苛立たしそうに、言葉を吐き捨てる獣人は、女の出で立ちに気付く。


「……お前、その姿はどうした?」

「ああ、これね。妙な一団を襲った時に手に入れたの。信心深い者の衣装なんだって」

「ふん……。我らに信じる偶像などあるものか! 我らには我らの王がいる。それだけで十分……」


自慢げにその場でくるりと回る女に、忌々しそうな視線を向ける獣人。それと同時に発せられた言葉は、扉の開く音と同時に途切れた。扉から現れた青年の姿を確認するや、獣人と女はその者に跪いた。


「戻ったか、イミティオ。……獣化は解かないのか?」

「……ええ。只今」


青年の言葉を受けて、跪いた獣人、イミティオが立ち上がる。すると、その姿がみるみるうちに変化する。そして、そこには獣人の姿ではなく、白い軍服姿の男がいた。


「それにしてもイミティオ……。随分と不機嫌そうだが、何かあったか?」


青年はニヤリと笑い、男に尋ねる。


「……」

「……そうだ、当ててやろう。思い通りにいかなかったな? 誰にやられた? セレニウスか?」

「いえいえ違いますよ。どうやら魔術師にしてやられたそうです」


青年の予想を、女は笑いながら否定する。


「魔術師……? ということはスクラか?」

「それが……、見慣れない少年でした」


女はその時の光景を、まるでその場で見ていたかのように語る。


「プリミラ! 貴様また視界を……!」

「まあまあ。減るものじゃないから、別にいいじゃないの」

「まあまあ落ち着きたまえ。それよりも、こうしてイミティオを呼び戻したのは他でもない。お前たち2人に話がある」


青年を前にして怒るイミティオと、それをからかう女、プリミラを、落ち着いた声で青年が諫める。彼の一言で、2人は言葉を収める。その姿を見て、青年は満足気に空間の奥に歩を進めた。


「さて、これから話すことは、我らの支配を完璧なものとするための最後の一手だ」


歩を進め、部屋の奥に置かれた玉座に青年は腰掛ける。彼が腰掛けると同時に、2人は再び跪く。


「知っての通り……。我がペリュトナイはある一点を除き、『秩序』によって守られている。最後に残った一点たる『壁』を崩すため、我らは今までに多くの手を打ってきた」

「存じております。しかしこれまで、あの壁を崩すには至りませんでした」


肘掛けに腕を置き、脚を組む青年。彼の言葉に、イミティオが答える。


「……その通り。何故あの微小な一点ごときにこれほどの労苦を費やされるのか。それは至極単純である」

「……セレニウス、それを始めとした『抵抗派』ですね」


姿勢を一切変えず、しかしその表情だけは憎しみに歪ませる。そんな青年の言葉に、プリミラは彼らの『敵』の名を口にする。


「……ああ、セレニウス。……セレニウス! 一体どこまで我らを妨げれば気が済むのだあの女は!! 本当に、諦めの悪さだけは昔から変わらん……!」

「落ち着いてください王よ! その怒りも、あと少しの辛抱です!」


敵の名、そしてその最たるものである名を聞き、青年は怒りのままに拳を肘掛けに叩きつける。その怒りは石の肘掛けを容易に砕くだけには飽き足らず、この空間に振動を伝わらせた。


「……失礼。少し取り乱したようだ。その通り。あの憎き抵抗派の者共が、我らの同胞をその手にかけ、秩序を拒んでいる」


青年は玉座に腰掛け直す。しかしその瞳に宿った怒りは、消えることなくそこにあった。


「……抵抗派を滅する策は、既に『目』による情報で構築済みです。お声一つで、すぐにでも」

「そうだ。それでいい。そしてイミティオ。お前にはその策にて、やってもらうことがある」


青年はそう言うと、玉座の横に突き刺さっていた剣に触れる。彼の身の丈以上の大きさの巨剣の柄を握ると、それを引き抜いてイミティオの眼前に投げた。


「これは……!」

「忌々しき片割れ、『壊劫えこう』だ。これをお前に授けよう。これを使い、策の中で好きにやるといい」

「……仰せのままに!」


イミティオは巨剣を手に取り、それを肩に担ぐ。


「策は今宵動き出す。それまで好きにやるといい。プリミラは策を再度調整しておけ」

「ええ。仰せのままに。この私の『ウェプワネイトの冥眼めいがん』に曇りなど許されませんので」


青年は玉座から立ち上がると、右手を掲げる。


「これを以て、我が完全なる支配は為される! 我が秩序を、我が支配を、このペリュトナイに轟かせるのだ!!」


青年は高らかに吼える。それは偉大な王の託宣に、恐ろしき獣の咆哮のようにこの空間、暗き大広間に響き渡る。


「我が武勇は我が王へ!」

「我が知略は我が王へ!」


そして咆哮に続く習わしのように、2人の言葉は獣の王に捧げられる。昇った陽の光が差し込む大広間。そしてその光が、王たる青年を妖しく照らす。


『我らが王、エリュプスに絶対の王権あれ!!』


2人の言葉は紡がれ1つとなり、支配者へ届く。その言葉に青年、エリュプスは妖しく笑うのであった。


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