6.惨戦、舌戦、意志参戦

 ペンは剣よりも強し、という言葉がある。これは言論がもたらす力が、武力を上回ることを意味する言葉であり、人の理性というモノの強さを現している、と言われている。しかしこの言葉は、極限の状態でも通用し得るものなのだろうか。


 重い疲労を背負って、暗い廊下をリトスは走る。実技の時のそれに加え、結晶板を維持し続けることによる負担は、あまりにも大きかった。しかし、彼が倒れることは無い。足取りは安定せずとも、確実に足は前に出る。


「僕が……、僕が……」


肉体の限界をとうに超えていても、彼は使命感で動いていた。異常な執念とも言えるその感情が、彼に一時の力を与えていた。手にした杖を支えにしてでも、彼は歩を進めるのだ。


「もう少し……、もう少しで……」


そうして歩を進めた彼の目の前に、微かに月光の差し込む外が見えた。そこからが、彼の戦場である。


 東門。2人の戦士によって護られていたこの場所は、安寧とは程遠い状況にあった。


「……ねえスクラ。そろそろ行ってあげないとまずいんじゃないかな」

「確かにそうですけど……、これを放置したらそれこそ大惨事ですよ」


門の外で迎撃に当たっているセレニウスとスクラの目の前には、更に勢いを増した獣人たちが迫っていた。先ほどまで余裕を持って迎撃に当たっていた2人の、その表情は険しいものとなっていた。


「……流石にこの量を1人でというのは、セレニウスさんでも厳しい、ですよね?」

「全然余裕……、って言いたいところだけど、これは押し止められない、かなぁ!」


襲い来る獣人を切り伏せ、セレニウスが答える。軽い口調は崩れていない、ように聞こえるが、その端々に余裕は無かった。


「だったら早くこれを落ち着かせないと、ですね!」


天素の結晶塊を精製し、獣人に向けて放ちながらスクラが叫ぶ。彼らが問題としている出来事は、今まさに彼らの背後で起こっている。


「ハア……、ハア……。野郎、どうなっているんだ……」


荒い息遣いで、カルコスが呟く。彼は左手で胸部を抑えながら片膝をついていた。更に右手には、乱暴に折られた槍の柄があった。とてもではないが、戦える様子ではない。


「カルコスさんは下がっていてください。ここからは俺とアウラでやります。……まだいけるよな?」


落としていた剣を拾い直し、シデロスは横にいるアウラに問いかける。もっとも、その問いかけの先にあるのは一つだけなのだが。


「……はい。ですが、あんな相手、どうやって……」


シデロスの問いかけの先にあるものを正確になぞる形で、アウラが答える。地面に突き刺さっていた刺剣を引き抜き、それを目の前にいる『それ』に突き付ける。


『それ』の姿は彼らが今まで何体も屠ってきた獣人に酷似していた。しかしその見上げるような巨躯は、彼らが見てきた獣人たちとはかけ離れたものであり、圧倒的な威圧感を放っている。そしてその胸部。そこにはカルコスの折れた槍、その穂先が深々と突き刺さっていた。普通の生物であれば致命傷となるそれを、意に介していない。煩わしそうに胸部の槍を引き抜き、無造作に投げ捨てる。そして口角を吊り上げ、牙を剥く。アウラたちには、それが愉悦の嘲笑のように見えていた。そして『それ』は、巨躯の獣人は、その脚で地面を踏み砕き、眼前の邪魔者に迫った。


「来る___________」


シデロスが、何かを言いかける。その言葉がアウラの耳に入るころには、彼女の隣にシデロスの姿は無かった。それとほぼ同時に、彼女の後方で何かが勢いよくぶつかる音と、何かが崩れる音が響いた。


「_______!!」


振り向いたアウラが目にしたのは、無残な瓦礫となった数棟の建物と、巨躯の獣人によって地面に押さえつけられたシデロスの姿だった。当のシデロスは意識を失っているのか、白目を剥いていた。それらを目の当たりにした彼女は、気付けば獣人へ接近していた。


「……よせ! お前では、無理だ!!」


それに気付いたカルコスが叫ぶも、その時には既にアウラの刺突が、獣人の首元を捉えていた。彼女は初陣である昨夜の戦闘でも、この一突きで多くの獣人を葬った。その浅いながらもある程度の確信を持った一撃で、これまでと同じように眼前の獣人を葬らんと、切っ先が深く潜り込んだ。それは獣人の喉を貫いており、普通の生物であれば確実に絶命している状態だった。


「これで……、これ________」


巨大な手が、アウラの頭を掴む。それは首を貫かれた獣人のものであり、同時にこの状況は、普通であれば致命傷となる一撃を全く気に留めていないということを示していた。


「うう……あ……。放し、て……」

「アウラ!!」


獣人は邪魔な荷物を放り捨てるかのように、アウラを投げ捨てる。彼女の身体が、後方に吹き飛ぶ。そんな彼女に見向きもせずに、獣人は片膝をついているカルコスを見ていた。それはまるで仕留めるに値する獲物を見つけた、狩人のような目であった。再び嗤うように口角を吊り上げる。相手が最早動けそうにもないということを知ってか、獣人は重く威圧的な歩みでカルコスに近付いていく。


「……これまでか」


右腕の鉤爪を露わにしながら近づく獣人を見て、カルコスは手にしていた槍の柄を放り捨てる。彼の持っていたこの金属の棒は、この状況を打開するためには何の役にも立たない。それは、彼自身が最も理解していた。しかし、その言葉とは裏腹に彼はまだあきらめていなかった。いや、諦めきれなかった。そうこうしているうちに、獣人は彼の目の前で止まった。


「……何か、最後に言ってみろ」


獣人が、低い声でカルコスに語りかける。それは勝者の特権である愉悦から来るものであった。狩人が獲物を仕留める直前の戯れにも似ている。それと圧倒的に違うのは、この場合の狩人が獣であるというところだろう。


「へぇ……。驚いた。喋れるのか、お前」


始めて目にする、人語を解す獣人を目の当たりにしても、彼の態度は崩れなかった。正確には態度を崩す余裕すらなかったのだろう。


「どうした? 何か言ったらどうだ」

「……余裕のつもりか?」

「喋って喉を動かせ。そうすれば後で喰う時に、その量でも多少はマシになるだろう」


吐き捨てるカルコスの問いに、獣人は捕食者として淡々と答える。そうかよ、と呟き、彼はゆっくりと立ち上がる。


「ほう……。今更抵抗か? まあそれも良いだろう。より喰いごたえがある」

「バカ言うな……。俺はもう戦えないんだ。武器だってお前に、折られちまった」


その言葉に、獣人は嗤う。


「では命乞いか? ペリュトナイの戦士というのも、随分と落ちたものだな!」


獣人のその一言で、カルコスは何かを悟ったかのように表情を変える。


「……頭の固い古株にはわからんだろうな。『戦士よ、勇猛たれ。しかしてその命、失うことなかれ』。強くあり続けることでこれを体現しようとした奴らとは違うんだよ」

「黙れ軟弱者が! 強くあり続ければ命を繋ぎ続けられる! それができん軟弱者がこの壁を築き、閉じこもったのだろうが!!」


怒気の籠った声で、獣人が吼える。その怒りのまま、カルコスの首をその手で掴み、持ち上げる。持ち上げられたカルコスはしかし、この状況には似合わない笑みを浮かべた。


「気が変わった……。貴様はこのまま喰ってやろう。まずは顔からだ。その皮を剥いで少しずつ味わってやる……」

「フフ……。随分な悪食だな……。……ああそうだ。お前、強さに傾倒しすぎて少し視野が狭くなってないか? そこをどうにかしたほうがいいぞ……」


窮地に立ちながらも、余裕を含んだカルコスの言葉。それに、獣人の表情は更に怒りに染まる。


「この期に及んでまだほざくか! やはり貴様は言葉に傾倒しすぎて力が足りていないようだな!!」

「戦士をやっている身でこれを言うのはどうかと思うが……。武勇よりも叡智が見せる世界のほうが広い……。俺も最近、そう思い始めたんだ」

「……何を言っている?」

「フフ……、ハハハ……! おいケダモノ。お前は1つ見落としているぞ」


カルコスの表情に、希望が灯る。その不可解さに、獣人は困惑する。


「……死の間際に気が触れたか。良いだろう。すぐ楽に……」

「……後ろだ」


カルコスの言葉を受けて、獣人は振り返る。直後、獣人の視界は鮮やかな蒼に染まった。


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