3-1 不死の虫
満月の光を全身に浴びた事で、わたしを包んでいた無感覚の膜はすっかり消え去った。
そして、かわりにある欲求が生まれた。わたしの心はその欲求で溢れてしまい制御不能だった。
『常世の蟲』を食べたい。
わたしはその強い欲求に支配されて気が狂いそうだった。
蟲を食べたい……。もう一度、アレを味わいたい! アレを体の中に入れたい! アレがほしい! 蟲が!!
ああ! どうしたら??
一体、どうしたらアレに……、『常世の蟲』に出会えるんだろう?
今のわたしは蟲を手に入れるためなら……、きっとなんだってする。……してしまう。
範田真央の言った通りだった。あの味を知ってしまったら、もうその事しか考えられない。クセになるなんて生やさしいものじゃない。
そういえば真央は強い欲求や激しい感情によってあの蟲が現れると言っていたけれど、今のわたしにはあの時のようなお姉ちゃんへの強い嫉妬や恨みの感情がない。
沢山の蟲を食べて無感覚の膜に包まれていたわたしは、それが無くなった今も感情の起伏だとか、好奇心なんかが決定的に不足していた。あんなにわたしを支配したお姉ちゃんへの妬みも、彼氏だった人への恨みも、食欲さえもあまり無い。
けれど蟲を食べたい。
今のわたしにあるのは蟲を体の中に入れたいという欲求だけ……。そんなわたしに、再び蟲を呼び出すなんて、できるんだろうか?
……いや、何もわたし自身が蟲を呼び出す必要はないんだ。真央の時のように蟲を取り込んだ人間を倒せば、中に巣食っている蟲を丸ごと手に入れられる。そして蟲は自分で呼び出したモノよりも、誰かの中で育ったモノの方が遥かにおいしい事を、わたしは経験的に知っていた。
蟲を宿したサナギを探そう。
わたしはそう決めるとすぐに行動に移った。
手掛かりは蟲を宿した者と出会った時に聞こえる鈴の音と強烈な甘い匂いだ。あの甘くやわらかい匂いを思い出してわたしはまた堪らなくなってしまった。
それから数日の間、わたしはあの匂いを求めて街を彷徨った。なるべく人の多い新宿駅や渋谷周辺を中心に1日中、繁華街を歩き回った。
けれど、蟲の痕跡は全く見つからなかった。
途中、一度だけ気になる人に出会った。その人からは蟲に似た匂いがした。不思議な気配があった。
その人の見た目は小学校高学年くらいの子供で、一瞬、サナギかと思ったけれど、その子から漂う匂いはあの蟲の匂いとは違っていたし、残念ながら鈴の音も聞こえなかった。
その子は男の子なのか女の子なのか、正直よくわからなかった。男の子であればかなりの美少年だし、女の子ならすごい美少女だ。見た目は小学生にしか見えないのに、左手の薬指には蛇を象った銀の指輪をしていた。
念のため、わたしはこっそりとその子に『飛跳閃光』の銃口を向けてみた。しかし蟲を宿したものを示す丸いカーソルは現れず、かわりに十字と四角形を組み合わせた見たことのないサイトが紫色に点滅したただけだった。がっかりしたわたしは再び蟲探しを再開した。
でもその不思議な出会いのおかげで、わたしは蟲の探し方を思いついた。
「飛跳閃光」を構えて自分の周りを見渡すのだ。もしわたしの視界にしか見えないこのカーソルが何かに反応すれば、その先に蟲がいる。
それからわたしは人目に付かないよう注意しながら、こっそりと銃口をあちらこちらへと向けて繁華街を歩き回った。
……。……。
それからさらに2日程経ったお昼頃。
わたしは新宿中央公園にいた。
ここは蟲を最初に発見した場所だったし、わたしと範田真央を戦わせ逃走してしまったあの野比沢武に出会った場所でもある。上手くすればまた野比沢に会えるかも知れなかった。野比沢をうまく仕留める事が出来れば新たな蟲が手に入る。それに彼は蟲についてわたしの知らない事を知っていそうな雰囲気だった。
だからわたしは1日1回は中央公園に顔を出すようにしていた。
その日もあの時と同じ林道にあるベンチに座った。
近くに誰もいない事を確認してから、わたしは銃を構えて自分の周りをぐるりと見回す。
すると……、中央公園から北西の方向に小さな黄色いカーソルが現れた。その表示はとても小さくてはじめは目の錯覚かと思った。方向的には今、仮住まいしている中野坂上のマンションの方角だ。
何度も目を凝らして、それが確かにカーソルの黄色い点滅だと確認してから、その表示に向かって歩き出す。
それから結構な距離を歩いたけれど、幾ら歩いてもカーソルは小さな小さな点のまま、なかなか大きくならなかった。
かなり離れているのかな……。
結局、わたしは反応を追いかけて新宿中央公園から青梅街道を西へ30分以上歩いた。
そうするうちにはじめは点のようだった黄色い表示が、少しずつ円形になってロックオンサイトの形に変化していった。
さらに表示は……、分裂していく。
今、銃口の先に表示された複数のカーソルはわたしの歩く道の下、地下鉄の新中野駅を指していた。
サナギが沢山いる?
なんだか状況を飲み込めないまま、わたしは地下鉄の新中野駅入り口を下った。いつ戦いになってもいいように銃は呼び出したまま上着の内側に隠した。
階段を降りると、すぐに異臭が飛び込んできた。それはわたしが探しているあの甘い匂いではなかった。何かが腐って発酵しているような強烈に嫌な匂い。わたしは上着のパーカーの内側に隠している銃をギュッと握る。
どうも様子がおかしい……。
その匂いは階段を降りるほどに強くなっていく。
ひどい匂い! 鼻が曲がりそう……。
嫌な感じがした。すでに別のサナギ同士が戦っているのかも知れない。
でも……、それにしては静かすぎた。
肌が辺りの不穏な空気を感じ取ってピリピリした。
わたしは覚悟を決めて銃を構えると階段を降りて改札口に進んだ。
そこには駅員の男性と夫婦らしきおじいさんとおばあさんが立っていた。
彼ら3人は、みな、首をかしげるように俯いて小刻みにに震えていた。様子のおかしい3人組だったけれど、わたしは不用意に声を掛けてしまった。
「あの……」
すると男性の駅員は俯いたまま、ブルブルと震える手でわたしを指差した。
「グォォォ! 」
そばにいるおじいさんとおばあさんが突然、獣のような叫びを上げた。
それを合図に改札口の3人は一斉にわたしへ向かってくる。近づくにつれて彼らの顔が見えた。
「えっ!? 」
彼らの首はおかしな角度に曲がり、肌は土気色、身体中から真っ黒な血管が浮き出していた。その瞳には黒目しか無かった。
彼らのその姿はとても生きている人間には見えなかったし、何よりわたしが恐ろしかったのは、その3人の動きだ。
それはコマ数を次々と変更した動画のように不規則で不安定だった。唐突に早くなったり遅くなったり……、動作の一部が抜け落ちているみたいに不自然な動き。
なんなのっ!? 気持ち悪い!
一見、3人は緩慢な歩みでこちらに近づい来ている様に見えた。
けれど不気味な3人組は瞬きする間にわたしの目の前に迫る!
サッと背筋に冷たい感覚が走る。
わたしは慌てて銃を構えると、先頭にいた駅員の頭を撃ち抜いた。続けておじいさんとおばあさんの額に狙いを定め引き金を引いた。
「ボバシュッ! 」という発射音と爆発音がほぼ同時に響き、彼らはトマトが弾けるみたいに破裂した。光の弾丸は狙いをつけた頭だけでなく、その上半身を殆ど吹き飛ばしていた。駅員とおじいさんは完全に腰から上が無くなってしまった。当たりどころの悪かったおばあさんは、肩から脇腹あたりの上半身の左側が丸々吹き飛んでいた。
この威力!?
わたしの放った光の弾丸は以前よりずっと強力になっていた。
すぐにあの満月の夜の事を思い出す。範田真央の蟲を取り込み、あの月明かりを浴びた事でわたしの力は以前よりパワーアップしたみたい……。
しかし下半身だけになつた駅員は、それでもわたしの方に向かってきた。
「えっ!? 」
さらに頭と左半身が無くなったおばあさんが、食べかけの板チョコみたいに欠けて残った右手をググッと握りしめた。そして握った掌の中指をわたしに向かって立てた。
「はっ!? 」
唖然とするわたしの目の前に半分だけ吹き飛んだおばあさんだったモノが一瞬で迫ると、握って立てた中指をわたしのスカートの中に押し入れてきた。
「キャッ!? 」
悲鳴をあげたわたしは駅員の下半身を弾丸で吹き飛ばし、ショーツに中指をグリグリと押しつけてくるおばあさんの手を引きちぎって思いっきり蹴り飛ばした。
「グチャ……」と嫌な音を立てておばあさんだったものが崩れた。
「グゥルルル……」
ふいに背後で唸り声がした。お尻に何か硬いものが当たってる……。
振り向くとそこには、何故か下半身を剥き出しにして腰を擦り付けてくるおじいさんだったモノがいた。
「キャッ! 」
わたしは悲鳴を上げて下半身だけになったおじいさんの股間に弾丸を打ち込んだ。
「バシュ! 」
中途半端に勃起した男性器ごとおじいさんの下半身が弾け飛んだ。至近距離だったので足首だけが地下鉄の床に残り、赤い血糊が扇みたいにパッと広がった。
「何なのコイツら……、ゾンビ!? 」
息を整えながらわたしは呟く。その動きや仕草はまるで映画に出てくる屍人の様だった。でも彼らは映画みたいに人肉を喰らい仲間を増やす目的で動いている訳ではなさそうだ。わたしを襲ったあの動きにはいやらしい悪意が感じられた。
バラバラになった3人の指や腕の破片は、地面にちらばったまま、まだピクピクと動いていた。
ふと、わたしは床に残された足首に目を止めた。足首は不気味に揺れている。
「あれ? 」
その足首に黒いアザが見てとれた。けれどそれはアザと呼ぶには余りにくっきりとした形を成していた。
何かの……、図形?
そのアザは大きな楕円に小さな丸をいくつか並べた図柄みたいだった。まるで動物の肉球をスタンプにしたみたい。
よく見ると他に転がっている足にもスネや甲のところに同じアザがあった。
「これって……」
その時、改札口のすぐ前にある下り線のホームから「グォォォ! グォォォ! 」という複数の咆哮が聞こえた。
アザを調べていたわたしが慌てて顔を上げると、30人以上の人間があの不吉な動きでこちらに向かってきていた。彼らは体の至る所が不自然に欠損し、あるものは腕がもげ、あるものは腹わたがはみ出して地面に溢れていた。皆、口元にはベットリと黒い血がついていた。その漆黒の眼差しはわたしをジッと見つめていた。
「ババシュッ! 」
わたしは迫り来るゾンビのような人々に光の弾丸を放つ。しかし彼らは頭を吹き飛ばしても、腕が千切れてもその歩みを止めない。
ふと1人のゾンビの額に先程見つけた黒いスタンプのようなアザがあるのが目に入った。わたしは試しにそのアザにロックオンのカーソルを合わせてみる。すると瞳に映るカーソルは黄色から赤に変化した。わたしはすかさずアザに向けて弾丸を発射した。
「バシュ! 」
「ジュッッッ! 」
額のアザを貫かれたゾンビは、まるで操り人形の糸が切れたみたいにばったりと地面に崩れ落ちた。
あのアザ……、あれが弱点だ!
それからわたしは銃口でゾンビ達を滑るようになぞり、眼に映るサイトの色が赤に変わった部位に向けて弾丸を放つ。
アザの場所はゾンビごとに違っているけれど、瞳に映るサイト表示を頼りにして、わたしは次々とゾンビの弱点を撃ち抜いていった。わたしの前には瞬く間に死体の山ができあがる。
しかしそれでも、黒い瞳の虚ろな人間達は、その不快で不規則な動作でわたしを目指して改札口に殺到してきた。
「何人いるの!? 」
倒しても倒しても、後から後からゾンビが迫ってきた。敵の数が多すぎる。
「きりがないっ! 」
苛立ったわたしは銃のトリガーを引きっぱなしにした。瞳に映る丸いカーソルがチカチカと点滅して拡大していく。銃口には黒い光の渦が集約していった。銃口にあるエネルギーの塊はみるみる膨らんでいく。
迫り来るゾンビ達の先頭の奴が銃口に触れるほど間近に迫った。
わたしはこれ以上待てないというギリギリのタイミングでチャージした大きな弾丸を解き放った。
「ブバァッ!! 」
大きな光の弾丸は目の前に迫ったほどよく禿げたおじさんゾンビを一瞬で消滅させ、さらにその後方にいたゾンビ達をバラバラに吹き飛ばすと、勢いそのままに突き進んで反対側ホームの壁に激突した。
「ドゴォッ! ゴガンンン! ブシャャ! うぉん! ズシャァァ! うぉん! うぉん! ビチャャア! 」
構内に轟音と血しぶきが吹き荒れ、わたしの正面にいたゾンビ達が一掃された。
様々な音が狭い駅にこだまする中、わたしの耳は場違いな動物の鳴き声を捉えていた。
「うぉん! うぉん!」
わたしの弾丸は反対側の上りホームの壁に直径5mくらいの大穴を作っていた。その穴のすぐ隣にはバラバラになった死体の山と、弾丸の衝撃でひしゃげたベンチが見えた。
さらにその隣……、ベンチの脇には場違いに佇む犬がいた。
犬は長く垂れた耳にピンと張った白い尻尾。身体は茶色と黒で足は白い毛並みの上品な顔立ちをしたビーグル犬だった。
犬はわたしに向けて吠えていた。
「うぉん! うぉん!(このクソ女! てめえの馬鹿力で危うく大怪我するところだったじゃねぇか! )」
ビーグル犬がこちらに向かって吠えているけど……、この声は?
「えっ……!? 」
「うぉん! うぉん!(えっ!? ……じゃねえよ、貧乳ビッチ! そこの馬鹿面下げて厳つい銃構えてるおまえに言ってんだよ! )」
ビーグル犬の吠え声に合わせて、わたしの頭の中に直接言葉が響いていた。
「ええっ!? ……犬が、……喋ってる!? 」
「うぉん! うぉん!(ええっ!? ……じゃねえよ、ビッチのクセにぶりっ子しやがってよ! バカかおまえは! 俺もおまえも常世の蟲を喰って同じサナギになってんだからさ、意思疎通くらいできるに決まってんだろう! そんなこともわからねえのか、このド貧乳!!)」
ビーグル犬はわたしを睨んで吠えまくっていた。犬が余りに激しく吠えるので、長く垂れた耳は長髪みたいに揺れて裏返ってしまっている。その首には体格に対してサイズの合っていない小さな赤い首輪がついていた。首輪に名札がぶら下がっている。名札は子供の文字で『ななな』と書いてあった。
「うぉん! うぉん! (貧乳! てめぇに話しかけてやってんだよ! ペチャパイの癖にスカしてんじゃねぇぞ、コラ! )」
そんな犬の様子をわたしは呆気にとられて見つめていたけれど……、段々……、腹が立ってきた。
なんで初めて会った人、……いや犬にここまでいわれなきゃならないの!?
「きみ、口悪すぎ! 吠えるたびに耳が裏返ってるし! バッカみたい! 大体、なにその名前! 『ななな』なんて変な名前の犬に言われたくないし! それにわたしは貧乳じゃないし、ビッチでもないし!! 」
わたしは犬相手にややキレ気味で叫んだ。
「うぉん! うぉん! (うっせえ、ブス! てめぇの体からは蟲の匂いがプンプンするんだよ! とくにおまえの股のガバガバのまんこからひどい匂いが溢れてるぜぇ! 一体何本咥え込んだんだ? えっ、このクソビッチ!! )」
「はぁ!? 咥え込んでないし!! 」
わたしは犬相手に真っ赤になって抗議する。するとなななはニヤッと笑って(確かに犬は口の端を上げて)こう言った。
「うぉん! うぉん! うぉん!(嘘はいけねぇなぁぁ、ド貧乳よぉ! 俺様の鼻は特別製なんでね。お前が一体何匹の蟲をその汚い上と下の口で飲み込んできたのか、手に取るようにわかるぜっ! ざっと10匹近くは食らってやがるなぁぁ! それだけじゃねぇ。おまえの緩みきったそのまんこからはなぁ、ザーメンの匂いが漂って臭えんだよ! 近づいたら鼻が曲がりそうだぜぇ。どんだけ中に出されてんだよ。いくら黒髪で誤魔化してもなぁ、おまえがビッチなのは丸わかりなんだよぉ! この淫乱売女!! )」
その言葉でわたしは完全にキレた。無言で素早く銃上部のスライドを引くと、ロックオンのカーソルをビーグル犬に合わせて引き金を絞る。
「バシュッ! 」
誘導弾が一直線にビーグル犬めがけて放たれた。しかし、なななは放たれた光の弾丸をヒラリと躱す。
「ふん」
わたしは鼻を鳴らし、銃口でビーグル犬を追い弾丸を誘導する。光の弾丸は急カーブして軌道を変えると、ビーグル犬めがけて突撃した。2、3度避けても勢いの止まらない弾丸に、なななはため息まじりで吠えた。
「うぉん(やれやれだぜ……」)
『死霊島(デッドアイランド)』
ビーグル犬のコールに呼応して犬の右前足に赤い靴下が出現した。靴下はゴワゴワした分厚い毛糸で編まれており、表面ではパチパチと静電気のように銀の光の粒が弾けている。靴下の側面には海に浮かぶヤシの木の生えた丸い島が描かれていた。ヤシの木の実は髑髏の形をしている。
「ウゥゥゥルルル(俺の『死霊島』はなぁ、触れたものの命を吸い取り使役するんだぜぇ! これからてめえをバラバラに引き裂いてやるからなぁぁ! 覚悟しやがれビチ糞ぉぉぉ! )」
「えっ……、武器ってあの靴下!? 」
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