酒乱令嬢の婚約破棄は妥当
俺たちは揃って戸籍課の扉を開けた。
幸い敵はいなかったが、既に魔物が荒らした後らしい。部屋の左右に並ぶ本棚は傾いて、床にはファイルや本が散乱していた。
「これは酷い。紙一枚も税金なのに何てことをするのでしょう! 国民の敵ですよ!」
ユズナは珍しく真っ当な公務員らしいことを言いながら、散らばる本を書棚に戻した。
「国民というか魔物は人類の敵だけどな……これ、戸籍謄本だろ。無事なのか」
俺は腕力を強化して倒れかけの本棚を立て直しながら聞く。ユズナが手にしたファイルは瓦礫と木片でズタズタになっていた。
ザヴィエが低く笑った。
「偽造、してあげてもいいんだぞ……」
「またそういう! 聞いちゃ駄目ですよ、レヴィンさん!」
「今なら写本一枚追加ごとに三割引き……」
得かもしれないと思いそうになった。
こういう損得の計算は苦手だ。うっかり気持ちが揺らぎそうになったとき、いつもダリオにどつかれたのを思い出す。
「うちの勇者は『買わなければ無料だから一番得だろ』と言っていた」
「ケチな勇者だな……」
ザヴィエが不満げに酒を煽った。
「レヴィンさん、来てください。これじゃないですか!?」
奥の本棚の間からユズナが明るい声を上げた。
「何だ?」
「魔術学校の卒業生は特別なファイルに分けて保管してあったんですよ。ほら、これ!」
彼女は魔術学校の校章が印刷された葡萄茶色のファイルを誇らしげに掲げる。
「勿論私の名前も載っています。勇者科のエリートの情報は何かと入り用ですからね!」
「悪用されていないだろうな」
俺が近寄って覗き込むと、ザヴィエも俺の肩に顎を乗せて紙面を眺めた。
「私の名前もあるぞ。何だ、お前たち、後輩だったのか……」
ザヴィエは痩せた指でページの一箇所を指した。
ザヴィエ・ジェーンズ。勇者科魔術部門学年首位。満期退学。
「主席なのに満期退学……出席日数が足りなくて留年し続けたってことか?」
俺の呟きにザヴィエの瞳孔が細くなった。
「いろいろあったんだ……いろいろ……」
ユズナが爪先立ちでファイルを覗き、声を上げた。
「というか、ジェームズってあのジェーンズ伯爵家ですか!? お嬢様じゃないですか!」
「そうなのか」
俺は貴族家のことにあまり詳しくないが、どこかで聞いたことがある名前だと思った。ユズナがファイルの名前とザヴィエを見比べる。
お嬢様という言葉と姿が欠片も一致しなかった。
「そう、私はザヴィエ・ジェーンズ……伯爵家の長女だ……」
「ああ、じゃあ、あれですか! 若くてイケメンで少し性格に難がある辺境伯と婚約していたって噂も?」
俺の知らないところで話がどんどん進んでいく。
「まあ、婚約破棄されたがな……」
「何故貴女ほどの才能がある貴族の長女が婚約破棄されたのですか? よくある、誰かに陥れられて悪評を流されてというやつですか!」
「いや、恥ずかしい話、自分のせいだ」
ザヴィエは瓶に口をつけて酒を煽る。
「家や学校での責任に耐えかねて二年間留年してな……学生証を年齢確認に使えるようになって、酒に溺れたんだ……緊張から大量の酒を呑んで臨んだ見合いの席で暴れた……」
「情状酌量の余地はありますが、婚約破棄は妥当ですね!」
ザヴィエは答えずにまた酒を飲んだ。
勇者科はダリオやクローネのような優等生か、少し危うい天才肌のどちらかしかいなかった。俺はどちらでもなく日陰で生きてきたが、だいたいはその両極端だ。
ザヴィエは後者のタイプなのだろう。そういう奴ほど、追い詰められると火事場の馬鹿力を見せる。
彼女が協力してくれたのは結構大きな幸運かもしれない。
「これがお前たちの代の勇者科……」
ザヴィエは唇から酒を零しながらファイルを捲る。
ユズナが落ちる雫を忌々しげに睨んだ。
彼女が特別なファイルと言った通り、ページには卒業生の姿が紋章投影魔法で生き写しのように描かれていた。複写できない特別な魔術が使われているようだ。
学生の頃のダリオやクローネがそのまま紙に印刷されていて、懐かしいような妙な気持ちになった。
「ダリオ・アルジェロ……クローネ・デンバーグ……ん?」
ザヴィエの指がクローネのページで止まった。
「この娘……クローネじゃないか?」
「ああ、うちのパーティのメンバーだ。知ってるのか?」
俺が答えると、ザヴィエが青黒いクマに縁取られた目を見開いた。
「知ってるも何も、デンバーグ家とは家どうしの交流がある……クローネは私が受験勉強の面倒を見ていたんだ……私がいなければ魔術学校に受かっていたか怪しいな……」
「意外な繋がりだな。知らなかった」
「まあ、私と違ってクローネはちゃんと卒業できたようだしな……師より弟子が秀でたら気まずくて話しにくいだろ……それに、私が婚約破棄された後、代わりにクローネに話が回ったらしい……」
「クローネが? 辺境伯と婚約?」
「断り続けているらしいがな……」
そんな話は聞いたことがなかった。だったら、俺たちと冒険者などやってていいのだろうか。
それに、クローネは––––。
「そろそろ私にわからない話はやめていただけると! では、なくて、本題はレヴィンさんの戸籍でしょう!」
ユズナが背伸びしながら声を張り上げた。ザヴィエが舌打ちして身を退く。
「見つからなければ、私が偽造してやったのに……」
「聞きましたか、レヴィンさん! 楽しく雑談をする振りをして、これが闇魔術師のやり方ですよ!」
「でも、心の闇に漬け込むとかじゃなく免停の意味なんだよな」
「この際意味などどうでもいいです!」
ユズナに手を差し伸べられ、俺は仕方なくファイルを渡した。できれば、このまま話を逸らしていたかったが仕方ない。
「何故戸籍を見られるのが嫌なんですか? まさか、前科でも?」
「ないよ。何が嫌なのかは見ればわかる」
俺はできるだけ本棚に背を貼りつけてファイルを見ないようにする。ユズナとザヴィエは気にせずにどんどんページを捲っていった。
目を逸らしていると、頭上からぱらぱらと埃が落ちてくる。俺たちが書庫を引っ掻き回したからじゃない。天井が小刻みに振動していた。
触覚を強化しようとしたとき、ユズナの大声が響いた。
「あ、ありましたよ! レヴィンさん!」
俺は諦めてふたりに近寄った。
「よかったですね。闇魔術師に頼らなくてもこれで大手を振って申請が……」
文字を追うユズナの視線が途中で止まり、首が徐々に傾いた。ザヴィエが怪訝な目をする。
「どうした、首斬られたか……」
「斬られてません! いえ、何だか名前がおかしいというか……」
ユズナが更に首を傾げた。だから、嫌だったんだ。ザヴィエが「どれどれ」とファイルを覗き込む。
「レヴィン・ア……? 乱丁か?」
「合ってる」
俺はふたりからファイルを取り上げた。紙面にはひどく野暮ったい学生時代の俺がいる。それも嫌だが、それより嫌なのは名前だ。
「レヴィン・ア。これが俺のフルネームだ」
ユズナは一瞬笑いかけ、慌てて表情を打ち消した。本当に何と言えばいいかわからないという顔だ。馬鹿にされたなら怒れるが、そういう顔をされると困る。
俺はできるだけ軽く聞こえるように言った。
「孤児だって言っただろ。赤ん坊の頃、路地に捨てられてたとき、巻かれてた布に書いてあった名前がそうらしい」
ユズナは目を泳がせてから、努めて明るく拳を握ってみせた。
「きっと途中から掠れていたとかですよ! 本当はもっとかっこいい名字のはず! あ! 昔勇者になる人間は何故かアアアアという名字が多かったと聞きます! レヴィンさんも勇者の素養があるということでは?」
俺が思わず笑うと、ユズナもやっと安堵したようだった。よかった。気を遣うのも苦手だが遣われるのも苦手だ。
俺はファイルの埃を払って本棚に戻した。
「これで戸籍は何とかなった。一歩前進だ。後はまた役所を元通りにする方に取り掛かろう」
「そうですね! 勇者的に、公務員的に行きましょう!」
ザヴィエは酒も飲まず、本棚の下で考え込んでいた。
「レヴィン・ア……?」
「そんなにおかしいか。そろそろ行くぞ」
俺が踏み出しかけたとき、天井が一際大きく振動した。
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