闇魔術師の闇は免停の意味

 魔王のダンジョンを改装した役所は、中三階に入ると余計にダンジョンらしさを増した。


 壁中がとぐろを巻いて迷路のようになり、不気味な紋章や、水晶じみた石か照明器具かわからないようなものが仄かに発光していた。



「一般人がこんなところに来て迷わず出られるのか?」

 傍を歩くユズナが答えた。

「中とつく階は一般人が入らないんです。受付の担当から通信を入れて、受け取った部署の担当が対応して、受付に送り返す、という作業をする場ですね」


 階段を登り切ってからは、ユズナがもう降ろしてくれというので並んで歩いていた。

 まだ不安はあったが、背負われているところを同僚に見られたくないらしい。



「とはいえ、迷うのは職員も同じです。私も初めて来たときは二時間迷いました。ちゃんとした構造を把握しているひとなんていないんじゃないでしょうか」

「それもう役所として機能してないだろ。改装工事のとき誰も反対しなかったのか」

「上がゴリ押したんでしょうねえ……」

「世知辛い話だな」



 緑の結晶が垂れる天井に、矢印型の看板がかかっている。

 戸籍課、納税課。

 冗談みたいだ。


「追放証明書がない場合はどこに行けばいいんだっけ」

「待ってください。マニュアルを確認しますね。さっきそこで拾ったんです!」


 ユズナは石版のような分厚いファイルを捲る。

 薄々感じていたが、ユズナも相当事務仕事が苦手なタイプだろう。

 こういうマニュアルを暗記できないのは俺もそうだからわかる。

 冒険者を目指していたというから、仕方ないことかと思った。



「あっ、戸籍課ですね! ちょうど向こうです」

 ユズナは矢印の右側を指した。

 俺たちはやたら音が反響する暗い廊下を歩いていく。



「戸籍って言っても、俺には親がいないからどうなってるのかわからないな。孤児院がどうにかしてくれてるだろうけど」

「ギルドに入るとき、戸籍謄本のコピーを提出しなかったんですか?」

「わからない」


 お前に任せるのは不安だからと、全部ダリオがやってくれたからだ。

 やはり勇者にならず、同じパーティに入ってよかったと言ったら蹴られた。



「まあ、戸籍がないということはないでしょう。私が確認しますので! 戦闘も事務仕事も完全にカバーできる私と一緒でよかったですね!」

 ユズナが親指を立てる。

 戦闘でカバーに回っているのは俺じゃないだろうかと思ったが言わなかった。



「万事私に任せて、邪なことは考えないでくださいね!」

「役所でどんな邪なことができるんだ」

「甘いですよ、レヴィンさん。役所にはときどき事務仕事ができないひとに漬け込む輩が闇魔術師がうろついているんです」

 ユズナは眉を吊り上げた。


「闇魔術師って、ひとの負の感情や欲望を煽る黒魔術使いってことか?」

「いえ、魔術学会への会費の納入などができず免許を剥奪された者たちです」

「社会の暗部の方の闇かよ」

 それなら俺も半分片足を突っ込みかけている。そんな闇は情けないので何とかして避けたい。



「紋章作りや魔導書編纂に長ける闇魔導師が、役所で必要な書類を揃えられないひとに、偽造書類を高額で売り捌いているんですよ」

「需要と供給が成り立ってるならいいんじゃないか。俺も頼もうかな」

「駄目ですよ! 彼らはひとの弱みに漬け込む悪党ですよ! 産廃並みに心が汚れています! 廃棄に特殊な税金がかかるくらいです!」



「酷い言い方だな……」

 暗がりから掠れた女の声がした。俺は襲撃に備え、五感を強化する。


 鋭敏になった嗅覚を激しい刺激が刺し、俺は思わず強化を解除してしまった。

 情報量が制限された分、かえって回りやすくなった頭で感じる。これは酒の匂いだ。



「出ましたね、闇魔術師ザヴィエ!」

 ユズナは飛びかかろうとして前につんのめった。まだ疲労が残っているらしい。


「こいつが?」

 俺はユズナに手を貸しながら闇の中を見る。

 強烈な酒の匂いを纏った女が現れた。


 俺より少し年上だろうか。

 伸ばし放題の髪で隠れているが、ほとんど下着のような服しか纏っていない。片手には一升の酒瓶が武器のように握られている。

 青白い顔の中で、目の下だけがクマで真っ黒だ。


 こんな言い方は悪いが、辞書で社会不適合の項目の挿絵に載せられそうな姿だった。



「私は……私と同じ不遇な人間を助けてやっているだけだ……」

「嘘ですよ! 助けると言ってきっちりお金はもらっているじゃないですか!」

「商売だからな……でも、良心的な値段だ……役所がゴミひとつにかける税金よりずっとマシだ……」

「すぐに公務員批判! その心が汚れきっています! 今すぐ悪心を捨てて税務署に廃棄届を提出しなさい!」



 わめくユズナを余所に、ザヴィエと呼ばれた女は酒を煽った。唇から溢れた雫が服に滴る。

 水滴の流れがザヴィエの胸元に落ちて、俺は思わず注視した。


「ちょっとレヴィンさん、どこを見ているんですか! 少し美人だからって惑わされないでください!」

紋章スペル魔術師キャスターか?」


 ザヴィエが虚な目を少しだけ見開いた。

「わかるのか……?」

「ああ、胸の刺青を見ればわかる」


 ユズナが急いで俺に身を寄せて囁いた。

「どういうことですか。邪な気持ちで見ていた訳ではないんですね」

「邪な気持ちで見てない。紋章魔術っていうのは、魔術師が使う石版を彫刻したり、俺が腕に彫ってるような魔力の回路のための刺青を考案する特殊な職業なんだ」


 ザヴィエがゆっくりと頷く。

「何故彼女がそうとわかったのですか?」

「戦場に出る魔術師なら普通は俺みたいに手足とかに彫るからな。心臓に近い位置に刺青を入れるのは、直接戦う必要はないけれど、魔術道具の生成なんかで一度に膨大な魔力を使う職業だ。それにしても……」



 俺は話している間にザヴィエはまた酒を呑んでいる。

「紋章魔術は代々由緒ある貴族家にしか受け継がれない魔術だ。それこそ勇者級の上級役職ジョブだぞ。それが何でこんなところで浮浪者……失礼、何だかその、悲惨な……これも違うな……アレなことに……」



 俺の額に軽い衝撃が走った。

 コルクの栓が間の抜けた音を立てて、足元にぽとりと落ちる。


「気遣いが下手で苛ついたが……お前はそっちの白髪と違って少し見る目があるみたいだ……」


 コルクを投げつけた張本人のザヴィエは、怒っているとも悲しんでいるともわからない表情で俺を見ていた。

 ユズナが「白ではなく銀です!」と怒鳴った。



「どっちでもいいが……お前、男の方のことだ……」

 ザヴィエが俺を指差す。


「大方必要な書類が揃わなくて、化け物退治ついでに当てもなくふらついていたんだろう」

「当てならあります! レヴィンさんは正当な公務員たる私と一緒に戸籍課に行くんですよ!」

「戸籍課、ね……私なら今すぐ必要な書類を作ってやれるぞ」


 俺は思わず反応しかけた。

 正直魅力的な話だった。俺とユズナでは死ぬまで書類が揃わなさそうだ。

 それに、俺はあまり自分の戸籍を見たくない。



「聞いちゃ駄目ですよ、レヴィンさん! 書類偽造なんて勇者のやることだと思いますか!?」


 ユズナが痛いくらい俺の腕を引っ張った。


 そう言われると困る。

 追放証明書を駄目にして、不正までしたとなると、ダリオがどれだけ怒るかわからない。

 二度と代わりに事務手続きをしないと言われたら、それこそ闇魔術師になるしかない。



 迷った結果、俺は口を開いた。

「わかった。ザヴィエさん、協力してほしい」

 ユズナが目を剥き、ザヴィエが口角を上げる。


「書類偽造じゃなく、このダンジョンを切り抜ける協力だ」

 今度はふたりとも驚いたような顔をした。


「この有様じゃいくら書類を揃えても受理される気がしない。俺は失業認定を受けて再雇用試験の資格をもらわなきゃいけないんだ。そのためには役所を元通りにしないと駄目だ」


 苦しい言い訳だが、事実ではあるし、このくらいしか浮かばない。


「その後頼るかもしれないし、頼らないかもしれない。客がほしいなら営業のつもりで俺たちに協力してくれないか」



 ザヴィエは酒の匂いがする溜息をつき、髪を掻き上げた。

 色白な横顔は、確かに高貴な出なのかもしれないと思わせた。


「いいだろう……協力してやる。ついでに何で私が闇魔術師になったかも聞かせてやるか……」


 ユズナはまだ不服そうだった。

「本気じゃないですよね、レヴィンさん!妥協案としてだしただけですよね? こんなに頼れる公務員がついているのですから! 」



 詰られている間にザヴィエが奥へと進み始め、俺たちも後に続いた。

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