パーティに勇者はひとりでいい

「さん……レヴィン……」



 雨で烟ったようにぼやけた視界に影が映る。

「ダリオ……?」


 目を開けると、白い髪を白い顔に張りつけた女が俺の肩を揺さぶっていた。


「誰ですか、その女! いや、男ですか? どっちでもよくありませんがどっちでもいいです! レヴィンさんしっかりしてください!」

 ユズナの大声が頭に響いて痛かった。どこも勇者に似ていない。



「今、どうなってる……」

 俺は身を起こした。背中の傷は塞がっている。だが、俺が寝そべっていた場所には夥しい血の跡が広がっていた。

 気絶する寸前、無意識に筋肉を強化して収縮させ、傷口を塞いだらしい。勇者科試験のときもそうだった。



 視界の先に、剣の檻に取り囲まれたキメラがいた。

 激しく身体を打ち付けて檻を崩そうともがいている。


「何とか瓦礫で即席の剣を作ったのですが……鉄も足りなくて、この程度しか……」

 ユズナは珍しく弱々しい声で言った。


「いや、充分だ。また力を使わせて悪かった」

「レヴィンさん、謝らないでください」

「あぁ、そうだな……」

「他に言うことがあるでしょう」


 俺は思わずユズナを見返した。彼女はいつもの誇らしげな表情を取り戻していた。しかし、顔はさっきより青白い。

 本当に馬鹿だ。


「助かった。勇者そのものだ」

 ユズナは満面の笑みを浮かべた。

 俺の中で勇者と馬鹿は極めて近い位置にある言葉だということは言わない方がいい。それくらいはわかる。



「しかし、これからどうしましょう……」


 キメラは今にも剣の檻を破壊しようとしている。

 何とかして対岸に戻り、避難経路を確保するのが第一。キメラの討伐は第二だ。

 地の利を活かして乗り切るにはどうすればいい?

 俺は勇者科試験のときどうした?


 坑道だ。

 俺はあのとき、鉱山にケルベロスを誘導した。

 草原で強化できるものは限られている。

 ソレガイル鉱山なら武器にしやすい鉱物があると思ったからだ。


 俺は辺りに広がる瓦礫の山を見渡す。

 今の状況と似ている。やれるんじゃないか。



「ユズナ、また魔力を使わせて悪い。頼めるか」

「もちろんです! またあの秘密兵器を……」

「いや、簡単なものでいい」


 これ以上疲弊させる訳にはいかない。

 それに、そんなものがなくても、さっきの何もない廊下より使えるものが山ほどある。


 俺は天井を見上げた。

 思った通り、観光課の天井にはロビーと同じ豪奢なシャンデリアがあった。



 一際激しい金属音がした。

 キメラの牙が地面に突き立てられた剣に食らいついている。魔獣の歯茎から血が滴り、刃にヒビが入る。

 勝負所だ。



 俺はユズナの耳元で囁いた。

「魔力は同時に使うほど疲弊が激しくなる。だから、最初に作った武器を元の素材に戻してから、次の武器を作るんだ。そうすれば、少しは魔力を節約できる」

「しかし、それでは……」

「いいんだ、この作戦はそうしないといけない」


 ユズナは難しい顔をしてから頷いた。

「勇者たるもの、軍師の言うことは信頼しましょう!」

 軍師になっていたのは初耳だったが、俺も頷き返した。



 激しい音とともに砕けた剣の檻が氷のように散る。

 拘束を解かれたキメラが身を震わせた。突進の合図だ。


「ユズナ、盾だ! 瓦礫を盾に変えて対岸まで橋を渡せ!」

「はい!」


 ユズナが手をかざす。

 散乱した瓦礫が収縮し、大穴に一筋の脆い石橋が渡された。


「走るぞ!」

 俺はユズナの腕を掴んで走り出す。


 盾の石橋は今にも崩落しそうだ。

 俺たちが駆ける間に足元から石の欠片が落ちて、奈落に吸い込まれる。

 ユズナが小さく息を呑む音が聞こえた。


「下を見るな!」

「見たくなくても見えちゃうんですよ!」


 背後からものすごい風圧を感じた。獅子の頭がすぐそこまで迫っている。

 対岸までもうすぐだ。キメラの赤い口腔が広がるのが視界の隅に見える。



「ユズナ、掴まれ!」

 俺は彼女の肩を掴んで、脚に魔力を込め、思い切り跳躍した。

 獲物を見失ったキメラの牙が宙を噛む。


 対岸であと少し。

 俺はユズナを大穴の向こうに放り投げる。

 ぎゃ、っと短い悲鳴を上げて、彼女が瓦礫の山に突っ込んだ。


 俺は崩れかけた体勢を腹筋と背筋の発条で立て直し、穴の淵に掴まる。

 腕力を強化し、何とか這い上がった。


 キメラはあと三歩で俺たちに辿り着くことろまで来ていた。



「今だ、盾を壊せ!」

 キメラの足元が一気に崩落した。

 石橋が瞬く間に瓦礫に戻り、山羊の蹄が宙に浮いた石の欠片を踏む。


 五体をばたつかせる魔獣の眼光が赤く煌めいた。タコのような尾が唸る。キメラの尾の吸盤が俺たちのいる対岸まで伸びた。



「ユズナ、剣!」

 俺は叫ぶと同時に隠し持っていた瓦礫を投擲した。俺が奇襲を受けたときに近くに転がっていたものだ。

 俺の血がたっぷり染み込んだ瓦礫は、天井のシャンデリアの支柱を断ち切った。


 落下の間に、金属の支柱が無数の剣に変わる。

 吸盤を張りつかせて這い上がろうとしたキメラを、幾重にも連なった刃が突き刺した。


 重力と俺の魔力で加速したシャンデリアの剣が、魔獣の硬い外殻を貫く。

 キメラが奈落へ吸い込まれ、少し遅れて衝撃音が響いた。



「やりましたか……?」

 俺は視力を強化し、大穴の底を覗き見る。背中に生やしてシャンデリアで地面に縫い止められたキメラの死骸がしっかりと見えた。


「ああ、死んだ」

 図体がデカく耐久性がある敵は、それだけ重たく固いということだ。

 それなら、重力が武器になる。


 高低差のある場所から落下させて、自重で押しつぶす。更に上から武器を落とし、重力を強化する。

 重くて固い図体が仇となって魔物は死ぬ。


 勇者科の試験のときも、こうやってケルベロスを殺した。


 ユズナが深く安堵の溜息をつくのが聞こえた。



 俺はぐったりとしたユズナを背負いながら、奇跡的に壊れず残っていた階段を登った。


「レヴィンさん、背中の傷は大丈夫なんですか……」

 ユズナは背負われながら、俺から微妙に身体を離している。落っことしそうなのでちゃんと捕まってほしかった。


「ああ、もう塞がった」

「すごいですね、まるで魔物のような治癒能力と魔力の量です」

「それ褒めてないだろ」



 勇者科の試験の後、担ぎ込まれた病院でも、医者にそう言われたのを思い出した。


 俺が目を覚ましたとき、ベッドの横でダリオが蹲っていた。

「馬鹿か、お前……」


 そう言われるのは慣れていたが、その声が掠れていて驚いた。

 ダリオは顔を覆っていた。

 泣いてるのを見るのは初めてだった。ダリオの両親の墓参りのときも、貴族家の生徒に馬鹿にされたときも泣いたことはなかった。



「どうしたんだよ…‥試験、駄目だったのか?」

「試験は合格だ! 俺だけな! 途中で気絶したお前は脱落扱いだとよ!」

「おめでとう、お前が受かったらよかった」

「馬鹿か!」


 ダリオが置いてあった花瓶の花を引っこ抜いて投げつけてきた。雫と花弁が飛び散った。


「ふざけやがって、何だよ。脱落って。魔物はお前が倒したようなもんなのに……」

 ダリオは両手で顔を擦った。


「お前もお前だ、強化魔術師エンチャンターなんかなるなつったよなぁ! 支援系の役職ジョブは評価もAランクまでしかない。Sランクじゃなきゃ勇者になれねえんだぞ!」

「別にならなくてもいいだろ」

「何でだよ!」



「レヴィンさんは……」

 ユズナの声に、俺は現実に引き戻される。

「そんなに強いのに何故勇者を目指さなかったのですか?」

「よく聞かれるな……」


 俺は階段を登りながら、ずり落ちてきたユズナをもう一度持ち上げる。あと一段で到着だ。

 俺はあの日に、ダリオに言ったことと同じ答えをする。


「パーティに、勇者はふたりも要らないだろ」

 耳元で湿った吐息とユズナの笑い声が聞こえた。


「失礼ですが、戦闘以外のときのレヴィンさんって相当馬鹿ですね?」


 ダリオにも同じことを言われた。

 勇者ふたりが言うのだから、間違いない。

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