たまには昔話をしよう
針のような雨が黒い森を濡らしていた。
「試験当日についてねえな」
ダリオが魔術学校支給品の鎧の上から寒そうに腕を摩る。まだ俺より背が低くて筋肉も薄かった頃のダリオだ。
学生時代の風景、たぶんこれは俺が見ている走馬灯のようなものだろう。
「見ろよ。貴族の奴らすげえ装備してやがる。試験なのに最初の条件が違っていいのかよ」
ダリオが指した先に貴族家出身の同級生が固まっていた。
一目で高価とわかる鎧にマントまでつけている。学費も援助で賄っている俺たちとは大違いだ。
「寒いなら火起こすか?」
「馬鹿、魔力の無駄遣いすんな。それに炎魔法は下手だろ」
炎魔法も別に苦手ではなかったがあまり使いたくなかった。彼の両親は雷を操る魔物に殺されたらしい。
それを間近で見たダリオは、幼い頃大きな音と光が嫌いだった。成長につれて克服したらしいが、何となく目の前で使うのは気が引けた。
「それもそうか」
伸ばしかけてやめた俺の手にも刺青がない。代わりに紋章が描かれた青銅の腕輪がはまっていた。
「お前な、やる気出せよ。この試験で今後の人生が決まるんだぞ。科目選択の志願書すら期限忘れやがって未提出だったじゃねえか」
俺が在籍していた魔術科では、二年生に進級する際科目選択をしなければいけなかった。つまり、将来の役職を決める必要がある。
本来なら魔術科の生徒だけで試験があるが、俺は日程を忘れきって申請すらしていなかった。進路を未だに迷っていたのもある。
先延ばしにし続けた結果、最後の機会が勇者科の試験だった。
「いいか、レヴィン。この腕輪の紋章の意味は『契約』だ。これをつけている限り、自分が何になるか決めて願わないと初級魔術以外の魔術が使えない」
「流石にわかってるよ」
「本当かよ。お前、講習で聞いたことろくに覚えてねえからな」
ダリオが眉間に皺を寄せたとき、試験開始を告げる笛の音がした。
俺たちは小雨の降る中歩き始めた。
試験会場となるソレガイル森道への道のりは、四方を囲む鉱山跡地で塞がれている。
国に許可を取らなければ入れない。一般人が紛れ込む心配もなければ危険な魔物が出ることもない。
教師が誘き寄せた下級な魔物を倒せばいい。
そのはずだった。
ぬかるんだ道を歩きながら、俺は強くなる硫黄の匂いが気になった。
辺りを見回しているとダリオに脇腹を小突かれた。
「きょろきょろすんなよ」
「何か硫黄の匂いが強すぎないか。デカい足音も聞こえる」
「鉱山があるから当たり前だ。足音は俺たちのだろ」
「匂いが強すぎる。それに、足音は大量の人間のじゃない。もっとデカい生き物だ」
「お前、魔術で聴覚と嗅覚強化してんじゃねえだろうな」
「してない」
「まぁ、お前元から五感は鋭い方だけどな」
ダリオはかぶりを振った。
「レヴィン、お前は才能がある。無駄遣いすんなよ。Sクラスまでランクがある上級の役職を選べ。
「別にそれでもいいだろ」
「駄目に決まってんだろ!」
大声に前を歩く生徒が振り返る。ダリオは声を潜めた。
「……勇者科の試験受けて支援型の職についてどうすんだよ。稼げねえだろ」
「稼いだら確定申告が大変なんだろ。俺にはできない」
「馬鹿。俺たちには親がいねえ、自分で生きていかなきゃならねえんだぞ。最悪家を継げばいいって遊び感覚でやってる貴族の奴らとは違うんだ」
「お前、貴族嫌いだよな」
「決まってんだろ」
そのとき、甲高い悲鳴が聞こえた。森道の向こうだ。最前列の生徒が慌てふためいている。
ダリオが前の奴らを弾き飛ばして駆け出し、俺も後を追った。
木々を抜けて開けた視界に、惨状が広がっていた。
聳える鉱山が煙を噴き上げ、火炎のように赤々とした口を広げている。
「何だあれ……」
ダリオが呆然と呟く。追いついた生徒たちも状況を飲み込めない顔で山を見ていた。
監督役の教師が真っ青になって駆けてきた。
「中止! 試験は中止だ!」
「何故ですか!」
生徒から不満の声が上がる。
「ソレガイル鉱山の一部が崩落した!魔物が壊したらしい! 森道の避難経路から退却しなさい!」
ダリオが俺を横目で見た。
硫黄の匂いと足音はそれだ。
生徒たちが元来た道へ戻り始めたとき、また甲高い悲鳴が上がった。
試験用に誘導されていた
次々と魔物が寄ってくる。普段なら倒せる下級の魔物だが、慄く生徒たちはなす術がない。
教師の救援が間に合わない。最前列にいた貴族出身の生徒たちが追い詰められている。
ダリオが剣を抜いた。
「レヴィン、行くぞ!」
俺はその後ろに続いた。
生徒のひとりが昆虫のような魔物に高価なマントを引き裂かれている。
「伏せろ!」
ダリオが袈裟斬りに剣を振り下ろした。魔物の外殻が刃を弾き、ダリオがたたらを踏む。
「こいつ、硬くて刃が通らないんだ!」
襲われていた生徒が半泣きの声をあげた。ダリオは無言で剣を構え直す。
鋭い刺突が外殻の繋ぎ目を突き、青い血が噴き出した。
「お前、授業で何教わってきた!」
銀の軌道が閃き、魔物の間接を切断する。 重装備の敵との戦い方だ。鎧の隙間を狙い、内側を破壊する。
ダリオの剣が魔物の眼球から脳天を貫いた。
後ろから
「レヴィン、いつもの」
「おう」
俺たちは同時に駆け出した。
ダリオは走りながら剣先で小石を飛ばして魔物を挑発した。粘魔が速度を上げる。ダリオは反対に少し速度を落とした。
ダリオが視線を投げたのを合図に、俺は全速力で馬車の裏側に回り込む。
一直線に駆けていたダリオが跳躍し、馬車を飛び越えた。魔物は突然獲物が消えたことに反応できない。
馬車の窓から無防備な魔物の腹が見える。俺は狙いを定めて炎魔法を発射した。
凝縮された火が核を貫き、粘魔は緑の液体を散らして崩れ落ちた。
「よし、これで……」
ダリオが途中で口を噤む。
視線の先に、三つの首を持った巨大な黒犬がいた。危険な魔物の一種、ケルベロスだ。試験会場にいるはずがない。奴が鉱山を破壊したのだろう。
魔獣が身体を振るう。毛に絡んだ雨粒が散弾のように散った。
黒い残像が揺れ、次の瞬間、鉱山の麓が爆発した。
ケルベロスがあの巨体から信じられない機動で飛び込んだのだと、遅れて思考が追いついた。
山側から逃げようとしていた生徒の群れが岩盤とともに弾き飛ばされる。吹っ飛んだ奴らはまだいい。
何人か瓦礫に巻き込まれたはずだ。
俺は踏み出そうとしたダリオの腕を掴んで止める。
「何だよ!」
「俺たちに敵う相手じゃない」
煙の中で犬の三つ首が荒れ狂っている。
教師が放った魔術の閃光がひとつを捉える間に、もうふたつの首がそれを弾く。逃げ損ねた生徒の悲鳴がこだました。
「クローネ!」
傷だらけの生徒が後ろを振り向いて叫んだ。
雨が煙を退け、瓦礫の山にひとり取り残されているのが見えた。何度か見かけた貴族の生徒だった。
金髪はずぶ濡れで、制服に血を滲ませた女子生徒が顔を上げた。唇が助けてと動いた。
ダリオが目を見開く。
「ダリオ、やめろよ」
俺は思いついた言葉を口にする。
「……貴族嫌いだろ」
「お願い……」
女子生徒の声が鮮明に聞こえた。
「私のことはいいから、クラスのみんなを助けて……!」
泣き出しそうな悲痛な声だった。
「ああ、嫌えだよ。でもな、嫌いな奴ぐらい助けられなきゃ世界なんか救える訳ねえだろ!」
ダリオは俺の手を振り解いて疾走した。
俺が彼を追う間にも、魔獣は女子生徒ににじり寄っている。ダリオは泥の山を駆け抜けた。
三つの首が同時に唾液を散らす。剥き出しの牙を剣が弾いた。
不意に横面を殴られたケルベロスが滑落する。
「捕まれ!」
ダリオが瓦礫から女子生徒を引き上げた。魔獣は既に起き上がって唸りを上げていた。
「ダリオ、後ろだ!」
ダリオは救助のために剣を鞘に収めていた。あいつは他人の命が絡んだときだけ物凄く馬鹿になる。
俺は魔力を巡らせ、炎を放つ。爆炎が犬の首ひとつに絡んだが、もうふたつは無事だ。間に合わない。
俺は意を決して飛び込んだ。
呆けた顔をして女子生徒を抱えるダリオを全力で蹴り飛ばす。ケルベロスの爪が閃き、俺の背中に燃えるような熱が走った。
「レヴィン!」
熱はすぐ痛みに変わった。
ダリオは真っ白な顔で俺に片手を伸ばす。もう片手で女子生徒を掴んでいるから剣も抜けない。俺を捨ててでも魔物を倒すべきだ。
ダリオの視線が俺と、女子生徒と、魔物を巡る。
ケルベロスを倒して、俺たちふたりを救う術を探している。やはり馬鹿だ。勇者とはそういうものだ。
震える俺の手に青銅の腕輪がはまっていた。
やるべきことは山ほどある。
まず俺の血を止める。女子生徒の傷ついた足を強化し、ひとりで立てるようにする。魔獣の攻撃から身を守って剣を抜けるまで、ダリオの防御力と瞬発力を上げる。
それができる
俺に勇者は向いていない。嫌いな他人を助けるなんて無理だ。
だが、勇者のためなら、俺は全てを懸けられる。
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