陰謀論より目の前の敵を

 視覚と聴覚を最大限に強化して、警戒しながら扉を開けたが、何も現れなかった。



 長い廊下は壁中が蝋でも垂らしたような黒い滴りが重なっていて、巨大な生き物の食道を歩いているような気がした。相変わらず人影はない。



「役所が少しでも真っ当に機能しているなら、必要な手続きも済ませながら上がりたかったが難しそうだな」

「とりあえず、私の先輩もいる戸籍課に行きましょう。レヴィンさんの追放証明に必要な書類も残ってるかもしれませんし」

「戸籍課はどこに?」

「中三階です」

「中?」

「ここ外から見たとき、螺旋状になってたでしょう。内部も二重構造になってるんです。戸籍課は中三階、社会福祉課は外三階です」


 気が狂いそうだった。俺は魔術学園で三年生になってもたまに移動教室で迷ったことがある。



「中四階からは危険ですよ。複雑ですし、ダンジョンだった頃の名残りが多くて、職員すら立ち入れないところがあります」

「そんな場所を役所にするなよ」

「節税ですよ、節税。ダンジョンは解体にもお金がかかるし、呪いの装備でも見つかったら廃棄届を出すのもひと苦労なんですから」

「魔物が封印されてたりしないだろうな」

「流石にそれはありません! 役所ですよ!」


 ユズナの大声が廊下に反響して耳に刺さる。俺は聴覚の強化を触覚に移した。震動を感知できればだいたい何とかなる。



 聴力の強化をやめると途端に静かさが際立った。

 俺は何かしら話題を探す。

「ユズナは何で公務員になったんだ?」


 ユズナは目を見開いた。聞いてはいけなかったかもしれない。焦って話題を探すと俺はろくなことを言わない。


「いや、鍛冶師ブラックスミスなんてすごい役職だろ。勇者科も出てるし。ギルドで引く手数多だったんじゃないか」

 慌てて言い訳をしたが、彼女は黙って唇を震わせるだけだ。まずいことになったと思った矢先、ユズナは急に俺の手を握った。


「やっぱり強化魔術師エンチャンターは観察眼が冴えていますね! そう、私ほど勇者に相応しい人間はいないのですが、嫉妬ですかね? 人格や戦闘能力にケチをつけられてどこのギルドでも不採用にされてしまったんです!」

 細い指から想像できない力で両手を振り回された。人格と戦闘能力に関しての評価は妥当だと思う。


「でも、レヴィンさんならわかると思ってました。観察眼はもちろんですが、どこか親近感を覚えるんです」

 ユズナは隠していない方の瞳を輝かせる。


「正直どこも似ていると思わないけどな」

「いいえ、正当に評価されていないものどうしでふよ! それほどの実力があるのにパーティを追放されたのは勇者の嫉妬ではないですか?」

「それはない」

「レヴィンさんはまだ仲間を信じているのですね。わかります。私も勇者科の厳しい試験を共に掻い潜った仲間が次々と就職を決めていくときはまさかと思いましたが……」

 話がどんどん脱線する。たぶん面接でもこの調子で落とされたのだろう。



「うーん、レヴィンさんになら話してもいいかもしれません。これは家族しか知らないことですが、私にはまだ最終兵器が……」

 ユズナは首を傾げて唸っていた。そんな大事を明かされても困る。俺は早く話題を変えようと思った。



「ええと、勇者科の試験は確かに大変だよな」

「レヴィンさんも受けたのですか? ということは、魔術学園で成績十位内に?」

 ユズナがやっと俺の手を離す。何とか意識を逸らせたらしい。


「奨学金が必要だっただけだ。孤児院に学費で負担をかけても困るからな。八位とか九位とかギリギリだったし、提出物や発表も忘れたからそれすら危うかったし……」

「充分すごいですよ! というか、レヴィンさんもクールな振りして勇者に憧れてたんじゃないですか!」


 ユズナは肘で俺の脇腹を押す。骨が刺さって痛かった。


「いや、いつも移動教室や提出物の期限を教えてもらってた幼馴染が勇者科志望だったから、同じ科にいないと教えてもらえなくなると思ったんだ」

「お母さんと同級生だったんですか?」

 脇腹も痛いが、耳も痛い。


「俺は親がいたことないけれど、そんな感じかもしれない。考えたらすごく迷惑をかけてたな。よく友だちを続けてくれたもんだ」

「そんなに仲がいいのに追放を……」

 ユズナは顎に手をやって考え込んだ。



「もしかしたら、レヴィンさんの追放には陰謀が隠されているかもしれません」

 また話が脱線する予感がした。


「実はレヴィンさんの力を悪の勢力が狙っていて、勇者さんは貴方を守るためにパーティから追放したのかもしれませんよ! きっとそうです! 親友のために悪役を買って……」

「それはない」

 その追放理由だと失業保険が受け取れなさそうだ。即急に否定する必要がある。何よりこれ以上暴走されると、俺は止めきれない。



「勇者科の試験の話をしよう」

「何故話題を逸らすんですか! やはり真実だったのでしょうか! 信頼してください! ここで影の実力者である貴方を助ければ私の評価も……」

「記憶が保たないから覚えてないし、打算の気配を感じるから嫌だ。試験の話をする。俺たちは実戦で魔物の討伐が課題だったけど、そっちはどうだった?」


 ユズナはまだ納得がいかなさそうだ。もう一押し。

「前線で活躍したんだろ。今後の活用も兼ねて功績を知っておきたい」

「それなら仕方ないですね、相棒として必要ですから!」

 彼女は途端にやる気を出した。だんだん扱い方がわかってきた。


「私も同じ試験でした。歴代最高と言われた難易度でしたが、私がチームを纏め上げた結果、難なく通過しましたよ!」

「俺のときも歴代最高って言われたな」

「きっと毎年更新されるんですよ!」

「そうか、俺のときは三つ首の犬型のケルベロスだったけどユズナは?」

「聞いて驚いてください。討伐対象は獅子の剛腕と鹿の俊敏さと毒蛇の尾を持つ魔物。所謂キメラです」

「見たことないな」

「ちょうどあんな感じですよ、ほら」



 ユズナが暗闇の奥を指す。

 確かにライオンのような上半身に、鹿に似たマダラの毛皮と蹄の下肢の魔物が、尻尾の蛇を自在に蠢かせていた。


「これ、市役所のオブジェか?」

 ユズナが青ざめた。

「本物です!」

「封印されてる魔物はいないって言ってなかったか」



 話に気を取られて油断していた。ダンジョンが起動したとき、こいつも起きたのだろう。

 道理で職員が出てこない訳だ。


 俺は眼筋に魔力を集中させる。敵の本懐は俊敏さだ。近づけないのが第一。

 キメラが上体を低く屈める。



「ユズナ、剣だ。脆くていいから十はほしい。ばら撒け!」


 ユズナは短い悲鳴をあげながらも、壁から土の剣を生成する。俺たちとキメラの前に脆い刃が降り注いだ。

 俺は指先を噛み、血で床に一本の線を描く。

 落下した土の剣が線上に連なった。



「退がれ!」

 俺はユズナの襟首を掴んで跳躍するとともに全ての剣を強化する。

 突進したキメラが轟音を立てて即席の防護柵に衝突した。


 鋭い爪が剣の峰を削り、赤い眼光が揺らぐ。闇の中で剥き出しの牙の白さが眩しかった。


 この巨体は接近させたら負けだ。防護柵を活かして距離を取ったまま勝つ戦法が要る。



「ユズナ、筒。行けるか?」

「筒ですか!?」

 ユズナは狼狽えながら近くの壁に触れた。布のように捲れた土壁が螺旋を描いて細い筒になる。

 キメラの両腕は今にも剣の柵を破りそうだ。


 俺は筒を受け取り、魔物の頭部に狙いを定めた。

「学生以来だけどな……!」

 雷に似た爆音と火花が炸裂し、キメラの眉間を貫いた。

 獅子の頭が煙を噴き上げて仰向けに倒れる。物凄い震動が肌を伝わった。



 火や水のような初級魔法は魔術学園で一通り習わされる。

 初級とつくだけあって大した威力は出ないが、強化に加え、螺旋状の筒で勢いをつけて射出すればこのくらいはできる。

 セラが常用する機械弓から連想したやり方だが、上手くいった。



 生成された剣が砕けた。俺の手の中の筒も土塊に戻る。

「倒しましたか?」

 ユズナが恐る恐る聞く。

「たぶん」

「よかった! 一度戦った敵は敵ではありませんね。これも私の経験があってこそ……」


 ユズナが元気を取り戻した矢先、再び震動を感じた。

 視界の隅でキメラが身を起こす。まだ眉間から煙を上げているが、死んでいない。



 キメラが地を蹴って疾走する。

 ユズナに防壁を作らせるか、肉体を強化すべきか。

 思考を巡らせるより早く、魔獣が眼前に迫っている。


「くそっ、盾を……」

 俺が声を上げる前にユズナが前方に飛び出した。

「待て!」

 引き戻そうとした瞬間、彼女の長い前髪の下が青く輝いた。

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