ゾンビには火と鈍器と頼れる仲間

 まず強化すべきは脚だ。ユズナは圧倒的に筋力が足りていない。



 彼女の後方にグールが迫っていた。

「そこの、白髪の!」

「銀髪です!」

「じゃあ、銀髪! 後ろだ!」


 ユズナは振り返り、背後のグールにやっと気づいた。

 俺は床に手をついて彼女の両脚に魔力を這わせる。


 ユズナは咄嗟に身を捻って横薙ぎに剣を振るった。

 体幹を鍛えてなければ敵の体重に押し負ける危ない動作だ。

 本当なら引き倒されていただろうが、俺の魔力が足から腰にかけて強化している。

 銀の軌道が閃き、グールの半身を斬り飛ばした。



 ユズナは驚いて魔物の死骸を見下ろし、嬉しそうに血塗れの剣を振り上げた。

「見ましたか、先輩! 私はやるときはやるんですよ!」

 彼女の上司が呆然としていた。俺も同じだ。

 彼女には状況と実力を把握する能力が恐ろしく欠けている。



 次々とグールの群れが押し寄せていた。

 つけてはいけない自信をつけたユズナが剣を構える。

 上段の構えだ。最悪だった。

 それは自分の両肘で視界が制限される上、胴がガラ空きになるから、ダリオ並みに俊敏さと膂力のある達人じゃなきゃ不利だ。


 俺は仕方なく流す魔力を増加させる。

 制限された視界でも敵を見極めるための視力、敵の攻撃をいなす機動のための脚力、負担が大きい構えを続けるための腕力。

 これで駄目なら死ぬしかない。


 グールが飛びかかる。

 ユズナは構えたまま摺り足で二歩下がり、重力で加速したグールの攻撃を避ける。

 魔物が脳天を晒した。今だ。


 俺はユズナの腕と軸足に魔力を回す。

 垂直の斬撃がグールの頭蓋を砕き、血の赤と脳漿の白をぶちまけた。



「私、こんなに動けたんだ……!」

 ユズナは襲い掛かるグールを斬り伏せていく。俺は次の攻撃を見極めながら魔力を回し続けた。



 強化魔術が人気がない理由はここにもある。

 常に頭と魔力を稼働させていても、何もしていないように見えるからだ。


 戦場で突っ立っていて邪魔。舐め回すように他人の身体を見て気色が悪い。ろくに働いていないくせに魔力切れで鼻血を垂らして汚いし鬱陶しい。

 強化魔術師エンチャンターの評価はだいたいこれだ。


 だが、俺は戦闘中も常に聴力と視力を強化して、不測の事態に備えるようにしている。



 鼓膜がパリッという静電気のような音がした。魔族が魔術が使う予兆だ。

 ユズナはグールに囲まれて動けない。俺が出るしかない。

 少しの間持ち堪えてくれと願いながら、俺は駆け出した。



 あの音は炎か雷撃だ。

 熱伝導性が低く、この一瞬で調達できるもの。あるじゃないか。


 俺は斬り倒されて腸を零しているグールの上半身を掲げる。

 暗闇を割いて放たれた赤光が、俺が盾にしたグールの死骸を貫き、黒煙を噴き上げた。


 褪せた血が飛び散ったが、気にしていられない。

 視界の端でローブの男が怒りに口元を歪めた。


 俺は足元の長槍を掬うように蹴り上げる。爪先から柄の石突に魔力を移動。

 一直線に飛んだ槍が男のローブの裾を貫き、壁に縫い止めた。くぐもった呻きが聞こえた。

 しばらくはこれでいい。



 俺はユズナに視線を戻す。

 すっかり劣勢に戻っていた。

 ここまで来たら直接触れた方が早いし効果がある。


 防御するユズナの身体を亡者の腕が這い回る。

「放しなさい! 本気を出せば貴方たちなんて……」


 震える喉に土色の指が食い込む寸前、俺はユズナの肩を引いた。

 直の魔力は触媒を介したものと比べ物にならない。

 ユズナの腕が反射で跳ね上がり、剣先が亡者の腕を撫で切りにする。

 刃のリーチから逸れた敵は、俺が脚に魔力を込めて蹴散す。対岸まで吹き飛んだグールが壁にぶつかり動かなくなった。



「跳ぶぞ!」

 ユズナは俺の言葉が飲み込めなかったらしく狼狽えるだけだった。


「失礼」

 俺はユズナと彼女の上司の胸ぐらを掴み、魔力を巡らせた腕でカウンターへ放り投げる。

 短い悲鳴と共に木の囲いの先にふたりと姿が消えた。


 俺も机に駆け上がって後を追う。後ろからグールたちが来ているのを確認し、跳躍の直前に木戸をずらした。

 背後で強化した木板に勢いぶつかったグールの呻きを聴きながら、俺はカウンター裏に飛び込んだ。



 受け身をとって着地する。

 内部は机と椅子のバリケードが組まれ、暗がりの中で役人たちが震えていた。


 ユズナは汗だくの顔に銀髪を貼りつけ、肩で息をしながら俺を見た。

「助けてくれてありがとうございます。でも、私も結構強いんですよ……」

「違う、俺が魔力を回したからだ。それがなきゃ五回は死んでたぞ」

 彼女は一瞬傷ついたような顔をした。言わなければよかったと思う。こういうところが俺は協調性がない。



「なるほど……強化魔術……だから……」

 ユズナは独り言のように呟いた。ショックで崩れ落ちるか、俺に怒りをぶつけてくるかもしれない。

 クローネならすぐ取り成してくれたし、セラなら誰より早く俺をどついてくれただろうに。



 何か言おうと思った矢先、ユズナが顔を上げた。

「レヴィンさん!」

 目には何故か輝きが満ちていた。

「勇者科卒業の私に合わせられるとは相当の手練れと見ました! 協力してこの危機を乗り越えましょう!」

 そういえば、こいつは本物の馬鹿だった。


「ユズナさん、だよな?」

「ユズナで構いません。私たちはもう相棒ですから!」

 知らないうちに魔術師免許が取り消され、知らないうちに相棒ができている。

 囲いの隙間から焦げる匂いが漏れてきた。細かいことを考えるのは後だ。



「グールをやってもキリがない。狙うなら元凶のローブの男だ」

「奇遇ですね、私もそう思います!」

 嘘だと思う。彼女の視線は一度も奴に向かなかった。


「作戦はサポートの貴方に譲ろうと思います、実行はアタッカーの私が!」

 ユズナは力強く頷いた。何も思いつかなかったのだろう。


鍛冶師ブラックスミスだよな? 防具と武器、二種類造れるか?」

「勿論!」

「じゃあ、防具は盾だ。自分の身体が丸ごと隠れるやつ。それから、武器は……」

 彼女の体格に合う武器はいくつか浮かんだが、やはりこれしかない。

「剣だ」

 俺の魔術は、それを支えるために磨いてきたからだ。



 足首の発条を強化し、俺とユズナは同時にバリケードの木板を飛び越える。


 周囲に炎の渦を走らせ、逃げる者を牽制していたローブの男が俺たちを見た。

 ここの全員を焼き殺せるほどの魔力はないらしい。奴の本質は直接攻撃だ。



 俺は大きな盾を構えるユズナの肩に触れ、わざと聞こえるように大声で言った。


「盾は充分に強化した。安心して行け!」

 ローブの男が再び口元を歪め、身を屈める。

 奴が地を蹴るとフードが降り、光沢のある鱗に覆われた爬虫類の面が現れる。

 竜首人リザードマン。ここまでは俺の読み通りだ。



「私が相手です!」

 ユズナが声を張り上げた。リザードマンが抜刀し、瞬時に加速する。

 刺突が盾の表面にヒビを入れ、突き破った。


「脆い!」

 鉄の盾がガラスのように砕け散る。

 魔物は盾の持ち主を刺し貫くため、迷わず加速した。


 肉を裂くはずの切っ先が硬質な物にぶつかってひしゃげる。

 疑問に思っても遅い。リザードマンの身体は吸い込まれるように壁に衝突した。


 凄まじい音を立てて自分の速度と重量に押し潰された魔物が血を吐く。

 瞬膜の張った目が見開かれた。



 盾はユズナに極限まで薄く造らせたハリボテだ。持ち主がなくても自立できる程度の魔力しか使っていない。強化したのは木の囲いの方だ。


 脆い防壁を砕かせ、油断した敵が突っ込んだところに最高硬度の壁を用意し、自滅させる二段構え。

 グールのような脳なしには効かないが、適度な阿呆なら引っ掛けられる。



 よろめいて壁から剥がれたリザードマンの背後には、ユズナが回り込んでいる。

 彼女は袈裟斬りに剣を振り下ろした。


 敵の背に潜った刃が途中で鋼鉄の鱗に阻まれる。竜頭が素早く身を反転させ、怯んだユズナに切り込んだ。

 鋭い爪が彼女の手から剣を弾く。


 俺はユズナの脚を払い、敵のリーチから蹴り出した。

 自分の視力を強化する。魔物の金眼が視界の中でブレる。俺は空中の剣を掴んだ。



 刺突で鱗を持たない口内に刃を潜らせ、先程ユズナがつけた背面の傷まで抉るように圧し斬る。

 緑色の鮮血が潮のように噴出した。


 鱗を剥がれやすくする。剣の出口を作っておく。口から剣を貫通させる。

 この三行程で竜は殺せる。



 魔物は沼のような血溜まりに倒れて動かなくなった。グールもただの死骸に戻って崩れ落ちた。

 ユズナが俺に駆け寄る。

「レヴィンさん、剣術もできたんですか?」

「いや……」

 ただ、俺ほど至高の剣を間近で見る機会が存分にあった人間はいないはずだ。



 ロビーは惨憺たる様子だった。

「これからどうする?」

 ユズナは眉を下げて考え込んだ。

「道のりで入り口の封鎖を解除するための仕掛けを探しながら、最上階から救援を呼びます。手伝っていただけますか?」

「あぁ、役所がこれじゃ失業保険も何もないからな」


 そう言って、俺は懐の追放証明書を思い出した。

「そうだ。これを……」

 取り出した封筒は緑の粘液で染まっていた。リザードマンの返り血だ。表面に書かれた名前すら見えない。



「追放証明書がない場合はどこにいくんだっけ……」

「ま、マニュアルを確認しますね……」

 道のりは遠そうだった。

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