節税にも限度がある
市役所の場所は俺でもすぐにわかった。
大地が捲れ上がってそのまま壁になったような巨大な建物が聳え立っていたからだ。
外観には何重もの螺旋状の外壁が連なり、等間隔でつけられた爪痕のような細窓が空を反射していた。
いかにも元ダンジョンらしい造りで、いくら節税とはいえ俺ならこんな場所で働きたくないと思う。
そして、見た目の陰鬱さ以外の不安もあった。内部はひどく複雑な構造だろう。
絶対に窓口でたらい回しにされる。そんな予感がした。
予感は的中した。
受付のカウンターだけで三十はある。もう駄目だと思った。
総合窓口はだだ広い空間だが堅牢な造りだった。元になったダンジョンは、魔王の城のひとつのようなもので、昔は大広間だったのかもしれない。
受付窓口に並ぶおびただしい数の人間と、おびただしい数の看板に眩暈がする。
俺はとりあえず一番大きい窓口に並んだ。
自分の番を待ちながら木の囲いに次々とひとが吸い込まれるのを眺める。
皆、くたびれた顔だった。マントの下に鎧を着込んだ男や顔に大きな傷のある女もいた。俺の同業者だろう。
人間と魔王の戦争は長い間膠着状態だ。
次々と建築されるダンジョンや各地に出現する魔物も質が上がっているが、人間側の対抗手段も増している。
物量押しで勝てる段階じゃない。少数精鋭の時代になってきた訳だ。その煽りで失業者や転職者も増えていると聞く。
俺の名前が呼ばれて、思考は打ち切られた。
「レヴィンさんですね」
木の囲いの中で受付嬢が義務的な笑みを見せた。
透けるような白髪をひとつに纏めた若い女だ。水晶じみた青い目の片方は前髪で隠れている。差し出された掌は事務員に似合わない、血豆の潰れた痕があった。ネームプレートにはユズナと書かれていた。
見た目からしてダンジョンが多い北部の出身。武器を扱う近接格闘系の役職持ち。彼女も昔は冒険者だったのだろう。片目は傷か、もしかしたら、魔術を使うためのギミックを隠しているのかもしれない。
「どうかしましたか?」
「あ、失礼……」
俺は我に返って書類を探す。見つからない。
「あの、再雇用試験を受けたいんですが。ええっと、何だったか。今書類上でパーティを抜けている状態で……」
「元冒険者の方ですね!」
俺の覚束ない説明から何とか道筋を見つけてくれたらしい。
「自己都合でパーティ脱退した場合は雇用保険課、追放の場合は雇用失業保険課です!」
「ええと、じゃあ、追放の方で……」
「追放証明書はお持ちですか?」
「何?」
「お持ちでなければ元パーティと連絡を取るか、それができない場合、まず戸籍課で書類を揃えて、社会福祉課から追放認定を……」
気が狂いそうだった。
魔術学校での古文書は読めるが、役所の書類や説明はそれ以上に難解すぎる。何故、それを理解できる人間たちが魔術師を目指さないのかわからない。
俺よりずっと上手くやれると思う。
受付嬢は作り笑いを浮かべて俺を眺めた。
「ご本人確認をしますね。ギルドの登録と照らし合わせますので手を出してください」
それくらいはできるので俺は手を出した。片手で彼女は俺の手を取り、もう片手で奇妙な石板に触れる。
「黒髪、緑眼、痩せ型、勇者ダリオのパーティ所属の魔術師。刺青を見せていただけますか?」
俺は袖を捲って見せた。何重にも蛇が絡みついたような紋様を見て彼女は声を上げた。
「
「はい、まあ……珍しいですか」
「珍しいですよ! 毎年人気のない
受付嬢が目を輝かせたとき、横から上司らしき年嵩の男が飛んできた。
「すみません、しばらくお待ちください」
俺の鼻先で窓口の扉が閉められる。中から怒鳴り声が聞こえてきた。
「あの、気にしてないので大丈夫ですが……」
答えはない。俺は後ろで待つ冒険者たちの視線を受けながら、仕方なく窓口を後にした。
ロビーに喫煙所があってありがたかった。
俺は木製の衝立に滑り込んで煙草と小さな石ふたつを出した。
指先に魔力を込めて石を擦り、摩擦を強化する。灯った炎で煙草に火をつけて煙を吐いた。
煙草の箱をしまったとき、懐から封筒が出てきた。ダリオが書いた追放証明書だ。ここにあったのか。
封を開けて中身を見ると、几帳面な字で俺の追放理由が書かれていた。
件のダンジョンのこと以外は、協調性がないとか、自発性が乏しいとか、人格に関することばかりだった。能力で追放されたのではなくパーティに合わなかったことを強調してくれたのだろう。
正直、協調性も自発性もないのは本当なので身につまされた。
紫煙で窓口の長蛇の列が蜃気楼のように霞む。
あの受付嬢はまだ叱られているのだろうか。
冒険者を目指していた人間は多くがそれ一筋で研鑽を続けるため、別の仕事に就くと不具合が多い。
俺だってパーティを本当に追放されていたら苦労しただろう。親近感が湧いて少し可哀想だと思った。
そろそろ呼ばれないものかと衝立から顔を出したとき、妙なものが見えた。
黒いローブの一団だ。魔術師として珍しい服装ではないが、何人も揃って役所に来ているのがおかしい。
魔術師協会の申請なら代表者だけで済むはずだ。まさか集団で失業することもないだろう。
俺は視力を強化する。
先頭の男以外の歩き方がぎこちない。関節を使わず手足を前に出すような動きは、死体を魔術で蘇らせたグールのようだった。
手前の男が懐から何かを取り出す。書類でも封筒でもない。受付嬢が使っていたのに似た石板だった。
刻まれた古代文字には見覚えがある。
旧式のダンジョンの門によく刻まれていた呪文だ。それを唱えると、入り口が封鎖され、侵入者は袋の鼠になる。
ふたりの衛兵が一団に歩み寄るのが見えた。それより早く男が石板をなぞる。
衛兵の片方が最後尾にいる黒いローブ姿の肩を掴むのと、ロビーに赤い閃光が走ったのはほぼ同時だった。
照明が弾け、辺りが闇に包まれる。
俺は煙草の先端に魔力を込め、放り投げた。増幅された炎が空中で弾け、強化した視力が光を拾う。
ローブを下ろした最後尾の男が人体には無理な大きさで口を開くのも、白濁した瞳も、噛みつかれた衛兵の喉笛が血煙を噴き上げるのも見えた。
悲鳴が響くより早く、俺は両目から爪先に魔力を移動させ、木の衝立を蹴破った。
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