春の匂いと3秒のロケット
「卒業生代表、乃木忍」
もう一年になろうとしていた、演劇部に入ってから。福居に誘われてなんとなくやってみただけだったのに、音響をしたり、主役を演じたり、副部長にも任命された。
初めの頃は先輩たちのノリについていけずに、距離感がなかなか掴めなかった。でも、今では無茶苦茶、感謝をしているし、尊敬している。
中部大会上演前日、舞台セットを見て気合が入ったのはよかったけれど、キャストとしては大会初参加で、県大会までは音響だったのに、地区、県大会を踏まずにこの大舞台。自分の思っていた以上にプレッシャーを感じていたらしく、夕食後のホテルの大浴場では、のぼせたわけではないのに鼻血が出たり、寝る前になぜだかしゃっくりが止まらなくなったりと、全身が怖さで震えているようだった。もちろん、寝付けるわけもなく、みんなが寝静まったあと、ひとり部屋を出て自販機の前のベンチに座って、ボーッとしていた。二〇歳を過ぎていたら、缶ビールを片手にたばこを吸っている雰囲気が見えてきそうだ。
サッカーの試合だったら、相手チームと直接の戦いだ。全く同じことが起きるとは限らない。今までの練習通りというよりかはそれを活かして、いかに相手の動きを読んで攻めにいったり、守りにはいったりしながら、ゴールを決めて点数を取らなければならない。
演劇の舞台は違う。他校と競い合うけれど、その場ではなくて、ワンステージごとに自分たちの表現や演技力、内容など、相手との勝負というよりは、自分自身と勝負している感覚だ。練習通り、それ以上に最高の演技をする、自分に負けていたら絶対にできない。であの日の俺は負けてしまいそうだった。
『どーした? ふけっちゃって』
声の方へ顔を上げると、宮市先輩が隣に来ていた。
『宮市先輩』
ゆっくりとベンチに座った。
『プレッシャーに負けそうか?』
『はい……いや、そういうわけじゃ』
『ごめんな、俺のせいで』
『そんな、宮市先輩が悪いわけじゃないですよ』
『……よかったか悪かったかは、まだわからないけどさ、結果としてはよかったはず』
『えっ?』
『俺の演じる結城よりも、いい結城うまい結城を演じなきゃって思わなくていいんだぞ』
『……はい』
『エビバディのとき思い出してみろよ。誰かの真似じゃなくて、笹井の感じるままの高校生アイドル、相澤翔を演じたんだろ?』
『それは、そうですけど。でも結城は宮市先輩がやってて』
『俺は俺だし、笹井は笹井だよ。俺の結城は忘れていい。比べたって、何の意味もないよ。笹井にしかできない結城があるはずだ』
『はい』
『まあ、深く考えすぎるな、逆に何も考えないほうがうまくいくときもある。明日はトップバッターなんだから、ちゃんと寝ろよ』
『はい、ありがとうございます』
『ほら、牛乳』
宮市先輩は販売機で牛乳を買って渡してくれた。
『えっ?』
『牛乳飲むとよく寝れるんだって』
『へ~、あざっす。——俺にしかできない結城か……』
全国大会には及ばなかったけれど、俺はキャスト賞をもらい、部としては脚本賞もいただいた。堤大山高校、今年は絶対に越えてやる。全国の切符は俺たちがもらってやる。
「本田先輩、大山先輩!」
卒業式に参加していた福居と俺は、式典が終わると、ふたりを見つけ声をかけた。
「部長と副部長じゃねーか」
「三年間、お疲れ様でした!」
中部大会が終わり三年は部活を引退した。大会がなければ、秋には引退だった。普通よりも引退が遅くなったせいもあるのか、三学期に入ると大学入試や就活での遅れを取り戻すかのように、多忙になった。それまでは毎日顔を合わせていたのに、どこか物足りなさを感じていた。それも、テストや合同発表会の準備に追われるようになると、気がつかないうちに少しずつ忘れていった。
「ありがとう」
笑顔のふたりと握手を交わした。
「あっ、乃木、宮市! こっちこっち」
少し離れたところにいた、乃木先輩と宮市先輩を本田先輩が見つけて呼んでくれた。
「お世話になりました。卒業おめでとうございます!」
「乃木パイセン! スピーチ最高した!」
「まあ、これくらいできないとな。将来は社長目指してるんで」
「さすがっす!」
「笹井、合発よかったな、一位だったんだろ?」
「はい。でも堤大山は別の地区だったんで、今年の地区大会でコテンパンにしてやります!」
「何だよ笹井、副部長らしくなってきたんじゃねーの?」
大山先輩のゴツい腕で首をロックされ、このままプロレス技でも食らわせられるんじゃないかと、恐怖でしかなかった。
「お前に任せたからな、しっかりやれよ」
言葉と共に寝技に持っていかれ、案の定、大山先輩流、激励を受けた。
「ワンツースリー」
「ギブギブギブっす」
これが最後の寝技だからな、感謝しろよと笑ってはいたけれど、目の奥が寂しそうに見えた。
砂埃を払い、立ち上がった。
「お前たちふたりにしてよかったよ。これから引退まで、頑張ってな」
本田先輩に肩をポンポンと優しく叩かれた。急に込み上げてきた。そんな気なんて全くなかったのに、涙が目から溢れてきた。
「先輩たちがいたから、おれ、あしたのこいえんじることができました」
声が震えて上手く言葉にならなかった
「ぜんこくにいきたかったです! せんぱいたちのさいごのたいかいだったのに」
「おい、泣くんじゃねーよ。こっちまで泣けてくんだろーよ」
「すいません」
別れの寂しさをこんなにも感じていたなんて自分でも驚いた。福居も泣きながら、俺の背中を摩り、先輩たちに頑張りますと何度も言っていた。
感情が高まっていたからか、日差しがいつもより眩しかったからか、背中が少し汗ばんでいた。
春の匂いが漂い始めているようだった。風が柔らかくて気持ちがいい。
別れの後には新しい出会いが待っている。先輩たちのように、尊敬される三年になりたい。
そして今年も——、
何か忘れているような気がした。
去年にはあって、今は——何かが足りないような……そんなものあるわけないのに。
卒業シーズンに感傷的になっているだけだよね?
このときはそんな風に思っていた。
三年生になり、クラス替えがあった。坂戸輝紀、三咲凛花はそれぞれ別々のクラスになり、福居昇流と新座明歩は隣のクラスだ。少し人見知りな俺からすると、知ってるやつが大抵だけれど、あの五人のようななんでも話せるいつメン的な奴らはいない。ちょっと安定感がない気がしてならない。でも、そんなこと言っていたらつまんない学校生活になってしまう。
福居のようにバカなことを言ってみるか、それとも坂戸のようにしゃしゃってみるか……俺しっかりしろ!
「ささいくん」
俺、どうしよう? と考えていたら空気を含ませ、甘い匂いと甘えた声で耳元で名前を呼ばれた。
「うーわっ」
耳がくすぐったいのと、背中の下から湧き上がってきた冷気のようなもので身体が震えた。
「あはっ、かわいい」
「あっ、榎園さん。どーしたの?」
「どーしたのじゃないぞ」
人差し指で鼻の頭をツンと人差し指で押された。
「愛夏だぞ」
「あっ、まなつって読むんだ、名前」
なんと言えばいいのか、やはりかなり前のめりな勢いと、二次元アイドルを思わせる口調が耳に痛い。
「知ってるくせに~」
笑って見せてはいるけれど、面倒くさい。
「で、どーしたの?」
「愛夏は、知ってるんだお。SNSでちょっとばかりバズってるの」
「ああ、それな」
去年のことだ。文化祭で高校生アイドル役をやったとき、#マジなアイドルすぎる高校生、でSNSの中で少し話題になっていた。そのあとは、中部大会上演後、みんなでいろいろな写メをSNSにアップして、そのときも話題になっていた。自分は一切上げていなかったのに、勝手にサッカーをやっていたときの写メやらなんやかんやが出回っていたらしい。
「愛夏はまだ知っているぞ。ベッドに寝ている美与を思って泣くシーンで、持っていたロケットは、沖縄の修学旅行のときに、秘密の彼女のために買ったってこと」
人差し指を立てて、自信満々に言った。
「えっ?」
すっかり忘れていたことだった。
確かに、街中を探索しているとき、たまたま目に入り、何を思ったのか、これだ! と手に取るまでに三秒だった。即決で買い、満足したのも束の間、何で? と自問自答していた。
「SNSでその相手は誰? 大会で使ったってことは別れたの? っていろんな憶測が飛び交ってたな~」
「もう去年のことで、今年はその熱は冷めてるんじゃない?」
「外野はね。でもね、愛夏は違うの。だってその白馬の王子様が目の前にいるんだもん」
————。
決して見た目が悪いわけじゃない。むしろ、いい方だ。他の男子なら落ちるかもしれない。でも、俺は絶対に落ちない。
だって俺は……、だって?
今、誰のことを考えたんだろう?
修学旅行でロケットを手にしたとき、秒で……秒よりもっと瞬間的だったのかもしれない。
頭の中に、心の中に、確実に誰かが——天使がいた。
天使のような……かな?
「誰なのかな?」
心の声が漏れていたようだ。
「おーい、おーい、おーい!」
「えっ? 何?」
「もうっ! 何、じゃなくて、愛夏だよ」
「えっ? あっ、そうそう榎園さん」
「だから……」
「ロカ男ー! 部活行くぞー!」
まさに白馬の王子様、福居がドア越しに声をかけてくれた。
「ああ、今行く! じゃあ、ごめんね。また明日」
「えっ? ちょっとー」
外野で何か言っていたような気もしたけれど、正直どうでもいい。俺はタイプじゃない。ぶりっ子ってやつ? 可愛いと思わなくはないけれど……んー、なるべく距離を置きたい。
誰かみたいなキャラを作るんじゃなくて、自然に身を任せようと思った。距離感って大事だ。
「なんだよ? もう好きな子でもできたのかよ?」
「はっ? 違う違う。榎園さんは絶対ない」
「またまた、照れんなって」
おちょくるように脇腹を突っついてきた。
「いやん」
「かわいいやつだなー」
「うるさい! 福居こそどーなんだよ?」
「えっ? 俺は……」
巨体がモジモジしているのが似合わない。
「はっ? 何、その態度」
「ごめん、実は一昨日卒業式しました!」
卒業式……?
「ちょっと待て! マジか? マジなのか?」
「マジだ! お先に!」
こちらに敬礼をして、颯爽と駆け出した。
「何で何も言わないんだよー」
「今言っただろー」
変わらずにある関係、ずっとこのままでいたい。お互いに歩む道、方向が違ったとしても、積み重ねてきた日々は消えたりしない。将来、結婚したり、子どもができたり自分達の形が変わったとしても、結ばれた友情は解けることはない。
大切な人、昨日、今日、明日、写メやムービーのように、心にはずっとあり続ける。
忘れようのない存在。
未来を繋いでいきたい。
ゴールデンウィークが終わり、しばらくの間、平穏な日々が続いていた。榎園さんが一週間ほど登校していない。気にしていたわけではないけれど、多少は気になった。毎日のように、王子様的なことを言われて、用もないのに話しかけられて、少しうんざりするのも仕方ないはず。
それが、どうしたことか何も連絡がないまま、姿を消した。いじめられていた? 俺が傷つけた? 決してそんなつもりはなかった。
だから、少し申し訳ないなと思っていた。
帰りのホームルーム前、前の席の二岡と話していたら、目を見開き驚くような顔をしてきた。どうした? と聞くと口を開けたまま顔を横に振り、なんでもないとつぶやいた。なんなんだと首を傾げてもう一度どうしたと聞こうとしたとき、後ろから声がした。
「ささいくん」
「うーわっ」
振り向くと榎園さんがいた。
「あれっ? どーしたの? もう授業終わったよ?」
「うん、ちょっとね」
朝からいなかったはずの榎園さんが、ここにいる。どういうことなのか意味がわからなかった。そんな疑問を浮かべていると、担任が入ってきた。
「えーと、みんな、榎園から報告があります。かなり嬉しいことで……、すまんな。俺から言いそうだった。榎園前に来るか?」
「はい」
いつもと少し雰囲気が違うように感じた。
「えっと、久しぶりです。わたくし榎園愛夏は今日をもちまして、山吹原高校を退学します」
えっ? 急すぎる展開に頭がついていかない。別に好きとか全くそんなんではない。しつこく迫られていた状態が、突然、無になってしまったかのようで……自分自身を疑いたくなるけれど、寂しい。いや、数ミリほどの感覚だと思う。
「あっ、退学って言っても東京の高校に編入するためで。それでなんでかって言うと、アイドルデビューが決まったからです。今日やっと情報が解禁になって、こうして最後のあいさつに来ました」
クラス全体の時間が一瞬止まり、再び動き出したかと思うと、それぞれ驚きの声やら応援やら収集つかなくなった。
そりゃそうだ。クラスから芸能人が出たんだから興奮しない方がおかしい。
部活に行く前、榎園さんに呼び出された。前にもあったこの状況、まさか、これは本物の方ではと思えてきた。いや、それはさすがに……。
そんな都合のいいことを考えていた、
「ささいくん、来てくれてありがとう。あのね、アイドルになっても笹井くんのことはずっと推しだから」
「えっ、あ、ありがとう。なんか榎園さん雰囲気変わった?」
「バレたか。愛夏、ずっとアイドルになりたくて、だからアイドルになろうと決めてから、自分の中の定義を貫こうって思った。でも、オーディション受けて、研修受けて言葉だけじゃ意味ないんだってわかった。心意気はいいけどって。どうなりたいかって考えたときに、違うのかなって。無駄に無理するのはやめにしよって」
「無理してたの?」
「んー、ちょっとね。それに、ちゃんと傷つくんだよ」
まっすぐな視線が心に刺さるようで痛かった。
「ごめん。俺、正直言って苦手だった。だから……」
「ふふふっ、わかってくれたならいいよ。愛夏は絶対トップアイドルになる。だから、笹井くんも俳優になってよ」
「俺が?」
突然何を言い出すのか、俺なんかが俳優なんてなれるはずない。福居や、先輩たちのような才能なんてないのに。
「あるよ、才能。少なくとも愛夏と演劇部の人たちは思ってる」
「そんなこと……」
「サッカーじゃなくたっていいじゃん。楽しいんでしょ? 演劇部」
「うん、そりゃ」
「だったら、大丈夫。愛夏はずっと笹井くんのこと見てたんだから、絶対やれる!」
目力がレーザービームでも出てくるんじゃないかと思うほど、強くて輝かしかった。
パンッと風船の破裂した音が聞こえたようだった。胸の奥で何か引っ掛かっていたものが、全身に溶けていくように、心を満たしていく。
「じゃあね」
「うん、頑張って」
「ありがと。あっ、もし笹井くんが主演とかそんな作品があったら、主題歌歌ってあげるよ」
「早くない?」
走る後ろ姿が晴れ晴れしていた。
俺の心もなんだか晴れ晴れしていた。
自分ではやれていると思っていても、他人から見ればやれていなかったり、どうでもいいことが、重要だったり、その場の感情だけに流されるんじゃなくて、もっといろんな視点で物事を考えられるようになりたい。
気を使うんじゃなくて、気遣いのできる人になりたい。
そんなことを考えさせられた時間だった。
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